第49話 聖なる日の祈り⑯


 財津翔真の失恋を最後にクリスマス会はお開きとなった。

 さすがにあの空気のあとになにかしようとはならなかったし、まして二次会へレッツゴーと言い出すような空気の読めないやつもいなかった。


 各々、仲のいいグループで次のお店に行くもよし。今回新しくできた縁を大切にするもよし。このまま家に帰るもよし。


 そんな感じだ。


 財津はイケメンだけど、どこまでもクソ野郎で、俺はあいつのことが嫌いだった。


 けど、誰からも慰められることなく一人聖夜の闇へと消えていく彼の後ろ姿を見たときは、少しだけ胸が傷んだ。


「志摩くんはもう帰る?」


「そうだね。慣れない空気感にさすがに疲れたし。日向坂さんは?」


「じゃあわたしも帰ろっかな」


 じゃあ?

 どういう意味だ? と俺が眉をしかめると、それを察したのか日向坂さんが補足説明をしてくれる。


「友達にこのあとサイゼにでも行かない? って誘われてて」


「行けばいいのに」


 俺が言うと、日向坂さんは少し疲れたように笑う。

 

「んー、まあ、わたしも疲れたしね。いろいろあったし」


 なにが、とは言わないけど何を言わんとしているのかはお察しだ。


「大変だったね、としか言えないよ」


 俺が苦笑いをすると、日向坂さんはあははと笑った。


 どうやら秋名は他のグループの友達とどこかへ寄って帰るらしく、他のクラスメイトもそれぞれ散っていく。


 気づけば、カラオケ前には俺と日向坂さんだけが取り残されていた。


「それじゃあ行こっか」


「ああ、うん」


 そうして、二人して歩き出す。


 なんだか今日は随分長い一日だったような気がするな。

 妹のクリスマスプレゼントを選んだのって今日のことなんだよな、と驚いてしまう。


 プレゼント、で思い出す。


「あ、そうだ」


「ん?」


 さすがはクリスマス。

 夜の十時程度では人の数は減らない。ましてそれが都会であればあちらこちらに人が流れている。


「ちょっと話せる?」


 こんなところで立ち話はできない。

 どこか落ち着ける場所に移動しないと切り出せないぞ。


「う、うん」


 返ってきた日向坂さんの返事は少し緊張したような声色だった。

 大丈夫だよ、ひと気のないところに引きずり込んで襲いかかるような度胸はないから。


 どこかないかなと、夜の街を散歩するように歩き回る俺たち。

 普段ここに来ないので土地勘がほとんどなく、あそこに行けばいいかという候補が思い浮かばない。


 駅から少し離れてしまったけど、ビルとビルの間にある広場のような場所に辿り着く。


 シーズンがシーズンなので、どこもかしこもイルミネーションの装飾によりピカピカと光を灯している。

 それはここも変わらないようで、どこを見上げても光っているし、なんならめちゃくちゃ大きなクリスマスツリーが立てられている。


 ロマンチックな場所であることは明らかで、それを証明するようにカップルがあちらこちらでイチャイチャしとる。


 ラブラブするには絶好のスポットであるので、こんなところでイチャイチャすなやと言うこともできず、俺はどうしたものかと考える。


 これ以上宛もなく歩かせるのは悪いけど、こんなカップルだらけの場所で話をするのも悪いような気がする。


 人はいるけど、皆それぞれ自分たちの世界にいるので周りは気にしていないし、止まっているのでお互いが邪魔にならない。


「ここでいいかな?」


「うん、だいじょうぶだよ」


 たまたまベンチが一つ空いていたのでそこに腰掛けようとしたけど、向こうから別のカップルが来ているのが見えて諦めた。


 あっちもこちらに気づいたようで、どうしたものかとぎこちなく動いていたので速やかにUターンをして譲る意思を伝える。


 結局、立ち話になった。

 そんな長々話すつもりもないから別にいいか。


「それで、その、お話ってなにかな?」


 そわそわした調子の日向坂さんが、視線を泳がせながら言う。


 なんか小っ恥ずかしいのでさっさと要件を済ませて帰ってしまおう。うん、なんかこの空気感は良くない気がする。


「これ」


 カバンの中から袋を取り出し、日向坂さんに渡す。

 渡されたものだからとりあえずそれを受け取った日向坂さんだけど、なにがなんだか分からずにきょとんとしている。


「まあ、あれだよ、クリスマスプレゼント的な」


「え、と」


「……友達にプレゼントを送るのはおかしいことじゃないと思って」


 恥ずかしさのあまり視線を逸らしてしまう。照れ隠しのようにぐしぐしと頭を掻きながら俺は早口に言った。


 友達、という言葉を口にするのはやっぱり恥ずかしい。

 けど、日向坂さんもそう言ってくれたから。だから、俺もきちんと言葉にしようと思った。


「……」


