第84話 動物園へ行こう⑤


 ただ。


 ななちゃんに食べさせるのと、日向坂さんに食べさせるのとでは天と地ほども変わってくる。


「えっと、じゃあこれ」


 わざわざ俺が食べさせてあげる必要はないし、俺はアイスクリームを日向坂さんの方へ差し出す。


 しかし、日向坂さんはふるふると首を振る。


「え、なに?」


「わたし、スープを飲むのに使ったレンゲでチャーハンを食べるの好きじゃないタイプの人間なの」


「つまり?」


「バニラアイスを食べたスプーンでチョコレートアイスを食べるのはちょっとどうなのかなって思うの」


「そんなの気にするタイプだっけ?」


「じ、実はね!」


 なにを焦ったように食い気味に言っているのだ。


 しかし、人それぞれこだわりはある。

 食に関して言えば、俺にだってそういうのはあるし、そこを否定してはいけないし押し付けるのもよくない。


「あ、スプーンもらってくればいいのか」


「一口のためだけに新しいスプーンもらうのはエコじゃないよ! 今の時代にそぐわないよ!」


「言ってることはなにも間違ってないな」


 別に人が使ったスプーンを使うのがどうこうってわけではない。そういうのは全然これっぽっちも気にならない。


 日向坂さんもわざわざその提案をしてくるのだし、そこは気になってないはずだ。


 問題はそこではなくて。


「はやくしないとアイス溶けるよ」


「……分かったよ」


 その通りだ。

 せっかくのアイスクリームを溶かすのはよくない。

 ななちゃんには躊躇いなく差し出したのに、日向坂さんに対して躊躇うのは失礼だろうし。


 腹を括ればあとは早い。

 俺はチョコレートアイスをスプーンで掬い、それを日向坂さんへ差し出す。


「あーん」


 口を開けて待機する日向坂さんの口へアイスクリームを運ぶ。スプーンの気配を感じた日向坂さんは口を閉じてアイスクリームを食べた。


 どうしてこんなにドキドキするんだ。


 静まれよ、俺の心臓。


「んー、おいひぃ」


 とろけるような顔をする日向坂さん。その顔を見ると、ななちゃんと姉妹なんだなと思わされる。

 それくらいによく似ていた。


 ともあれ。


 ようやく終わった。

 あとは楽しい楽しいアイスクリームタイムだ。


 そう思っていたのだが、そんな俺の考えはこのチョコレートアイスのように甘かった。


「それじゃあ、はい、白くまアイスをお返しするね。あーん」


「あ、いや」


「あーん」


 アイスクリームを掬ったスプーンをこちらに差し出す。しかし、するとされるとではまた違った恥ずかしさがあり躊躇ってしまう。


「早くしないとアイス垂れちゃうよ」


「……ッ」


 一理ある。

 今にもアイスは溶けて垂れてしまいそうだ。


 俺は意を決し、本日二度目の腹を括り差し出されたアイスクリームを口にした。


 あまりの恥ずかしさに俺は俯きながらアイスクリームを味わう。チョコレートアイスとは違った、さっぱりとした味わいはまた別の美味しさがあった。


「おねーちゃん、あーん」


「ちょっと待ってね」


「あー、なんでおねーちゃんさきにたべるの?」


「いいでしょべつにっ」


「んー! ななもー!」


「わかったよ。ほら、あーん」


「あーん」


 言葉だけが耳に届く。

 気持ちが落ち着いたところで顔を上げる。

 気を取り直して俺もコアラアイスクリームを味わうとしよう。


「……」


 ちょっと溶けてやがる。



 *



 ショーといえば動物園より水族館の方がイメージが強い。アシカショーやイルカショーなんかがそうだ。


 逆に動物園だとそういうのはあまりやっていないものだと勝手に思っていたけれど、この動物園ではそういった類の催しも行われているらしい。


 さすが人気の動物園だな。


 園内アナウンスにより猿山にて行われるということらしく、俺たちはせっかくだしと向かうことにした。


 行ってみると結構な人が集まっていた。ガチ勢はアナウンス前からここを陣取っていたのだろう、最前列は当たり前のように埋まっていた。


 俺たちが到着したときにはすでに三列ほどができており、俺や日向坂さんはともかくななちゃんは見えないだろう。


「どうしよ……」


 日向坂さんはななちゃんのことを思ってか、しょんぼりとしている。せっかくだし見せてあげたい、という気持ちは俺も同じだ。


「……」


 ななちゃんも前が見えなくて落ち込んでいるようだ。


「ななちゃん、肩車してあげようか?」


「かたぐるま?」


「うん。どう?」


「やるー!」


 俺はしゃがんでななちゃんを肩に乗せる。ここだと後ろに来た人たちが見えなくなってしまうので、俺たちは少し横に移動した。


「隆之くん、ありがと」


「いや、これくらい全然だよ」


 抱っこやおんぶより、肩車の方が楽に思うのはこの一瞬だけだろうか。

 しっかりとななちゃんの足を掴んで落ちないようにしておく。


 そんなことをしていると、催しが開始される。

 ドンドコドコドンとスタッフの人が太鼓を叩くと、それに合わせて猿が動いたり踊ったりを始める。


 すげえな。


「こういうの、なんて言うんだっけ?」


「猿回しだね」


 日向坂さんの小声の質問に、俺も小声で返す。


 テレビなんかで見ることはあったけど、こうして目にするのは初めてだ。


 しばしの間、猿回しを楽しんだところで催しは終わりとなる。もっと見たいと思うけど、猿もしんどいよな。


「今日のMVPは猿かもしれない」


「わかるー」


 俺の呟きに日向坂さんが同意する。


 そのときだった。


 ざわざわ、と。

 猿回しを見終えた人たちが一斉に動き始める。

 イベントのように順番に動き始めたりするわけではなく、ただ合図もなしに各々が好きな方向へ動いていく。


 当然、隣を歩く人の肩がぶつかることもある。

 前を見ろ、周りを気にしろ、そう思うけれどそんなのお構いなしに人は進んでいく。


「陽菜乃?」


 気づけば日向坂さんの姿がなかった。

 どうやら人の波に流されてしまったようだ。


 現在の状況で合流は厳しい。

 とりあえずはななちゃんを連れてこの人混みを抜けよう。


 隙間隙間を抜けて、なんとか人混みから脱出することに成功した。


「ふう」


 ななちゃんを地面に降ろし、一息ついたのも束の間、俺は視界に入ってきた光景に思わず目を見開き、声を上げる。


「日向坂さん!?」


 人がいなくなった場所で、日向坂さんが倒れたようにしゃがんでいた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る