第21話 勉強会は修羅の時間②


 以前、一度日向坂さんに連れてきてもらったケーキ屋さんへとやってきた俺たち。


 このお店のイートインスペースは比較的小さいので、勉強をするには適していないのでは? と思ったのだが、大丈夫だと言う日向坂さんについてきた。


 せっかく来たのでケーキは食べようということで注文を済ませた俺たちは、やはり誰もいないイートインスペースに座る。


「大丈夫なんですか? ここで勉強とかしちゃっても」


 ケーキと、サービスだというオレンジジュースを持ってきてくれたお兄さんに訊いておく。


「ああ、心配しないで。この時間は大して混まないから。イートインなんて誰も使わないよ」


 それはそれで別の心配をするべきではないか、と思ったけど飲み込んだ。俺がどうこう言う話でもないしな。


 あの人は店長さんらしく、この店を任されているらしい。名前は正木広海さんだと、今日にしてついに名乗られた。


 広海さんは店頭の方に戻っていったので、とりあえず俺たちはケーキを食べてしまうことに。


 俺はショートケーキ、日向坂さんはモンブランを選んだ。

 一口食べ、やはり美味いなと感心する。

 ふわふわのスポンジ生地、甘すぎない生クリームといちごの酸味が絶妙だ。多分他にも工夫が施されているのだろうけどそれは俺の庶民舌では分からない。


 日向坂さんも美味しそうにケーキを食べているので邪魔するのも憚られ、しばし黙々とケーキを食べる時間が続いた。


 二人ともケーキを食べ終えるといよいよ勉強の時間が始まる。それぞれノートを広げて苦手分野の教科に取り組む。


 少しして日向坂さんが指で俺にサインを送ってきたので顔を上げる。


「ごめんね、ちょっとここが分からなくて」


「どれ?」


 逆を向いているノートをこちらに向けてくれたので様子を見る。


「あー、ここは――」


 俺が解説するとふむふむと唸りながら再トライする日向坂さん。今度はちゃんと解けたようで喜んでいた。


 そのあとも定期的に分からない問題があり、その度に俺は彼女に説明をした。


 しかし、意外とその時間自体が無駄だとは思わず、むしろ教えることで今一度自分の中で咀嚼できる分、いい勉強になることが分かる。


 俺の暗記系の教科だと教わることはさしてないだろうと思っていたけど、日向坂さんは覚え方や答えと答えの繋げ方など、教わることは意外と多かった。


 教え方が上手いのか、俺の頭の中にもすらすらと入っていく。

 特に、後半に行った日向坂さんに問題を出してもらって俺が答えるというやり方は不思議と記憶に残った。


 いわく、大事なのは楽しむことらしい。

 嫌々勉強をしても脳がインプットを拒否してしまう、しかしそこになにか一つ楽しさを見出だせれば脳が活発に動く……ような気がするらしい。


 科学的根拠なんてないだろうけど、事実苦手だった教科を克服しつつある。


「日向坂さん、教え方上手いな」


「そう?」


「うん。不思議と頭に単語が入っていく」


「暗記系といっても、単語だけを覚えても意味ないからね。大事なのは問題文と答案を紐づかせることなんだ」


 二時間ほどお互いの苦手分野をフォローし合いながら勉強を進めた俺たちは小休止を挟む。


 タイミングを見計らって、広海さんがクッキーとジュースのおかわりを持ってきてくれた。


「お疲れ様」


「あ、ありがとうございます」


 いつもならば日向坂さんに絡んでから帰るところだけど、勉強の邪魔はしまいと思ってか、今回はすんなり引いていく。


「このクッキーも売り物?」


「うん。あっちの棚に置いてるやつだよ。これも美味しいんだー」


「……貰っちゃっていいのか?」


 どうにも悪いような気がして食べるのを躊躇っていた俺をよそに、日向坂さんは気にせずひょいぱくと口に放り込む。


「だいじょうぶだよ。くれてるんだし」


 しかし、日向坂さんの広海さんに対する気の遣わなさは不思議に思う。身内くらいの感覚で接しているように見えるのだが。


「どうしたの?」


「いや、広海さんに対しては気を遣ってないなと思って。前に常連だからって言ってたけど、それだけなのかって思っただけ」


「ほんとになんでもないよ。まあ、ただの常連かっていうとちょっと違うのも事実なんだけど」


「……というと?」


 訊いていいのか分からなかったけど、他に言葉が思いつかなくて尋ねてみる。


「うーん、昔近所に住んでたお兄さん……みたいな? ここでお店を始めたことを知ったから、たまーに来てるって感じ」


「幼馴染ってやつか?」


「幼馴染っていうのとはちょっと違うような気がするけどね。どっちかっていうとお兄ちゃんそのもの?」


「……なるほど」


 日向坂さんと広海さんの意外な関係性を知れたところで、今日のところはお開きとなる。


「また来てねー」


 と、軽い調子で手を振ってくる広海さん。三十を超えてはいるけど、甘いスマイルは数多くの女性に幸せを与えてそう。

 マダムに人気があるというのも本当なんだろうな。


「えっと、志摩クン?」


 日向坂さんに続いて俺も店を出ようとしたところで背中に声をかけられる。


「はい?」


「君は陽菜乃ちゃんとはただのクラスメイトってことでいいのかな?」


「……まあ」


「あ、別に他意はないから気にしないでね。陽菜乃ちゃんが男の友達連れてきたの初めてだから気になってたんだ。もしかしてなのかなって」


 広海さんは小指を立てながらくすりと笑う。


「いや、本当にただのクラスメイトです」


「そっか。ま、仲良くしてあげてよ」


「仲良くしてもらってるのはこっちですよ」


 それだけ言って、俺は軽く頭を下げてお店を出た。広海さんは俺たちが見えなくなるまで、扉の中から見届けてくれていた。


「なに話してたの?」


「いや、別に大した話じゃないよ」


 口止めはされていないけど、なんとなく言わない方がいいような気がして誤魔化した。


 すると、日向坂さんはむうっと不満げに頬を膨らませる。


「なにそれ、逆に気になる」


「今度、広海さんに訊いてみれば?」


「教えてくれるはずないでしょ」


 そうなんだ。

 たしかに教えてくれるまでに果てしないからかいが待っていそうな気がするな。


 そんな二人の本当の兄妹のような関係性が微笑ましくて、俺はつい笑みをこぼしてしまう。


「そうだ、志摩くん」


「ん?」


「お勉強。もしよかったら明日もどうかな?」


 おずおずと不安げに尋ねてくる日向坂さんに、俺は少し考えてから答える。


「うん。こちらからお願いしたいくらいだよ」


「そっか! それじゃあ明日は別の教科もしよっか!」


 と、そんな話をしながら駅まで歩いていく。


 そして翌日、まさかあんなことになるとはこのときの俺は思ってもいなかった。

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