第72話 志摩梨子のホワイトデー講座
バレンタインの一幕も終わると、時間の経過は一気に加速し、気がつけば季節は春に移り変わろうとしていた。
三月。
まだ冬の寒さが微妙に残る中、それでも日中はぽかぽかと陽気に照らされるような日もあったりする。
服装でいえば結構面倒くさい時期である。
もうじき桜なんかが咲いたりするのだろうか。普段あまり意識していないから分からないけど、桃色の花びらに見下されると春が来たなと思える。
学年末テストも終わり、あとは残りの授業を消化するだけ。来る春休みに向けて着々と気持ちがダレている三月十三日。
「梨子よ」
同じく春休みを待つだけとなった妹である梨子に尋ねる。
「なに?」
リビングでダラダラとスマホを触っていた梨子は顔を上げてこちらを見た。
俺が中学生のときは携帯なんて持たせてくれなかったのに、梨子には渡しているのだから不平等だと思う。
抗議してみたところ、父曰く『梨子は女の子なんだし、なにかあったら危ないだろうが』と尤もらしいことを言われてぐうの音も出なかった。
最低限の機能だけある携帯にすればよかったのに。普通に高性能スマホを買い与えたからゲームとかしてる。
うちの両親は娘に甘すぎるんだよなあ。
そんなことはどうでもよくて。
「バレンタインデーのお返しってどういうのがいいと思う?」
「それは私のリクエストの話?」
「いや、世間一般的な意見の話。お前へのお返しは毎年だいたい一緒だから悩むほどでもない」
「ちょっとは悩めや」
クリスマスの無茶振りからして、てっきり『ホワイトデーは三倍返しだから。適当なお菓子とか用意してたら許さないわよ』とか言ってくるのかと思いきや、普通にケーキを買ってきたら喜んだので毎年だいたいケーキ。
今年ももちろんケーキ。
「なんのケーキにするかは悩んでるんだぞ?」
「ほんとにぃ? なんか、思い返すと毎度ショートケーキな気がするんだけど」
「悩んだ結果、もうショートケーキでいいかってなってるからな」
「今年はショートケーキ以外で」
今年のショートケーキを封じられてしまったところで話題を戻す。
ケーキという選択肢を許してくれているところ、まだ良心的だしな。
「それで、どうなの?」
「ああ。お返しね」
んんー、と梨子は眉をしかめて唸る。
「チョコレートとか、クッキーとかキャンディとか、なんかいろいろあるよね」
「調べてみると、送るものにそれぞれ意味があるらしいじゃん」
「あー、あるね。なんなんだろうねあれ。あんなの気にしてる人誰もいないけどね」
「まじで?」
「お兄が逆の立場だったとして、もらったものの意味わざわざ調べる?」
「……調べない」
本当だ。
ただただ面倒くさい。
なんも考えずに普通に食べる。
バレンタインにもそういうのあるのか知らんけどもちろん調べてないし。
そうか。
そうなんだ。
「だから、それっぽいものをあげればいいと思うよ。義理ならね」
「義理ならね?」
梨子の言葉を俺はオウム返しする。
「気持ちのこもった贈り物にはそれ相応のお返しをするべきだよ」
むふん、とやけにどや顔の梨子がそんなことを言う。
「本命にはってことか?」
「それはもちろん。でも、手作りにはそれなりに気持ちがこもってるわけだし、ただ市販のお菓子を買って返すだけだと誠意が伝わらない。例えば、そう、私とかね!」
「それが言いたいだけじゃん」
なにをどれだけ言おうとお前にはケーキなんだよ。例年それでいってるんだからわざわざ新しいことしたりしない。
「ケーキ二つくらい買ってきてくれてもいいんだよ?」
「……まあ、わりと為になるアドバイスもあったし、それくらいなら許可しよう」
「やりぃ」
にひひ、と上機嫌に笑った梨子は鼻歌をハミングしながらスマホに視線を戻した。
そういうことで、俺はでかけることにしようか。明日は学校だし、買うなら今日しかないからな。
「どっか行くの?」
「買い物だよ」
立ち上がった俺に興味なさげに訊いてきた梨子にそう言って、俺は出掛ける支度を始めるために自室へ戻る。
春の気配を感じるとはいえ外はまだまだお寒いので上着は忘れない。コートを羽織って玄関に向かうと、さっきまでリビングでダラダラしていた梨子が余所行きの格好をして待っていた。
「どした」
さらさらと揺れる自慢の黒髪はそのままに、上はぴんくのダッフルコートで下は短パンにタイツ。上と下のアンバランスさがエグい。
「暇だし」
「ついてくる気?」
「そんなとこ」
断る理由もないし、むしろケーキを選ぶ手間が省けるまであるので同行することを受け入れる。
二人乗りはいけませんよー、と思いながらも残念ながら我が家に自転車は二台もないので梨子を後ろに乗せてキコキコ走らせる。
こういうときにとりあえず来ればなんとかなるのがみんな大好きイオンモールですね。
その時期その時期のイベントにちなんだ特設コーナーをしっかりと設けてくれているので助かる。
「……ところで梨子よ」
「ん?」
「例えば、太郎くんというどこにでもいる普通の男の子がいたとしてだな」
「お兄はどこにでもいる普通の男の子じゃないと思うけど。ぼっちだし」
「お兄はな。でも太郎くんはそうなの」
「うん。それで?」
「太郎くんは姫子ちゃんという女の子にバレンタインチョコをもらったんだよ。それも手作りの」
「うん」
「その場合、どういうものを返せばいいんだと思う? お前が言うところの誠意が伝わるお返しってなんなんだ?」
「お菓子を返すだけがホワイトデーじゃないんだよ。世の彼氏はその日に彼女を普段行かないディナーに招待したりするらしいし。お兄もそんな感じでどこかに連れて行ってあげれば?」
「太郎くんな」
「ああ、そうだね。太郎くん」
なるほどね、と俺は顎に手を当てる。
たしかに盲点だ。
ホワイトデーだからなにかお返しを渡さなければならないと思っていたが、それは経験無しの固定観念によるものだった。
連れて行く、か。
なるほどなぁ。
そんなことを考えながら、俺は特設コーナーにあるラッピングされたお菓子を手に取った。
「結局?」
「まあな。これを買ったらついでにケーキ屋行くか」
「わーい」
とりあえず買い物を済ませてイオンモールの中にあるケーキ屋へ向かう。
「好きなものを選んでいいぞ」
「二つ買ってくれるんでしょ?」
「ああ」
「じゃあ一つはお兄が選んで。ちゃんと悩んで選んでね」
「……二つとも選べばいいのに」
なんて言いながらケーキが並ぶショーケースを見やる。梨子は上機嫌にあちらこちらに視線を送っていた。
もちろん。
俺が選んだのはショートケーキだった。
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