第6話 日向坂陽菜乃のお礼②
「なんでと言われましても」
「昨日のこと忘れた?」
「いや、ばっちり覚えていたけど」
「ならなおさらなんで!?」
心底驚いた顔をしている。
しかし表情には出してないけど俺だって驚いている。だって日向坂さんが昨日のことを覚えていたんだから。
これだと俺が約束をほっぽり出してしまったみたいじゃないか。
いや、事実そうなんだけども。
「えっと、特にそのことについて触れられなかったから忘れてるのかなと思って」
「忘れるわけないでしょ!」
それは分からんだろ。
「志摩くんが周りの人にはシークレットでって言ったから教室では避けてたんだよ!」
ああー。
そうきたか。
たしかに言ったけど。
だって日向坂ガチ勢に知られれば絶対に後ろから刺されるし。
「教室を出たところでお話しようと思ってたけど志摩くん教室から全然出ないし」
「出る必要がないからね」
「帰り支度を済ませて振り返ったらもういないし」
「帰宅ガチ勢だからね」
「周りの人に志摩くんは? って訊いたらいの一番に帰ったって言うし!」
「周りの人に訊いちゃってますね」
結局日向坂陽菜乃が志摩隆之を探しているという事実が教室に残ってしまったのでは?
いや、大したことじゃないとすぐに忘れられるか。自意識過剰が過ぎるな。
しかし。
「そういうことならとりあえず移動しようか」
ここで駄弁っていると周りに人が増えてしまう。ちらほらと帰宅部の奴らがやってきている。
「あ、うん。そうだね」
ささっと靴を履き替えた日向坂さんと一緒に学校を出る。
俺は自転車通学なので駐輪場に寄って自転車を取ってきた。日向坂さんは電車通学らしく徒歩だ。
カラカラと自転車の車輪が回る音がする。自転車は手で押しながら彼女に並んだ。
「それで、俺はこれからどこに連れて行かれるのかな」
さっきのことに触れられるとまた責められるような気がしたので、こちらから話を進める。
「ボヌーっていうケーキ屋さん知ってる?」
「いや、聞いたことないな。この辺にあるの?」
「うん。ちょっと行ったとこにある商店街の中にあるんだけど」
商店街か。
あんまり行くことない場所だから知らなくても無理はないか。
俺の悪いところだけど、興味ないことにはとことん興味がない。知ろうとしないし見向きもしない。
それを分かっているので興味を持つように意識しているのだけど、これが中々に難しい。
歩くこと十分。
日向坂さんの言うところの商店街に到着した。
良くも悪くも昔ながらの商店街といった感じで、どうしても過疎化を免れないでいる。
しかし地元の人に愛されているのか利用者もちゃんといる。
騒がしくないのでこういう場所は別に嫌いではない。逆に人混みなんかは苦手なので、ならこっちの方がよっぽどいいと思う。
「わたし、こういう雰囲気の場所嫌いじゃないんだよね」
「奇遇だな。俺も同じこと思ってた」
「ほんとに?」
「休日のショッピングモールなんて人が多すぎて疲れるだけだからな。なら、こういう場所の隠れた名店で一息つく方がよっぽど有意義だよ」
「それ! わたしも思う!」
にひっと子供のような笑顔を浮かべる日向坂さんの眩しさに、俺は思わず視線を逸らす。
決して彼女の可愛さに照れたわけではない。
「まあ、休日のショッピングモールでたまたま会ったわたしたちがそんなこと言うのも変な話だけどね」
「尤もだ」
そんな話をしていると例のケーキ屋さんに到着した。
古い、というよりはレトロな印象の外観。意味的にはさして変わらないけどイメージが異なるだろう。趣きがあるみたいな。
木製の看板には『Bonheur』と書かれている。英語かな? と思ったけど分からないから考えるのはやめた。
扉を開けるとカランカランと音が鳴る。
入るとすぐにショーウィンドウがあり、そこには様々な種類のケーキが並べられていた。
その横には数席のイートインスペースが設けられている。今は混み合う時間ではないのか、そもそも混み合うことがないのかは分からないけど客はいない。
なので当然だけど店内は静かで落ち着いている。だから、流れているクラシックなのかなんなのか分からないけどおしゃれな感じの音楽がよく聴こえる。
会話の邪魔にはならない、けども耳には入ってくる心地よいリズムは嫌いではなかった。
「おや、お嬢さん、今日はボーイフレンドを連れての来店かい?」
ショーウィンドウの奥に立っていた男性スタッフがにんまりと笑いながらそんなことを言った。
コックのような白い服に包まれたその男性は三十を超えたくらいの年齢だろうか。
ヒゲが生えているのに不潔には思えないダンディでアダルトな雰囲気はまさに大人の男性って感じがする。
「ち、ちがいます! クラスメイトです!」
日向坂さんは慌てて否定する。
そんな強めに否定されるとちょっと凹むじゃないか。いや、もちろんそんな夢のようなことが起こらないことは分かっているが。
そんなベタベタなセリフをいただけただけでも感謝すべきなのかね。
「お客さん少なくて潰れないように協力してあげてるんですっ」
「あはは、それはありがとう。ご覧の通り、お客さんは入ってないからゆっくりしていきなよ。ボーイフレンドとね」
「もー! だから違うのに!」
意外な光景に、俺は思わず言葉を発することさえ忘れてしまう。
店員さんとフランクな感じで話す姿もそうだけど、皮肉めいた発言をしたのが何より意外だ。
学校ではそんなことを言っているところはまず見ない。とにかく中立、周りの調和を第一に考える日向坂陽菜乃は誰かを傷つける可能性のある言葉は吐かない。
もちろん、そういう勝手なイメージを持っているだけだが。
少なくとも時々聞こえてくる彼女を含めたグループの会話ではそういう立ち回りをしていた。
この店員さんのおおらかな雰囲気が、彼女のそういう一面を引き出したのかもしれないな。
「志摩くん、こんな失礼で人の話を聞かないケーキを作ることだけが取り柄の人は放っておいてケーキ選ぼ」
「あ、うん」
褒めちゃってるんだよなあ。
ちら、と店員さんの方を見ると、そんな日向坂さんを見ながらにやにやしていた。
「志摩くんは好きなケーキあるの?」
「んー、特別これっていうのはないかな。結構気分で変わる感じ」
基本的にはショートケーキが好きだけど、たまにむしょうにチョコレートケーキが食べたくなることがある。
でもミルクレープも好きだし、モンブランを好むときもある。
ただチーズケーキだけは好きになれない。
「なにかおすすめは?」
「んー、どれも美味しいけど強いて言うならチョコレートケーキかな」
「そうなんだ」
「うん。なんかね、甘すぎなくて、でも苦くもなくてくどくもなくて、油断してると三つくらいペロッと食べれちゃいそうなくらい美味しい」
「じゃあそれにしようかな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます