第35話 聖なる日の祈り②
「あの」
女の子を挟むように立つ男二人。
これはもう完全に逃さないという意志が伺えるポジショニングだ。
バスケとかで発揮したらいいのに。
俺の声は聞こえたはずなんだけど、普通にスルーされた。聞こえてなかったのかな。
あんまり声出してないから思ったより出てなかった?
それか、この男の人二人に俺がめちゃくちゃビビっていて声が出ていなかったか。
二択のどちらも声が出てないですね。
すうはあ、と深呼吸をしてからもう一度、今度は気持ち大きめを意識して言う。
「あの!」
「うるせえッ」
「シカトしてんだよ察せ」
「すんません」
急に振り返られ怒号を浴びせられ、俺は咄嗟に謝罪してしまった。
別に悪いことしてないのに。
「て、いや、そうじゃなくて」
勢いに流されて立ち去るところだった。俺はハッと我に返って再び二人に立ち向かう。
「ンだよ」
ツーブロックの男がこちらを振り返る。すげえ鬱陶しそうな顔をしてる。そりゃそうか。
「その子、困ってるというか嫌がっているように見えて」
「で?」
「……で?」
いや察せよ。
とは言えないけど。
「いや、だから、放してあげたらどうかと」
「余計なお世話だよ」
それはお前のセリフじゃねえだろ。
いや、言えないけど。
「ウザイからどっか行けよ。今なら見逃してやるよ」
「気が変わる前に失せろや。さっさとしねえとぶん殴るぞ」
まじでなんなんだこいつら。ちょっと気に入らないことがあったらすぐに殴るとか言う。サルでももうちょっと我慢強いぞ」
もちろん、言えないけど。
「は? 誰がサルだって?」
「いや、サルより酷いって……んん?」
あれ、口に出てた?
そんなベタなことを俺がしてしまっただと?
でも、お二人様がめちゃくちゃキレていらっしゃるので、多分だけど口にしてたんだろうなあ。
あー、これはやべえなあ。
「ブッ殺す」
「同じく」
指の関節をポキポキと鳴らしながら、もう女の子のことなんて忘れてこちらを向いている。
もちろん俺が喧嘩で彼らに勝てる可能性は皆無である。僅かな可能性が、とか言うまでもないくらいに皆無だ。
こうなると手は一つしかない。
「あ、お巡りさんこっちです!」
俺は遠くにいるお巡りさんに気づいてこちらに呼ぶよう声を出す。すると、一瞬彼らの意識がそちらに向く。
その瞬間。
一秒程度の隙をつき、俺は女の子の手を引いて走り出す。
「あッ」
「てめェ」
もちろんお巡りさんなんかいない。
そんな都合よく現れるようなご都合展開は残念ながらない。あってもいいと思うんだけど。
「あ、あの……」
「いいから走ってッ。捕まったら終わりだと思え。主に俺がッッッ!」
「は、はい」
とはいえ、これだけ人が行き交っているんだ。あちらこちらに逃げ回れば、追いかけてくるのは難しいはずだ。
ここさえ乗り切れば二度と会うこともない。
ちらと後ろを確認する。
人の波に飲まれているけど、どこかから「逃げんなクソ」「ぜってえブッ殺す」と汚い言葉が聞こえてくるのでまだ油断はできない。
「……はあ、はあッ」
「はぁ、は、はぁッ……」
とにかく、ただ全力で、ひたすらに、がむしゃらに、逃げ続ける。
自分でもどこに向かっているのか分からない。とにかく目の前にある人と人の隙間を通り抜け続けて前に進む。
どれだけ走ったかも分からないけど、疲れ果ててもう足が動かなくなった頃、いつの間にか男二人の声は聞こえなくなっていた。
「……なんとか逃げ切ったか」
人混みに助けられたな。
ありがとう、クリスマスに浮かれる諸君。その働きに免じて、今日は一切の文句を言わないでおこう。
「あ、あの……手」
「ん? ああ、ごめん」
言われて、俺は慌てて彼女と繋いでいた手を放す。逃げるのに必死でなにも考えていなかった。
「いえ、全然。そのありがとうございます。命がけで助けてもらって」
「別に命がけで助けたわけじゃないけどね。結果的にそうなっただけで。今思うと、君まで走る必要はなかった」
俺を追いかけ始めたところで彼らの標的は俺に切り替わっていた。だから、なんならあの場に置いていっても彼女は助かっただろう。
必死過ぎてそこまで頭が回っていなかった。
「あ、そうだ」
冬だというのにドパドパと流れてくる汗を拭いながら、俺はカバンの中に入れていた財布を探す。
赤茶のミドルボブ。毛先にはウェーブがかけられていて少し大人びているように見える。
身長は低めで、中学生くらいに見える女の子。
財布の中にあったプリクラに映っていた一人によく似てる。
「これ、君のじゃないか?」
「わ、え、どこで?」
「道に落ちてて。もともと、それを交番に届けようとしてたところだったんだ」
リアクションからして、やはりこれは彼女のものらしい。確信はないけど、もうそれでいいだろうと俺は財布を手渡す。
「当然中身は盗ってないけど気になるなら確認しといて」
「いえ、そんなことをするような人には見えないので。えっと、なにかお礼を」
「いや、そういうのはいいよ。別にお礼が欲しくてやったわけじゃないし」
言いながら、俺はスマホで時間を確認する。しっかり五時三十分は過ぎている。
見ると、日向坂さんから着信が入っていた。
「でも」
「人を待たせてるんだ。それに、いつまでもこの辺にいたら、さっきの奴らに見つかるかもしれない。俺はまだ死にたくない」
あの調子だ。
きっとまだどこかで俺のことを探しているに違いない。
さっさと合流してカラオケにでも入ってしまえば安心だろうけど、それまでは気が抜けない。
見つかったらボコボコ不可避だからな。
「えっと、じゃあお金を」
「いや、ほんとに大丈夫だって」
ただ、そうか。
世の中には日向坂さんのように、貰ったものを返さないと気が済まないという人もいる。
けど、お金とか貰うのはやっぱりちょっと違うし、飲み物でも奢ってくれればそれでいいんだけどそんな時間はない。
ということで。
「もしどこかで会うようなことがあったら、アイスクリームでも奢ってくれ」
いつか彼女が俺にそうしたように。
そのときのことを思い出し、ついアイスクリームと言ってしまった。
「あ、や、わかりました」
渋々ではあるけど、納得してくれた。
まあ、彼女もきっと思っているんだろう。
こんな多くの人の中でたまたま出会った俺たちが、この先どこかで再び顔を合わせることはないだろう、と。
分かっているのだ。
けど、今はそうやって言い訳を与えて納得してもらうことが大事だから。
「それじゃ、行くよ」
「あの、名前だけでも」
縋るような彼女の言葉をさすがに無視はできなかった。
名前を教えるくらいはなんでもないしな。
「志摩隆之」
それだけを言い残し、俺はその場から走り去る。ちらと後ろを振り返ると、彼女は俺の姿を見送るように、さっきの場所から動かないでずっとこちらを見ていた。
走りながら、スマホを手にして日向坂さんに連絡を取る。
さっきから走ってばっかりだな。
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