第70話 チョコレートを君に⑥


 買い物をしなければならないということで、柚木と別れた俺はスーパーに寄って所望されたじゃがいもとカレールウを買って帰宅する。


「ほら、これ」


 リビングで録画したドラマを観ていた母さんに買い物袋を渡す。

 忙しいのかと思ってたけど、これなら自分で買いに行けたのでは?


「んー、そこ置いといて」


 言われたとおりに袋を置いて、俺はさっさと自室に戻ろうとしたのだが、それを阻止したのは梨子だった。


「はい、これ」


 そう言って、手渡してきたのはチョコレートのバウムクーヘンだった。よく分からんけど、作るの大変そうだな。


「さんきゅ。これ、梨子が作ったのか?」


「そうだけど。どう?」


 しっかりホールでくれるのは嬉しいような、食べきれないんだよな。

 見た目は普通に美味しそうだし、毎年のことなので今さら梨子の腕を疑うようなことはない。


「美味そうだな。あとで食べるよ」


「……そ。感謝して食べてよね」


「ああ」


 上機嫌な梨子はキッチンで後片付けを始めた。さっきまでこれを作っていたのだろうか。

 とりあえず美味しく味わうためにバウムクーヘンは冷蔵庫に入れておくことにした。


 そして自室に戻る。


 制服を脱いで、スマホを充電器に差したところでとりあえず横になる。


 なんか疲れたな。

 いつもと変わらない一日だったはずなのに、いつもより疲れたような気がする。


 ぼーっと天井を眺めていると、睡魔が襲ってきたので俺は抗うことなく夢の世界へ招待された。



 *



「……最寄り駅はここ、だよね」


 我ながら諦めの悪い女だと思いながらも、それでもやっぱり諦めることができなかったわたしは、こうして志摩くんの最寄り駅までやってきた。


 こんなことなら住所をきいておくんだったな。


 最寄り駅まで来たはいいけど、ここからノーヒントで志摩くんの家を見つけ出すのはほぼ不可能だと思う。


 けど。


 それはノーヒントならの話だ。


 志摩くんと交わした他愛無い会話の中にヒントは隠されているはず。


 例えば、そう。


『雨の日で電車で来る日は駅前のセブンでコーヒーを買うんだよ』


 という発言から、セブンがある方の出口に向かえばいいことがわかる。


 それ以外にも。


『家の前は狭いから車が来たら大変なんだよ』


 という発言から、狭い道へ向かえばいいことがわかる。


 そんな感じでなんとか道を絞っていき、志摩くんの家へ辿り着くことが目標だ。


 一応、志摩くんにメッセージは入れておいたけど、未だに返事はない。

 いつもはわりと早めに返信があるので、こんな日に限って珍しいことが起こっている。


 わたしは志摩くんからの返信がないことを確認したついでに現在の時刻を見る。


 夕方の五時。


 なんとか、夜までには見つけたいけれど……。


 難しいかなぁ。



 *



「お兄、お母さんが呼んでるよ」


 自室で夢の世界へ旅立っていた俺を容赦なく蹴り起こした梨子が、俺を見下しながら言った。


「なんだ?」


「なんか、晩ご飯の材料が足りないんだって」


「……俺買ってきたのに?」


「そう言ってるんだもん」


 それだけ言って梨子は俺の部屋から出ていってしまう。

 時計を見ると時刻は十八時。どうやら一時間ほど眠っていたらしい。


 おかげでスッキリしているので、買い物くらいなら仕方ないけど行ってやるかという気分である。


 そんなわけでリビングに降りる。


「なにが足りなかったわけ?」


「カレールウ」


 キッチンに立つ母に尋ねると、そんなことを言ってくる。


「俺買ってきただろ?」


「うちのカレーはバーモンドととろけるカレーをブレンドしてんのよ。だからとろけるカレーのルウが足りない」


「妥協するという手段は?」


「ない」


 言って、財布を渡してくる。

 別にもともと行くつもりだったからそれ以上なにか言うことはなく、しかしそれを受け取りつつふと思う。


「これ、別に梨子でもいいのでは?」


「私はどっちでもいいから買ってきてって梨子に頼んだのよ」


 母さんがそう言うと、リビングでテレビを観ていた梨子がぴくりと動く。

 どうやら買い物に行くのが面倒くさくて俺を起こしたらしい。


「お兄はバウムクーヘンを作ってつかれてる私を買い物に行かせるつもり!?」


「……行きたくないなら素直にそう言えばいいのに」


「行きたくない」


「どうして?」


「こんな時間に女の子が一人で歩くのは危ないから」


「本音は?」


「めんどい」


「……」


 ぶっちゃけるなあ。

 まあいいけど。


「行ってくるわ」


「ん。気をつけてね」


 そんなわけで家を出る。

 家を出て少し歩いたところでスマホを忘れたことに気づいた。


 まだ十分に取りに戻れる距離だけど、スーパーにカレールウを買いに行くだけだし別にいいか。


 まだまだ冬ということもあり、この時間は周りが十分に暗い。たしかにこんな中を女の子が一人で歩くのは危ないかもしれない。


 スーパーまでは歩いて五分程度。駅に行くよりも近いところにあるのでそこまで手間ではない。


 スーパーに到着し、カレールウを探す。たまにしか来ないので場所の把握をしていない分、時間がかかる。


 店内を徘徊してようやく見つけたところで、母ご所望のとろけるカレーとやらを手にしてレジへ。


 会計を済ませ、エコバッグにカレールウを入れてさっさとスーパーを出る。


 寒さのピークは超えたのか、もちろんまだまだ寒いけど、短時間の外の空気は意外と心地よい。


 自転車に乗っていると空気に触れる肌が冷たいけど、歩いているとそうでもない。


 はあと息を吐くと白く色づき風に吹かれて消えていく。


 そんなことをしながら、家までの道をとぼとぼとゆったり歩いていた。


 そのときだ。


「……」


「……あ」


 曲がり角から人が現れた。

 こんなところにいるはずのない人物。その人は俺の顔を見て、まるで幽霊でも見たように目を丸くして驚いた。


 もしかしたら、俺も同じような顔をしているかもしれない。


 動揺し、止まった思考を無理やり動かし、なんとか彼女の名前を口にした。


「日向坂さん?」


「志摩くん! やっと見つけた」


 彼女もまた俺の名を口にする。

 盛大に吐かれた日向坂さんの白い息は、びゅうと吹いた風に消されてしまった。

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