「あの、なんか言ってくれないと困るんだけど」


 結構勇気を振り絞っての行動なのに、目の前で固まられると自信を失くしてしまう。


 これからは友達としてよろしく、という儀式的なものだと思っているのだが。


「ご、ごめんね。驚いちゃって。あと、その、嬉しくて。開けてもいい?」


「……できれば家に帰ってから開けてほしいけど」


「開けるね」


 じゃあ訊くなや。


 ガサゴソと袋を開けて中のものを取り出す。


「これって」


 袋から取り出したくまのぬいぐるみを見て、日向坂さんが声を漏らす。

 この前、プレゼント交換の品を買いに行ったときに日向坂さんが見ていたものだ。


 プレゼント交換用のものを買うときにこれも買いに行った。というより、これを買うために日向坂さんと一時的に別行動をした。


「なんか、気に入ってるような気がしたから。いらないならななちゃんにでもあげてくれればいいよ」


「いや」


 俺の言葉に被せるように日向坂さんが言う。

 日向坂さんは顔をうずめるように、ぎゅっとくまのぬいぐるみを抱きしめた。


「誰にもあげないから」


 うつむくような顔のまま、上目遣いをこちらに向ける日向坂さん。


 そんな彼女のことを、俺は素直に可愛いと思ってしまった。


 どきどき、と。


 心臓の音がうるさく感じる。

 これまでにないような感覚に、俺は思考が鈍るのを感じた。このままでいると、よくない気がする。


 きっと、このクリスマスの空気やロマンチックな雰囲気に影響を受けているんだ。


 そうに違いない。


 そうでもないと、まるでこれは――。


「ありがとね、志摩くん」


「……それを渡したかっただけなんだ。用事も済んだし帰ろう」


 これ以上ここにいると、言うべきでないことまで言ってしまいそうな気がする。


 一刻も早く帰らないと。


「あ、ちょっと待ってよ志摩くん」


 スタスタと歩き始めた俺を日向坂さんが追いかけてくる。


 隣を歩く彼女との距離が少しだけ近くなったような気がした。

 物理的にもそうだけど、精神的な意味でもだ。


 なにか話せば口を滑らせてしまうような気がして、駅までの道で沈黙が続いてしまう。


 気まずく感じてないかな、と日向坂さんの様子を伺うように見てみると口元には笑みが浮かんでいた。

 どこかで流れていたクリスマスソングをハミングする彼女は、どうやらご機嫌な様子だ。


 俺の視線に気づいた日向坂さんが俺の顔を見上げてくる。

 どうしよう、と一瞬焦った俺だけど、日向坂さんはにこりと笑うだけですぐに前を向いた。


 そしてやっぱり、沈黙は続いた。


 けど、やっぱり居心地は悪くなくて。二人の歩幅が重なって、彼女の息遣いを感じるこの距離感は心地良ささえあって。


 この時間がもう少し続けばいいのに、なんて独りよがりなわがままを考えてしまう。


「駅、ついたね」


「そうだね」


 電車の中は意外と空いていて驚いた。

 帰る人はもっと早く、帰らない人はもっと遅い、実に中途半端な時間なのだろうか。


 もうすぐ最寄り駅だ。

 そういえば今年ももうすぐ終わりだということを思い出す。


 あまりこういうことを誰かに言うことがないので忘れたけど、年末って挨拶的なものをするはずだよな。


 なんて言うんだっけ。

 今年はお世話になりました、的な感じか?

 いやいや、そんな堅苦しいのじゃないだろ。

 友達なんだから、もうちょっとフランクに。


 先に降りるのは日向坂さんだ。

 彼女が立ち上がったところで、俺は慌てて口を開く。


「日向坂さん」


「うん?」


「えっと、もう年末だし、その……良いお年――」


「ちょっと待って」


 言おうとしたとき、ほぼほぼ口にしたけど、それを遮るように日向坂さんが俺の口元を抑えてきた。


「今年はまだ残ってるよ。その言葉を言うのはたぶんまだ早いよ」


「いや、でも」


「だから、今日のところはだよ」


 そのとき。

 電車は駅に到着して。

 プシューと扉が開く。


「日向坂さん」


「うん?」


 軽く手を挙げ、さっきのやり取りなんてなかったように言う。


「また」


 すると、彼女もにっと笑って手を振ってくる。


「うん。またね」


 ホームに降りた彼女は、俺が乗る電車が出発するまで見届けてくれて、俺も彼女がいるホームが見えなくなるまで見続けた。


 一人になったところで、ふうと息を吐く。


 電車から降りた、家までの帰り道。

 

 これまでに過ごしたことのないクリスマスに、圧倒的疲労感と圧倒的満足感を覚えながら、俺は小さくクリスマスソングを口ずさみながら聖夜の夜道を一人歩いた。

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