第7話 日向坂陽菜乃のお礼③


「注文いいですか?」


 日向坂さんが言うと、甘酸っぱい恋愛ドラマを観ているときのようなにやにやを見せていた店員さんが表情を切り替える。


「どうぞ」


「チョコレートケーキを二つと、ショートケーキ」


「日向坂さんもチョコレートケーキ?」


「うん。話してたら食べたくなっちゃった」


「ショートケーキはお持ち帰りとか?」


「え、あ、いや、えっと、そんな感じで」


「違うでしょ。いつも二つ食べて帰るじゃん」


「もー! 言わないでよ!」


 アハハ、と楽しそうに笑いながら店員さんはケーキの準備を進める。

 日向坂さん、いつもケーキを二つ食べて帰るのか。だからどうとは思わないけどよく食べれるなと感心はする。


 イートインスペースに移動し四人がけのテーブルに座る。


「二人がけのテーブルもあるけど、こっち使ってもいいの?」


「大丈夫だよ。お客さんなんてほとんど来ないから」


 それは大丈夫なのか?


「失敬だな。これでもマダムには人気で昼頃には繁盛してるんだぞ」


 お皿にケーキを乗せて運んできた店員さんが笑いながら言う。この人はなにを言われても、なにを言うときにも笑っているな。


 不思議とすべてを受け入れてくれるような雰囲気があって、ついつい余計なことまで話してしまいそうだ。


 俺の前にチョコレートケーキ、日向坂さんの前にチョコレートケーキとショートケーキを置いたお皿を置く。

 そして、オレンジジュースが注がれたグラスも一緒に持ってきてくれた。


「ジュースはサービスだ。甘酸っぱい青春の一幕のお礼」


「もうっ。いいから戻って! 来もしないお客さんを待ってて!」


「はいはい」


 最後まで笑顔のまま店員さんは定位置に戻っていく。あそこからはちょうど死角になっているテーブルを敢えて選んだのだろうか。


「随分仲良さげだったけど、よく来るの?」


「んー、まあそれなりにかな。ここのケーキが好きなの」


 へー、と言いながら俺はチョコレートケーキにフォークを沈ませる。

 一口サイズに切って、それを口に入れる。


 その瞬間、チョコレートの味がぶわっと口の中に広がる。日向坂さんの言う通り甘すぎず、苦くもない。

 チョコレートの味がしっかりと舌に残る。ほのかに酸味が効いてるのはフルーツでも入っているのだろうか。


「んま」


 思わず口からこぼれ出る。


 すぐさま二口目を食べる。

 スポンジは柔らかく、口に入れるとすぐに消えてしまうようだ。チョコクリームもくどくなく早く次を食べたくなる。


「でしょ? 気に入ってくれてよかったぁ」


 ほっと胸をなでおろした日向坂さんはようやく自分の一口目を食べた。幸せそうな笑顔を浮かべながら「んんー」と唸る。


 本当にここのケーキが好きなんだな。


「でもあれだな、こんなところ誰かに見られたら誤解されちまうな」


 俺が言うと、ケーキを食べていた日向坂さんの手がぴたりと止まる。そして、ゆっくりとこちらを見てきた。


「ごごご、誤解、とは?」


「恐れ多い話だけど、俺と日向坂さんがデートしてるみたいな」


 ははは、と思わず小さく笑いが漏れる。もしそんなことがあれば彼女のファンが黙ってないだろうな。

 まあ、これはあくまでもお礼の一環でありそういう意味合いはまったくないと言っても信じてもらえないだろう。


 つまりバッドエンドというかデッドエンドだ。


「志摩くんはわたしとデートできると嬉しかったりします?」


 言葉一つ一つから彼女の緊張が伝わってくる。ちらと俺の顔を見る彼女は表情が強張っているように見えた。


「そりゃ、日向坂さんとデートができて嬉しくない男子は鳴高どころか全世界を探してもいないんじゃないか」


「つまり志摩くんも?」


「それは、どうだろうね」


 本人を目の前にしてそんなこと言えるわけないだろう。と、恥ずかしさを隠すために俺は言葉を濁した。

 

