第71話 チョコレートを君に⑦


「なんで日向坂さんがこんなところに?」


 俺の家と日向坂さんの家は、多分そこまで遠くはない。頑張れば自転車での行き来くらいは可能だろう。


 けど、彼女は徒歩で、明らかに学校帰りにそのまま立ち寄ったような格好をしている。


「……えっと、志摩くんを探してて」


「俺を?」


「うん。連絡とかしたんだけど、全然返事なくて」


「あー、充電切れてて」


 しかも充電器に差したあともそのまま放置していたので全然気づかなかった。


 そのせいで日向坂さんがこの寒空の下で俺を探していたのかと思うととてつもない罪悪感が込み上げてくる。


「ごめん、気づかなくて」


「んーん、だいじょうぶだよ。悪いのは全面的にわたしだし」


 そう言いながら、日向坂さんは自嘲気味に笑った。


「いや、事情はよく分からないけど多分日向坂さんは悪くないでしょ」


 日向坂さんは制服に加えてマフラーと手袋を装備しているけど、それでも寒さを凌げない箇所はある。


 その証拠に、小さな鼻のあたりは真っ赤だ。


 そんな状態で、ずっと動いていたのは俺が彼女のメッセージに気づかなかったからだ。

 

「なにか、温かいものでも」


 たまたまそこにあった自販機を指差す。その場しのぎであってもないよりはマシなはずだ。


「いや悪いよ」


 しかし日向坂さんはいつもの調子で遠慮してくる。

 が。

 もちろん俺とてそこで引くつもりはない。


「遠慮しなくて大丈夫。なんてったって今俺が持ってる財布は母のだからね!」


「なお遠慮するよ!?」


 ババーン! とポケットからピンク色の、明らかに高校生男子が持つことのなさそうな長財布を見ても日向坂さんは納得しなかった。


 無限の財力がこの中には詰まっているというのに。


「本当に大丈夫だよ。このままだと罪悪感に押しつぶされそうだから大人しく奢られてくれないかな」


 自販機にコインを投入しながら言う。

 

「……遠慮してるわたしが悪い感じになってるのはどうしてだろ」


 苦笑いをしながら、ようやく受け入れてくれた日向坂さんが自販機の前までやって来る。


「なにがいい?」


「じゃあ、コーンスープを」


 様々あるホットドリンクの中からあえてコーンスープを選ぶとは。不思議と意外とは思わないけど。むしろ日向坂さんっぽいとさえ思う。


 ガコン、と自販機から出てきたコーンスープを日向坂さんに渡す。彼女は軽く振ってからプルタブを開けてコーンスープを口にした。


 はふ、と幸せそうな吐息を漏らしたところで本題に戻ることにした。


「それで、改めてになるけどどうして日向坂さんがこんなところに?」


 コーンスープを頬に当てながら、日向坂さんはそうだったとカバンの中からなにかを取り出す。


「これを渡したくて」


 俺に渡してきたのは赤の紙で包まれた箱だった。今日というこの日にこんなものを渡されて、なんだこれとはさすがに思わない。俺も学習する生き物なのだ。


 けど。


「これ、バレンタインの?」


「うん」


「わざわざこんなところまで来なくても学校で渡してくれたらよかったのに」


 とは思う。


 タイミングはいくらかあったはずだ。


 たしかに放課後はわりとすぐに教室を出てしまったけど、それ以外にも昼休みや休憩時間もあった。

 なんなら、朝だって顔を合わせたのに。


「ごめんね、ちょっといろいろあって」


「いろいろ?」


「それは、ナイショ」


 誤魔化すように笑う日向坂さん。この顔をするときは中々折れてくれない。きっとこれ以上訊いても返事は変わらないだろう。


 彼女にもいろいろ事情があったということかな。


「……ありがとう。有り難くいただくよ」


 日向坂さんから箱を受け取る。

 薄っぺらい板チョコみたいなものではなく、本当に箱。形からは中になにが入っているか予想できない。


「これ、中身は?」


「チョコレートマフィンだよ」


 チョコレートマフィン、と言われてパッとそいつの全体像は思い浮かばなかった。

 マフィンってなんだっけ。


 俺のリアクションからなんとなく考えてることを察したのか、さらに言葉を付け足してくれる。


「カップケーキみたいなやつ」


「カップケーキ……」


 なんとなく、ふんわりと、それっぽい姿は想像できた俺だったとさ。

 

 なるほどね、マフィンってああいう感じだったか。見た目ほとんど一緒じゃない? じゃあカップケーキでいいじゃんわざわざマフィンとか言わなくてもよくないか? 違いはなんなんだよ。


