第80話 動物園へ行こう①


 春休みももうすぐ終わってしまう。

 つまり無事進級も決まった俺は、二年生になるのだ。


 なってしまうのだ。


 進級するということはクラス替えだってある。

 ようやくそれなりに話せるクラスメイトもできた矢先にこの仕打ちとは相変わらず神様は手厳しい。


 人間関係がまっさらになった状況で、今と同じくらいの環境を作ろうとしたらどれだけ時間がかかるだろう。


 そもそも、時間をかければなんとかなるものなのか。


 不安だ。


 考えたくもない。


 だから考えるのをやめた。


 残された数日を、全力で楽しむことにしよう。

 ダラダラと時間を過ごすだけかと思われた俺の春休みだが、先日、日向坂さんから連絡があり予定が入った。


 動物園なんていつ振りだろうか。

 子どもの頃に行ってるんだろうけど、全然記憶にない。


 学校の遠足で行ったんだっけ。

 うちは梨子があまり動物の類が好きではないので、家族で動物園には行ってないはずだし。


 つまり、ほとんど覚えていない。


 なので楽しみではある。


 日向坂さんとは現地集合ということになっているので、待たせるわけにはいくまいととりあえず早めに家を出た。


 俺たちがこれから向かう動物園は調べてみるとこの辺では比較的大きめというか、有名な動物園らしい。


 動物園に行くならとりあえずここ、とまで言われているので間違いはないだろう。


 最寄り駅にも動物の装飾があり、ここに到着した時点で子どもはワクワクを掻き立てられるに違いない。


 駅が幾つかあるらしいので、俺はホームで待っておくことにした。メッセージを送ると、すぐに既読がつく。


『わたしたちももうすぐつくよ!』


 待っててね! というネコのスタンプと一緒にそんなメッセージが送られてきた。


 ということで、しばし待つ。


 人を待つこの時間は意外と苦ではない。

 そもそも一人で過ごすことが多かったからか、ぼーっとしている時間はむしろ心地よいとさえ思うのだ。


 スマホをいじるでもなく。

 音楽を聴くわけでもなく。


 ただ、目の前を歩く人たちを眺めながら時間が過ぎていくのを待つ。


 やがて、次の電車が到着する。

 ぞろぞろと人が降りてきた中から日向坂さんを探すのは大変そうだ。


 そう思っていたのだが。

 

 しかし、どうやらその手間は省けたらしい。


 というのも。


「おにーちゃん!」


 少し離れたところから、俺の姿を見つけてくれたななちゃんがこちらに勢いよく駆け寄ってきたからだ。


 ててて、というよりはダダダというくらいの勢いに俺はどうしたものかと悩みつつ、ななちゃんを受け入れる準備をする。


 しゃがみ、バッと手を開く。


 周りに人がいるのにバカバカしいと笑うかい?

 これが子どもの力さ。

 あの可愛さの前では、多少の羞恥心なんて飛んでいってしまう。


 その証拠に、赤ちゃんを前にして『わぁ、いい子でちゅねぇ』と年甲斐もなく赤ちゃん言葉を使う大人がいるだろう。


 俺もその一人さッ!


「おにーちゃんっ」


 ななちゃんが勢いよく俺に飛び込んできたので俺はそれを受け止める。


 開始五秒でかわいいとかなんなん。


 戦場に放てばそのかわいさで場が和み争いが収まってしまうくらいのかわいさ。


「ななちゃん、久しぶりだね」


「うんっ。あいたかったよぅ」


 か゛わ゛い゛い゛い゛い゛い゛。


 などと、ついつい語彙力が失われる。


「おまたせー」


 ななちゃんから少し遅れ、日向坂さんが到着する。


 ここで志摩隆之のファッションチェック!


 長袖の白いブラウスは清潔感をこれでもかと主張し、いつもはスカートのイメージが強い日向坂さんだけど今日はパンツスタイル。

 髪はポニーテールでまとめられており、学校ではあまり見ない姿に胸キュンポイントが加算される。


 ななちゃんはというとシャツに短パン、帽子と年相応な服装。リュックを背負い、水筒を斜め掛けしている。

 つまりかわいい。


 なに言ってんだ俺。

 いったん落ち着こう。


 久しぶりのななちゃんにテンションがバグってしまっているようだ。


「いや、俺もさっき来たとこだし」


「志摩くん、そう言いながら毎度結構待ってない?」


「そんなことないよ」


「でも、志摩くんって待ち合わせ場所に後から来たことないよね?」


「先に到着するように心掛けてるからね」


「どうして?」


「人を待たせたくないから」


 というと、プラスなイメージを持たれるのかもしれないけど、その実、意味は自分勝手なものだと思う。


「なんか、待たせた時点で相手に優位に立たれそうじゃない?」


「そんなことないと思うけど」


「そうかな」


 あとシンプルに微妙な罪悪感がついて回るし、ならば早めに到着すれば全部解決する。


「そんなことより、とりあえず歩こう。ななちゃんが待ちわびてるよ」


「そうだね」


 ななちゃんははよせえやとでも言うように駆け足の準備をしていた。日向坂さんは俺と顔を合わせておかしそうに笑った。


「なな、走っちゃダメだよ? ママと約束したよね?」


「うんっ」


 いい子やでぇ。


 ということで俺たちはようやく歩き出す。

 改札を出ると、本日もこれでもかというくらいに世界を照らす太陽の日差しが眩しかった。


 本日快晴。

 絶好のお出掛け日和だ。


 駅の中があれだけ動物園色に染まっているのに、駅から少し歩くらしい。

 しかし、すぐに案内板があるので道に迷うことはない。


 進んでいくと動物園の大きな入口が見えてくる。


 俺は動物園なんて子どものとき以来だけれど、日向坂さんはどうなんだろうか。

 中学生や高校生だと、動物園ってよほど動物が好きじゃないと来るイメージはないけど。


「日向坂さんは――」


「あいっ」


 あい?


 元気のいい返事に俺は思わず出そうとした言葉を飲み込んでしまう。


 ぴしっと手を上げているななちゃんを見たあとに、日向坂さんの方を見ると、あははと苦笑いをしている。


「日向坂さん」


「あいっ」


「……」


「……」


「これはどういう?」


「ええっと、ですね」


 

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