第65話 チョコレートを君に①
「志摩くんってチョコ好き?」
日向坂さんがそう尋ねてきたのは二月に入って少ししてからのことだった。
寒さのピークを迎えようとしているこの時期は家を出ることさえ億劫になり、朝はついつい学校をサボることを考えてしまう。
もちろん、そんな度胸はないのでこうしていつもと変わらずに登校しているわけだが。
教室に到着してしまえば暖房が効いているのでむしろ家よりも暖かいまである。
「好きか嫌いかで言うなら好きだけど」
「そっか。どんなチョコが好き? 甘め? それともビターなチョコ?」
「甘め、かな」
突然そんなことを訊いてきて、どういうことなんだろうと思ったけど、少し考えて思い至る。
もうすぐあのイベントだ。
「志摩くんはバレンタインにチョコとかもらったことある?」
「それ、答え分かってて訊いてない?」
「ぜんぜんだよ」
「もちろん貰ったことなんかないよ。妹からのチョコをカウントしていいのなら話は別だけど」
「妹さんはカウントしちゃダメだよ」
「じゃあ、ないね」
「そっかそっか」
「なんでちょっと嬉しそうなんだ」
「気のせいだよ」
どこかご機嫌な日向坂さんはそれ以上なにか言うことはなかった。
「今年は楽しみにしててね」
*
日向坂さんがそんなことを言っていた日から時間は経過して、本日は二月十四日。
バレンタインデー当日だ。
「お兄はどうせ今年もチョコもらえないんだよね」
朝食を食べていると、パンをかじりながら楽しそうに言う。
いつもは梨子の軽口に対して、なにも言い返せない俺であるが、今年は違うのだ。
「そうでもないぞ」
自信満々に言い返す。
「え」
「え」
俺の向かいに座っている梨子も、キッチンでカタカタと作業をしていた母さんも驚きの声を漏らす。
「クリスマスに予定あったし、初詣も行ってたし、あんた知らない間に彼女でも作ったの?」
母さんは信じられないものを見るような目で俺を見てくる。実の息子に対して向ける目ではないことだけは確かだ。
「そんなんじゃない」
「お兄、見栄とか張らなくてもいいよ? 友達に自慢したいなら私気合い入れるし」
「そんなんじゃない」
「一つじゃ不安なら母さんも頑張るわよ?」
「必要ない」
失礼な家族だ。
そういえば、クリスマスのときもえらく驚かれていたな。
それだけ俺に友達がいなかったわけなので、仕方ないのだろうが。
「今どきの学生は友達同士でチョコを送り合うんだよ。俺にもそういう友達ができたってだけだ」
「お兄に女の友達が?」
「そうだ」
梨子は複雑そうにぐぬぬと唸る。
そこまで俺に友達ができるのが嫌なのか。兄がぼっちであることを喜んでいるというのか?
「じゃあ、私はもうチョコ作らなくていいのかな……」
しゅんと、梨子が落ち込んだように分かりやすく弱々しい声を漏らす。
母さんがキッチンから俺の方を睨んでくる。もちろん分かっているからそんな怖い目で見ないで。
梨子はバレンタインデーに毎年チョコレートを作ってくれていた。
初めて作ってくれたのは、梨子がまだ小学生のときだった。調理実習でチョコレートを作ったらしく、それを俺にくれたのだ。
『美味しいな』
そもそもピーナッツを入れるというアレンジはあるものの、チョコレートを溶かして型にはめて固めてるだけなので不味くなるはずがないのだが。
『ほんとに?』
普段料理をしない梨子は、自分の作ったなにかを食べてもらって褒められるのは初めてだったのだろう。
嬉しそうに言っていたのは今でも覚えてる。
『ああ』
『来年もほしい?』
『もらえるもんはもらう』
『じゃあ、がんばってつくるね!』
それから梨子がバレンタインにチョコレートを作ってくれるのは毎年恒例のことになった。
なんだかんだ言いながら俺自身楽しみにしていたところはある。
「俺は梨子のチョコレート楽しみにしてるから、もらえる方がいいかな」
「ほんとに?」
「ほんとほんと」
これはご機嫌取りとかではなく、本音である。そもそも妹のあんなしょぼくれた顔なんか見たくはない。
まあ、どんだけチョコレート作りたいんだという話だけど。
「しかたないなあ。お兄がそこまで言うなら、今年も作ってあげるよ」
ようやく機嫌を直してくれた梨子を見え、これには母さんもニッコリである。
そんな志摩家の朝食の風景をお送りしたところで時間がやってきたので出発したいと思う。
自転車にまたがりペダルを踏む。
この時期は寒いので自転車で向かうのが辛いと感じる日もある。けど電車で行くのは余計に時間がかかってしまうので、寒さを堪える他ない。
マフラーと手袋はマスト。あとカイロ。体は防寒しているけど、顔とか吹きさらし状態のところはもう寒い通り越して痛い。
強盗とかがつけてる全体を覆うマスクみたいなの欲しい。あれ多分本来は防寒グッズだろ。
あいつらのせいでネガティブなイメージが根付いてしまったに違いない。
それでも自転車を漕いでいると段々と体は温まってくる。白い息を吐きながら進んでいると、曲がり角のところで見知った顔を発見した。
キキーっと、そいつの前でブレーキをする。
「こんなところで何してんだ?」
知ってる顔があるのに話しかけないのもどうかと思い、俺は妥当な質問を投げかける。
「隆之くんを待ってたんだよ」
よっと言いながら、壁に体重を預けていた柚木くるみは壁から背中を離した。
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