第76話 スイートなパラダイス④


 スイーツパラダイス。

 スイーツの楽園と言うのだからさぞかし甘味が並んでいることだろう、と現れる光景に期待を込めていた俺だったが、そんなことよりも驚いたことが一つあった。


「パスタがある」


 パスタがあった。


 幾つかの種類のソースが置かれており、様々なパスタを楽しんでくださいということだろう。


 しかもしかも。


 茹でれるぅー。

 自分で網に麺を入れ、それを好きなだけ茹でることができるらしい。麺の硬さの好みは人それぞれだからさぞ嬉しかろう。


 いや、そんなことよりも、麺を茹で湯切りをするという経験は高校生では中々できない。

 希少な体験に俺でさえウキウキするのだから、これが小学生ともなればどうなるだろう。


 もうこれがしたいがためにパスタ食べるまであるな。


 などと、抑えきれない高揚感につらつらと考え事をしながら俺はパスタに手を伸ばす。


 ちらと横の方を見ると、日向坂さんはさっさとケーキが並べられているであろうエリアへと旅立っていた。


 さすがというか、なんというか。


「……」


 麺を網に入れ、ぶくぶくと沸騰しているお湯の中に入れる。俺はラーメンでも硬麺派なので、今回も設定されている基準の時間より短めに済ます。


 そして、シャッシャと湯切りをする。もちろん大袈裟にやれば周りに迷惑がかかるので最小限の動きに抑えてだが。


 トマトソースをかけて完成だ。


 パスタを片手に日向坂さんが向かっていたスイーツエリアも軽く見に行く。


 一口サイズよりちょっと大きいくらい。そんな言葉があるかは分からないけど二口サイズのケーキが何種類か並んでいる。

 ショートケーキやチョコレートケーキはもちろん、タルトや変わったケーキも置いてあった。


 ケーキ以外にもプチシュークリームやフルーツポンチ。甘味だけでなくポテトやポップコーンなんかも揃っており、これがあの値段かと思うと驚きしかない。


 価格設定がどうかしてる。


 そんなことはどうてもよくて。


 ケーキは後でいいや。とりあえずはこのパスタを冷める前に口にしたい。


 ということで俺は先に自分たちのテーブルに戻る。

 周りは女性客ばかりなので、こうして一人でいると少しだけ浮いているように思う。


 日向坂陽菜乃というバリヤがなければ俺はこの場所にとって異物のようなものなのだ。


「……いただきます」


 できるだけいろんなものを楽しんでほしいということなのだろう、パスタも一つの量は微々たるものですぐに食べ終えることになる。


 が。


 初めての体験をそんな簡単に終わらせたくはない。

 俺は少量のパスタをお箸で掴み、ゆっくりと口に運ぶ。


「……」


 むぐ。

 むぐ。


 ごくり。


 ……うん、普通や。


 そりゃそうだよ。

 プロが作ったものに勝るはずがなく、家で出てくる母のものにさえ到底及ばない。


 作ってるときがピークだな。

 まあ、普通に美味しいことは否定しないけど。


「あれ、志摩くんそれだけ?」


「とりあえずは……ね……」


 日向坂さんはお皿二つにもりもりケーキやらなんやらを盛り付けて帰ってきた。

 そんな彼女を見て俺は文字通り言葉を失った。


 よっこいしょ、とお皿を置いてイスに座る。目の前に置かれるとなおその迫力というか、量に驚かされる。


 いや、食べ放題だし結局これくらいは全然食べるんだろうけど、しかしこうも一皿に盛り付けられるとその見た目に胃もたれしそうになる。


「どうかしたの?」


「いや、量がね」


「あ」


 俺はなんとか言葉を絞り出す。

 すると、日向坂さんはしまったとでも言うようにハッとして声を漏らした。


 女の子だし、食べ放題とはいえこんなにもたくさん食べるのはどうなんだ、とでも思ったのだろうか。


 そういうことを気にするのも大事だけど、俺は全然気にしないけどな。

 むしろ、これこそ日向坂陽菜乃だなと安心するまである。


「ちがうよ。まだまだ食べるけど、とりあえずこれくらいかなって思ってね」


 誤解しないでねー、と日向坂さんは笑いながら付言した。


 そうじゃない。

 せっかくの食べ放題なのにそんだけでいいの? って言いたかったわけじゃない。


「そ、そうなんだ」


 それでこそ、日向坂さんだよね。


 安堵しながら残りのパスタを食べ終えて、俺も改めてケーキを取りに行くことにした。


 目の前で日向坂さんにあれだけ食べられると、男としてそれ以上を食べるべきなのでは?


 なんてことを一瞬考えたけど、そもそも胃袋のキャパシティが違いすぎるので、それが無謀であることはすぐに察した。


 自分のペースで食べよ。


 お皿にケーキを数種類乗せて席に戻る。


 あれだけあった日向坂さんのケーキが半分消えていてまたしても驚かされる。


 そんな日向坂さんを横目に、俺はショートケーキを一口。

 なんというか、実に普通な味だ。可もなく不可もない。ただ、この値段でこれだけ食べれるのならクオリティはこんなもんだろう。


 もちろん、不味いわけではないので全然食べれる。


 ひょいぱくひょいぱく、と次々にケーキを吸い込んでいく日向坂さんの勢いに圧倒されながら、俺はちまちまとケーキを楽しんだ。



 *



「あんまり食べなかった?」


「いや、そんなことないよ?」


 日向坂さんのを基準としたらそうなんだろうけど、十分食べた方だと思う。


 こんな時間にこれだけ食べれば晩ご飯なんか入る余地はない。早々にお察しした俺は母に晩飯が不要である連絡を入れておいた。


 それくらいには食べた。


「そう?」


 不思議そうに首を傾げる日向坂さん。


 食べているものがスイーツだからセーフだったけど、あれが肉ならもう完全に少年漫画の主人公の食べっぷりだった。


 ご馳走したこちらとしては嬉しい限りだったけど。


 ご満悦の日向坂さんと帰りの電車に乗る。あんまり混んでいなかったので難なく席に座ることができた。


 忘れないうちに、と俺はカバンから取り出したものを日向坂さんに渡す。


「これは?」


「一応、形でも返しておこうと思って」


 スイーツパラダイスのご馳走は誠意に対する誠意のお返し。これはホワイトデーとしてのもののお返し。


 日向坂さんにはいろいろとお世話になったわけだし、秋名や柚木には悪いけど少しだけ特別扱いだ。


 まあ、ただの自己満足なわけだが。


「ありがと。でも、悪くない?」


「いや全然」


「開けてもいい?」


「ああ。なんかいい感じのがあったから買っただけだから、味とかは分からんけど」


 照れ隠しじゃないけど、どうしてか言葉がするするとこぼれてしまう。

 言う必要のないことまで言ってしまいそうなので、俺は口を閉じることにした。


「マカロン?」


「そう。俺は食べたことないけど、女子は好きでしょ?」


「偏見だなぁ。まあ、好きだけど」


 渡すべきものは渡せた。

 やるべきこともできた。


 これでミッションコンプリート。

 思い残すことなく、一年生を終えることができそうだ。

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