「……」


 あれ、俺なにか間違えたかな。

 日向坂さんがなにも言わなくなってしまった。ケーキを食べる手も完全に止まっているので固まっている。


「日向坂さん?」


「は、はい?」


 名前を呼ぶとようやく我に返ってくれる。ハッとした彼女は顔を上げてにこりと笑った。


「いや、なんか固まってたから」


「なんでもないんです。なんでも……」


 その言い方はなにかあるやつだろう。

 まあ彼女がそう言うのなら深くは訊かないが。日向坂さんが隠そうとする部分に足を踏み入れれるほどの仲ではないから。


「そろそろ出ようか」


 お互いケーキを食べ終えたところで俺はそう提案した。

 お礼という名のケーキは受け取ったし、これ以上彼女の時間を奪うのも悪かろう。


「あ、うん。そうだね」


 なにやらさっきから妙にテンションが低いように思える。

 その証拠に帰り際に店員さんが言った「またボーイフレンドと放課後デートに来てね」という発言に対してリアクションがなかったのだ。

 店員さんもそれを不思議に思ったのか、俺の方を見てきたが分からないので首を振っておいた。


 俺との時間は楽しくなかったのかな。


 駅までは送るべきだろう、と並んで歩くがやはり彼女は俯いたままだ。

 こんなときに気の利いた発言ができればいいのだけれど、そんな力があれば俺は今頃クラスの人気者だっただろう。


 少し気まずい空気が流れていた。


 そのときだ。


「ごめん、日向坂さん。ちょっと自転車持ってて」


 俺は咄嗟に自転車を日向坂さんに渡す。周りを見ていなかった彼女からすれば突然なんなんだって感じだろうけど。


 それでも持ってくれたことには感謝だ。

 自転車を日向坂さんに預けた俺は走り出す。そして、少し前に落ちていたハンカチを拾い、落としたことに気づいていなかったお姉さんに届けた。


「これ、落としましたよ」


「わ、ほんとだ。わざわざありがと」


「いえ。気づけてよかったです」


 なにかお礼をと言われたけど別に大丈夫だと断った。それじゃあこちらの気が済まないというものだから大人しくお礼をいただく。

 これしかないと言って渡してきたのは、この近くにあるカフェの割引券だった。


 日向坂さんといいお姉さんといい、ほんと、わざわざお礼をくれるなんて世の中優しい人で溢れているな。


「ごめん日向坂さん」


「ううん。大丈夫だよ。突然走り出したときはどうしたのかと思ったけど」


「たまたま落ちるのが見えたからさ」


「そっか。志摩くんは優しいね」


「いや、これくらいは普通でしょ」


 とは言うが、世の中の人間全員がそうではないことは分かっている。冷たい人間だって中にはいる。

 けど、俺は自分のこれを特別だとは思っていなくて、否、思いたくなくて。


 俺は普通に誰かを助けたいのだ。


「……そうだね。普通だよね」


 俺が言うと、日向坂さんはおかしそうに笑った。

 さっきまでの雰囲気はどこかに消えてなくなって、駅までの残りの時間はこれまでのように楽しそうに雑談をしてくれた。


 そして駅に到着した。


「あのね、志摩くん」


「ん?」


 改札に向かおうとした日向坂さんが忘れ物をしたようにこちらに戻ってきた。


 どうしたのか、と俺は彼女の言葉を待つ。


「ライン、交換しよ?」


「ライン?」


「うん。その、ほら、みんなのライン知ってるけど志摩くんのは知らないなーと思って。同じクラスメイトなのにそういうのって不平等だと思わない? わたしは思うの。だからできれば教えてほしいなって思うんだけど志摩くんがどうしても嫌なら諦めるんだけど」


 すごい早口に言うものだから全部を聞き取ることは難しかった。俺が嫌なら諦めるというところは理解したけど。


「別に嫌とかはないよ。日向坂さんとライン交換できるなんて光栄だ」


「それほんとに思ってる?」


「思ってる思ってる」


 ラインを開き、QRコードを表示すると日向坂さんがそれを読み込む。すぐに友達登録の通知がきた。


 彼女のトップ画は友達と出掛けたときに撮ったであろう笑顔の写真。対する俺は本。机に置かれたラノベである。我ながらなんだこのセンス。


「じゃ、じゃあラインしたら返してくれる?」


「そりゃ、無視はしないと思うけど」


「そっか。うん、わかった。言質取ったからね?」


「ああ、うん」


 それだけ言って、日向坂さんは改札の方へ行ってしまう。最後に彼女が見せたのは今日一番の笑顔だった。


 改札を通った彼女は最後にこちらを振り返り手を振ってくる。もちろん振り返すのは恥ずかしいので軽く手だけ上げておいた。


「……帰るか」


 自転車に跨りペダルを踏む。どうしてか熱くなった頬を撫でる冷たい風がほどよく気持ちよかった。

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