第78話 もう恋なんて②


 昔から周りに比べて冷めた性格をしていた方だと思う。


 小学生のときでも、みんながはしゃぎ回っているとき、俺はそれを一人遠くから眺めていた。


 それが格好いいと思っていたわけではなくて、大人ぶりたかったわけでもなくて、むしろそうやって感情を剥き出しにして楽しめる人たちを羨ましいと思っていた。


 どうにも昔から、そういうのが苦手だった。


 だから、自然と俺の周りから人は離れていって、一人でいる時間が増えた。そうして、俺はぼっちになったわけだ。


 それでも。


 そんな俺でも。


 女の子を好きになったことはある。


 一度だけ。


 ただ、そのたった一度の恋愛で俺は思い知らされた。自分という人間が、どういう人間なのかを。


 中学三年生。

 そろそろ受験を意識しなければならないような、肌寒さを覚える秋頃のことだった。


 勉強勉強の日々にストレスが溜まって、ピリピリした空気が教室内を支配する中、俺はそこまで高校の目標を高くしていたわけではないのでこれまで通りにマイペースに勉強を進めていた。


 それでも、人よりは勉強ができた方だと思う。受験だからとか、そういう特別な意識をせずとも、日頃からそれなりに勉強をしていたからだ。


 まあ、勉強以外にすることがなかったというのが本音なんだけど、それは置いておこう。


 そんな俺の態度をどう捉えたのか、ある日の席替えで隣の席になった女子が話しかけてきた。

 にかっと笑ったときにちらと見える八重歯が特徴的な女の子だった。


 気さくな女の子で、こんな俺にもよく話しかけてくれた。

 

 好きなお笑い芸人の話、最近観た面白いアニメの話、気になっている小説の話、好きな教科の話、嫌いな教師の話、昨日の晩ご飯の話、熱中している趣味の話、部活や委員会の話、一年生や二年生のときの話。


 などなど。


 時折話す程度のクラスメイトはいたけど、これほど毎日のように言葉を交わす友達はいなかった。


 バカバカしい話だけれど、俺が彼女を好きになるのにそう時間はかからなかった。


 単純な男だと自分でも笑ってしまう。

 

 その子と話すのが楽しくて、俺はいつしか学校に行くのが楽しみになっていた。


 笑顔で話してくれる。

 俺といるとき、いつだって楽しそうな彼女を見ていると、俺の中にふわふわとある望みが芽生える。


 関係の進展。

 

 今思い返すと愚かである以外のなんでもないけど、俺の中にはそれを可能だと思わせる不確かな自信があったのだ。


 だから。


 俺は彼女に告白をした。


『ごめんなさい』


 申し訳無さそうにぺこりと頭を下げられ、ものの見事に瞬殺されてしまったのだが。


 それだけならば、きっと今の俺はここまで臆病にはなっていなかっただろう。


 顔を上げたその子は込み上げてくる笑いを抑えきれないような表情をしていて。


 次の瞬間に、物陰から一人、また一人とクラスメイトが登場した。


『おいおい、チョロすぎでしょ志摩クン。オレ、お前が惚れないに賭けてたのに』

『だから言ったろ。イチコロだって』

『絵梨花はさすがだねぇ』


 三人の発言で、俺は自分が騙されていたことを察した。縋るように、好きになった女の子の方を見た。


『勘違いさせてごめんね? でも、あんたみたいな地味で面白みのない男子が誰かと付き合えるはずもないのに、勘違いする方も悪いよね。むしろ夢見れてよかったって感じじゃない?』


