第82話 動物園へ行こう③
ぞうさんぞうさん。
おはながながいのね。
そうよ、かあさんもながいのよ。
頭の中でハミングしながら、ゆらゆらと長い鼻を揺らす象を眺める。
「わぁー、ぞうさんだー!」
きらきらと瞳を輝かせながら、自分よりもずっと大きい象を見るななちゃんと、それをまるで母親のような優しい顔で見守っていた。
曰く、このぞうさんのうたには歌詞に込められた意味があり、ただぞうさんの説明をしているだけの歌ではないらしい。
というのをどこかで聞いたことがある。
説明するほどの知識が残念ながら記憶の中に残っていないので、気になる方は詳しくはウェブで検索してどうぞ。
「ねえねえ」
ななちゃんが俺の服の裾を掴んで引っ張りながら見上げてくる。
「ん?」
「どうしてぞうさんのおはなはながいの?」
「んー」
子どもというのは純粋の生き物だ。
どうしてぞうさんのお鼻が長いのか。
誰もが子どもの頃に一度は思い浮かべた疑問だろうけど、しかし誰もがその答えに辿り着くことはない。
一時的に思い浮かんだだけのその疑問は気づけば風に吹かれたわた毛のように消えていくからだ。
いつしか、人は『象は鼻が長い生き物』として認識をし、それが当たり前であるように考え、そんなそもそもな疑問を抱かなくなる。
だから、無論俺はその答えを知らない。
「象さんは四本の足で立ってるでしょ」
「うん」
「そうするとね、ご飯が食べれないんだよ。だから、ご飯が食べれるように象さんの鼻は長いんだよね」
ふぇー、と感心したような声を漏らす。
事実は知らないけど、そんな感じがするしそもそも子どもを納得させるには十分な理由だろう。
逆に長々と本来の意味を並べたところで子どもは理解できないだろうし。
しかし、恐ろしいな。
なんでもかんでも思いついた疑問は口にするし、それに答えれないとなんだか格好悪い。
果たして俺はななちゃんの無茶振り質問すべてに応じることができるだろうか。
ななちゃんは尚も飽きずに象さんを見つめている。なにか動きがあればいいけど、のっそのっそと動いているだけ。
さすがに飽きる。
「子どもってすごいよね」
俺の思考を読み取った日向坂さんが隣に並んで小さな声を俺に届けてきた。
「そうだね。ただ、自分が子どもの頃はあそこまでなにかに興味津々になれてたかは疑問だけど」
記憶にある自分はいろんなものに対して冷めていた。
別に嫌いなわけではなかったけど、特別好きにもならなかったというか。
軽くは触れるけどのめり込みはしないみたいな。
今でも、なにかに夢中になれる人のことを羨ましいとは思う。
「そうなの?」
「うん。そんな覚えがない。だから羨ましくもある」
「わたしはどちらかというと逆だったかな。今のななみたいな感じだったかも」
「想像できないね。あんなにはしゃいでるとこ」
「……まあ、子どものときの話だし」
とはいえ、今でも美味しそうなご飯を前にしたときとかには目を輝かせているわけだし、存外その名残りはあるのかも。
「ねえねえ、きりんさんみにいこ?」
「ん? もういいの?」
どうやらようやく象さんに満足したらしいななちゃんが次の動物を所望してきた。
「じゃあ行こっか」
「うん」
日向坂さんがななちゃんの手を取る。
めちゃくちゃ混んでいるわけではないけれど、知らない間にどこかへ走られると迷子になりかねないし賢明な判断だ。
などと、日向坂さんの行動に感心していた俺の手をななちゃんが握ってきた。
「ん?」
何事だとななちゃんを見下ろすと、にいっと笑顔を浮かべるだけ。かわいいからなんでもいっか。
しかしあれだな。
こうして手を繋いで並んでいるとまるで親子のようだ。そんなことを考えると途端に恥ずかしくなって今すぐに手を離したくなった。
もちろんそんなことしないけど。
「なんかあれだね、親子みたい」
はにかみながら、日向坂さんが言う。
「……意識しないようにしてたのに」
「ふふ。だと思って」
「尚の事たちが悪い」
言われることでさらに意識してしまう。
早くキリンのエリアへ辿り着かないだろうかとたまたま近くにあった園内マップを確認する。
ちょっと遠いじゃないか。
「隆之くんは好きな動物いる?」
「……好きな動物ねえ」
隆之くん、という呼び方にまだ慣れなくて、背中の辺りがぞわぞわする。
けどなんとなく触れるのもどうなのかなと思って飲み込んだ。
「イヌ?」
「そうじゃなくて。動物園でだよ」
「ああそういう。動物園でか」
そうなると難しいな。
ライオンもキリンもカバもサルも、別に嫌いではないけど好きかと言われるとそんなことないし。
「どちらかというと水族館のジャンルかもしれないけど、ペンギンとか」
「ペンギンかぁ。ここにもいたよね?」
「たしかね」
「じゃあ、あとで行こうね」
こくりと頷き、話の流れ的にここは訊き返した方がいいのかと思い口を開く。
「ひ」
陽菜乃、という呼び方にまだ慣れないでいる俺は僅かに躊躇いを覚えてしまう。
が。
「陽菜乃は?」
日向坂さんもこの呼び方に慣れていないのか、背中の辺りがむず痒いように頬を赤らめる。
「わたしはね、カバかな」
「カバ?」
予想外の言葉に俺は思わずオウム返しをする。なんとなく小動物系が飛んでくると思っていた。
「うん。なんか、おっとりしててかわいいでしょ?」
「見た目が?」
「生き方が」
日向坂さんの美的感覚を疑いながらの質問に、彼女は即答してきた。にしてもかわいいという感覚はよく分からないが。
「でもカバって実はすごい強いらしいよ。普段はあんななのにすごいよね」
「まあ、そういうとこはカッコいいかもね」
いざというとき、やるときはやる。
そういう生き方というか、在り方は確かにカッコいいと思う。できることならば、そう在りたいと思うほどに。
でもやっぱり。
かわいいとは思わないな。
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