「多分、うまくできたと思うんだけど」


 もじもじしながら視線を逸らす日向坂さん。その仕草からは、そこはかとない自信のなさを感じさせる。


「もしかして手作りだったり?」


「……うん。ほら、わたし、作るのも好きだし」


「食べるの好きなのは知ってたけど、作る方も好きなのは初耳だね」


「最初の方、余計じゃない?」


 好きだけどさ、と日向坂さんはぷくっと頬を膨らませながら言う。

 その仕草が可愛らしくておかしくて、俺はついつい笑ってしまう。


「笑うなんて、ひどいなぁ」


「いやいや、日向坂さんらしいなと思って」


 フォローのつもりで言ってみたけど、納得していない様子の日向坂さんの機嫌は直らない。

 しかし、いつまでもそんな演技もバカバカしいと思ったのか、すんなり表情はいつもの彼女のものに戻った。


「ちなみになんだけど、くるみちゃんからもらったチョコレートは食べた?」


「いや、まだだけど?」


 なにを気にしているのか、日向坂さんはふむと考えるように顎に手を当てる。

 

「手作り、だったり?」


「たしか、買ったって言ってたよ?」


「……ほんとに?」


「うん」


「ということは、志摩くんはまだ手作りのバレンタインチョコはもらってない!?」


「いや、梨子からは」


「妹ちゃんはノーカンだよ!」


 食い気味で言われてしまう。

 果たして梨子のあの一生懸命さを見ても同じことを言えるかな? なんてことを言えるような雰囲気ではないので俺は言葉を飲み込む。


 シスコンだと思われても嫌だしな。

 違うし。


「じゃあ、日向坂さんが初めてだよ」


 俺が認めると、日向坂さんはふにゃりと表情を緩ませた。


「そっか。そうなんだ。うん、じゃあいいや」


「なにが?」


「なんでもないよ。こっちの話だから」


 どうしてか弾んだ声色に変わった日向坂さん。理由は分からないけど、いつもの調子を取り戻してくれてよかった。


「渡したいものも渡せたし、そろそろ帰るね」


 手に持っていたコーンスープの缶を飲み切ってゴミ箱に入れてからそう言った。


 そういえばもういい時間なんだよな。

 立ち話をしていたから、少しだけ体温を奪われてしまったらしく、ぶるっと身震いをしてしまう。


「送るよ」


「だいじょうぶだよ。すぐそこだし」


「いや、でも」


「ほんとにだいじょうぶ。志摩くん、お買い物の途中じゃないの?」


「……あ」


 そうだった。

 俺は自分の持っているエコバッグの中に母上所望のカレールウが入っていることを思い出す。

 今も母さんはキッチンでカレールウの到着を待っているかもしれない。


「だから、だいじょうぶだよ。それじゃあね」


「うん。また」


 ひらひらと手を振って駅へ向かおうとする日向坂さんの背中を見て、俺は「日向坂さん!」と咄嗟に彼女を呼び止めた。


「あの」


「どうしたの?」


 どうして呼び止めたのか。

 なにかを言わないといけないような気がした。気がしただけで、それがなんなのかはハッキリとしていない。


 呼び止めた手前、なんでもないとは言えないし、こちらを振り返った日向坂さんは俺の言葉を待っている。


「……お返し、ちゃんとするから」


 結局、その答えは見つからなくて。

 そのとき思ったことをそのまま口にした。


「うん。楽しみにしてるね」


 嬉しそうに笑った日向坂さんは今度こそ駅の方へ走って行ってしまった。

 俺はそんな彼女の背中が見えなくなるまで見届けてから、早足で家に帰る。


「遅かったわね」


 帰宅した俺に、リビングで梨子と一緒にドラマを観ていた母さんが言ってきた。


 全然待ってなかった。


「……なににやにやしてんの、お兄」


 きもちわるー、とうんざりしたような顔の梨子に言われて、俺はさっと自分の口元を手で隠す。


 そんなに笑ってたのか、俺。


 カレールウを母さんに渡してさっさと部屋に戻る。鏡を見てみると、いつもの仏頂面に戻っていて安心した。


 いつもは梨子からのチョコレートだけで終わるバレンタイン。しかし、今年はそれに加えて二つも手にしてしまった。


 先程日向坂さんから貰ったものと、今朝柚木から貰ったものをテーブルに置く。


「……ふふ」


 そりゃ、にやけるでしょ。


 気持ち悪いと思いながらも、俺は込み上げてくる笑みをこぼした。

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