 勉強のストレスを、気に入らない男子を標的にして発散しようとしたのだろう。


 俺はその思惑にまんまと嵌ってしまった。


 本当に馬鹿野郎だ。


 騙した彼ら彼女らにも、騙された自分自身にも、意外と怒りとかはなくて。


 ただ俺の中に残ったのは、彼女の放った言葉だけだった。


 その通りだと思ったから。


 俺みたいな男が、誰かに好かれるはずなんてない。


 怒りはなかった。


 でも。


 ひたすらに後悔した。

 一瞬でも、在りもしない未来を思い描いたことが、あまりにも恥ずかしかった。


「……えっと」


 柚木の言葉に俺はなんと答えていいのか分からず、言葉を詰まらせていた。


 どうしてか、脳裏に蘇ったのは中学時代の黒歴史。

 俺の最初で最後の恋愛譚。

 いや、あれは恋愛譚と呼ぶにまで至っていなかったかな。


「なんちゃってね!」


 俺が答えに悩んでいるのを察してか、それとももともとそう言うつもりだったのか、柚木が冗談めかして言った。


「なんちゃって?」


「例えばの話なのに、隆之くんすごい困った顔するから」


「……ああ、例えばの話か」


 なんだ。

 そういうことか。


 そういえば、秋名が柚木には彼氏がいるとか言っていたような。

 だとするとどうして今日のイベントに俺を呼んだんだという疑問は残るけれど。


「あたしなんかに好かれたら迷惑かな?」


 自嘲するように笑う柚木に、俺はかぶりを振った。


「そういうわけじゃないよ。ただ、考えたこともないシチュエーションに動揺しただけ」


「そっか。それならいいんだけど」


 あはは、と前を向きながら笑う柚木は再び歩き始める。

 変な空気になってしまったので、俺はこの話題は終わりだと言うように締めの言葉を吐く。

 

「つまり、今の俺には彼女なんて夢のまた夢ってことだよ。空を飛びたいと口にしたほうがまだ現実味あるくらい」


「さすがにそれは言い過ぎだと思うよ」


 俺みたいな男が誰かに好かれるはずがない。


 その考えは、俺の意識に強く根付いてしまっていた。

 俺自身、その言葉にしっくりきたことが大きいけれど、もしかしたら幾分か、あの一件がトラウマになっていて、無意識にそう言い聞かせ、自分を守っているのかもしれない。


 そういう話題になると、深く考えないようにして、軽口で誤魔化してしまう。

 

 つまり。


 知らず知らず。

 

 まっすぐに気持ちを向けられる度に、俺の脳裏に中学時代の過去が蘇る。


 勘違いするなよ、と。

 

 まるで自分を戒めるように。



 *



「今日はありがとうね」


 いろいろと見て回った結果、ハンカチという無難なところに落ち着いた。

 ハンカチなんて何個あってもいいですからね。


「いやいや、俺なんかで役に立てたならよかったよ」


「役に立てたよ。立ちまくりだったよ。こんなときに頼れる人、隆之くん以外にいないから助かっちゃった」


 出口へと向かう中、柚木がそんなことを言うものだから、俺は気になり問うてみる。


「彼氏は?」


「彼氏?」


「いるんだろ?」


「いないよ?」


「ん?」


「うん?」


 変な間ができた。


「彼氏いないの?」


「うん。ちょっと前までいたけど、クリスマス前に別れたし」


「へ、へえー」


 そうなんだ。

 だからなんなんだという話だけど。

 秋名の情報が全然当てにならないことだけは分かった。


「けど、男の友達は多いんじゃないの?」


「学校で話すことはあるけど、プライベートで会うことってあんまりないんだよね。あっちが忙しいから誘いづらいっていうのも少なからずあるけど」


「……ああ、どうせ俺は暇だからね」


 スケジュール帳なんて必要ないくらいに予定は真っ白だし。言われれば基本的にいつでも出動できてしまうまであるし。


「そういうわけじゃないよ。隆之くんは、誘ったらちゃんと来てくれるって信頼してるから誘うの」


「というと?」


 なにが違うんだろう、と俺は好奇心のまま疑問を口にする。


「また遊ぼうとか、いつでも誘ってとか、そういうことを言うけど実は社交辞令だったりすることあるでしょ?」


「あるね。ありまくるね」


 なんなのあれ。

 その気がないなら言わないでほしい。こっちは真に受けて喜んじまうんだよ。

 

「だから、やっぱりちょっと躊躇うっていうか。その中で、隆之くんは大丈夫って信頼をしてるの」


 それって結局、俺が暇だからじゃないんですかね?

 まあ、なんでもいいんだけど。

 その信頼に応えるべく、いつでもいけるわけだし。


「だから、こうして休日に会うのは今のところ隆之くんだけだよ」


「……それは、光栄なことで」


 照れ隠しのように、俺は視線を逸らしながらぽつりと吐き捨てた。

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