第67話 チョコレートを君に③
昇降口で柚木と別れた俺は教室へ向かう。とぼとぼと歩いていたところ、後ろからぽんと肩を叩かれ振り返る。
「おはよ、志摩くん」
「おはよう、日向坂さん」
そこには日向坂さんがいた。
いつも朝から太陽のような笑顔を浮かべている人だとは思っていたけれど、今日はいつにも増してにこやかに見える。
「なんかご機嫌?」
「そう見える?」
自覚はないのか、日向坂さんは不思議そうに首を傾げる。
「なんとなくね」
「志摩くんがそう言うのなら、じゃあそうなのかもね」
「俺の言葉には塵程度の信憑性も持たないほうがいいと思うけど」
「いやいや、月くらいには信憑性持ってるよ」
発言一つひとつに責任が伴うレベルじゃねえか。余計なことは言えなくなったな。
そんな軽い雑談を挟んで、俺たちは二人並んで教室へ向かう。
「一年生ももうすぐ終わりだね」
どこか終わりを迎えようとしている校内の雰囲気を感じ取ってか、日向坂さんがそんなことを言った。
「この時期になると三年生の姿もちらほらとしか見なくなるし」
「そもそも志摩くんは三年生の姿を見ないでしょ」
「それな」
言っている間に俺たちも一年生の全日程を終える。そうなれば春休みを迎え、問題なければじきに二年生になるだろう。
「あんまり高校生活に期待はしてなかったけど、一年生の後半は楽しかったからクラス替えがちょっと憂鬱だ」
日向坂さんや秋名はもちろんのこと、雨野さんや野中さん、最近だとたまに樋渡も喋ることがある。
あの頃に比べると、クラスメイトの俺の認知度は確実に上がったことだろう。
しかし、クラス替えが行われれば今の人間関係がリセットされる。知らない人が溢れる新しい環境で今くらいの生活を送るにはどれだけの時間と苦労が必要なのだろう。
考えただけでぞっとする。
「クラス替え、か……」
日向坂さんは俺以上にクラスメイトとの交流がある。だからか、クラス替えを前に憂鬱そうな顔を浮かべていた。
「日向坂さんなら、新しいクラスになってもすぐに友達くらいできそうだけどね」
「それは、そうかもだけどね」
否定はしない。
事実そうやってきたのだから、ここで謙遜する理由はないか。彼女はありのままの現実をただ吐露しているだけだ。
ここで否定すらしない自信が羨ましくて、眩しく思える。きっと俺には一生得ることのできないものだ。
「新しいお友達が増えるのはいいんだ。でも、今仲良くしてる人と離れるのがね」
言いながら、ちらと日向坂さんは俺の方を見た。
「志摩くんはクラスが離れると一気に関わる機会がなくなりそうなタイプだよね」
「そんなことないと思うけど」
とは言いながらも、それに関しては同意である。
例えば日向坂さんを例にして考えてみると、別のクラスになってしまった彼女のもとへ向かうことはまずない。
新しい環境に足を踏み入れた彼女は間違いなく、そこで新しい立場を確立させるだろう。
それはクラス内における扱いもそうだし、新しい友達との関わりもそうだ。
それを考えると、俺が行くことで迷惑をかける恐れがある。なにせ、その環境にとって俺は異物でしかないのだから。
つまり、俺は再びぼっちになろうとも、他クラスの日向坂さんを頼ることはほぼないと言える。
「そうかな。じゃあ、もしもクラスが離れても友達でいてくれる?」
「それはこっちからお願いしたいくらいだよ」
そっか、と日向坂さんはぎこちなく笑った。いつもにこやかに笑う彼女にしては珍しいことだった。
そんな彼女にかけてあげる言葉が見つからず、少しの沈黙が起こった頃、俺たちは教室にたどり着いた。
あと何回、このドアをくぐることになるのだろうか、なんて少し感傷に浸りながら中に入るとやけにざわざわしていた。
「どうかしたのかな?」
なんというか、浮足立っているような雰囲気。中でも男子がそうなので、これはバレンタインデーにおける例の現象だろう。
「バレンタインデーだからでしょ」
「バレンタインデーだとこうなるの?」
「チョコレート欲しさにね」
学校でクラスメイトから貰うというイベントは起こらなかった俺でさえ、中学時代はもしかしたらとソワソワしたものだ。
そんなワンチャンあるはずないのに、というのは最近になってようやく悟った。
「なんか大変だね」
「愚かだと思うよ。自分も含めて」
それが男という生き物なのである。この日に限り愚かな妄想に脳を支配される魔法にでもかけられているようだ。
「志摩くんもそんなこと考えるの?」
「以前はね。ただ、今はないよ。現実というものをこれでもかというくらいに直視してるから」
それに、と俺はカバンの中からチョコレートを取り出す。そう、今朝柚木からもらったものだ。
「それは?」
「今朝もらったんだよ」
「妹ちゃんに?」
「いや、柚木に」
「……くるみ、ちゃんに?」
なんでもないように言った俺とは違い、日向坂さんは俺の言葉に動揺を見せた。
俺が義理チョコをもらうことがそこまで意外だったのだろうか。
最近はわりと喋るし、義理チョコをもらってもおかしくはないと思うのだが。
「そう。朝、会ってさ」
「そうなんだ……偶然会ったってこと?」
「いや、今日は珍しく待ってたみたい。これまでそういうことはなかったから、それにはちょっと驚いたな」
「……わたしも自転車で登校しようかな……」
かき消えるような声で日向坂さんが言う。
日向坂さんの最寄り駅は俺が降りる駅の一つあとだったはずだ。
「あそこからはちょっと遠いんじゃない?」
「……だよね」
通えない距離ではないけれど、女の子が朝から自転車を走らせるには少し遠いような気がする。
しかし、どうして急にそんなことを言い出したのか。
それは謎のまま、一日が始まってしまった。
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