第5話 日向坂陽菜乃のお礼①
翌日のこと。
俺はいつもと変わらず登校を済まし、自分の席でぼっちを極めていた。
「おはよ」
「……」
まさか俺が話しかけられているとは思わず、一度スルーするとパンパンと肩を叩かれる。
「無視とはいい度胸だね、おん?」
「お、俺?」
そこでようやく顔を上げる。
そこにいたのは黒髪ボブさんだった。女子の声だったし、絶対に俺じゃないと思ったんだけど。
「って、なんだボブさんか」
「誰だそのアメリカンな名前の人物は」
しまった。
名前が分からなくて仮の名前で読んでいたのがバレてしまった。
「あ、いや」
思わず言葉を詰まらせる。
「もしかして私のことかな?」
「ええっと」
視線を逸らす。
ちらと様子を見てみる。
「どうなのかね?」
じとり、と半眼を向けられていた。
「まあ、そんな感じ」
圧力に負けて俺は白状してしまう。
「なんでボブ?」
「……黒髪ボブだから」
俺が躊躇いながらも口にすると、少し沈黙を作るボブさん。しかし、次第にアハハとおかしそうに笑い出す。
「なにそれ。おっかし」
ひたすらに笑い続けたボブさんはようやく落ち着いたようで、ひいひい言いながら呼吸を整える。
「昨日一緒に作業した仲なのに、もしかして私の名前知らない?」
「……すみません」
ここで誤魔化してもロクな展開が待っていないのは明らかなので、俺は正直に謝罪する。
「正直でよろしい。まあ、周りに興味を示さないぼっちの志摩に認知されてる女の子なんて陽菜乃くらいだよね」
悔しいが間違いではない。さすがに他にも有名な生徒の名前くらいは耳に入ってくるが。
「私の名前は秋名梓。ちゃんと覚えといてよね」
ぱん、と背中を叩いてきた黒髪ボブさん――改め、秋名梓は自分の席へと行ってしまう。
わざわざ挨拶しに来てくれたのか。
彼女との関係性の変化を考えると、昨日のあの面倒事も悪くなかったかもしれないな。
改めてスマホに視線を落とす。
「おはよう」
「……」
再び女子の挨拶が聞こえる。
今度こそ自分ではない。ここで顔を上げれば「なにあいつ勘違いなんてしてんのきっしょ」と思われるに違いないので、やはり俺は顔を上げない。
すると。
「おはよう!」
さっきよりもやや大きめの声で再び挨拶をされる。おかしいなと思い、さすがに顔を上げるとそこにいたのは日向坂さんだった。
中々の声量だったので、クラスメイトもなんだなんだとこっちに視線を向けてくる。
やめてくれ。
こっちを見ないでくれ。
「無視はひどいんじゃないかな?」
むすっとした顔をしながら、日向坂さんが言う。
「ごめん。まさか日向坂さんが俺に挨拶をしてくれるとは思わなくて」
「昨日もしたのに」
そういえばそうだったな。
「それで? わたしは志摩くんにおはようと言ったんですけど」
「お、おはよう」
俺が戸惑いながらも口にすると、日向坂さんはむふんと満足げに鼻を鳴らす。
「はい。よくできました。これからは無視しないでね」
これからは、ということは明日からも挨拶をしてくれるかもしれないのか。
「気をつけるよ」
「うん」
そして日向坂さんも自分の席へと行ってしまう。
一人残された俺は改めてスマホに視線を落とした。
今度は周りに注意を払っていたけど、もちろんこれ以上挨拶をしてくれるクラスメイトはいなかった。
*
そういえば、と思い出したのは昨日のことだ。
日向坂さんは今日の放課後にお礼がしたいと言っていたけれど、朝は特にその話題には触れてこなかった。
忘れているのかな?
まあ、俺程度の男との約束なんて忘れていても無理はないので可能を責めることはできない。
むしろ、忘れられるような存在感である俺が悪いまである。
わざわざ俺の方から声をかけることでもないし、そもそも日向坂陽菜乃に声をかけるなんて恐れ多くて出来やしない。
なので気にすることをやめて普通に一日を過ごした。気づけば放課後。結局彼女の方からなにかを言ってくるようなことはなかった。
教師のどうでもいい話を聞き流しホームルームを終わらせる。帰宅ガチ勢の俺はホームルーム中に帰り支度を済ませてしまう。
周りの奴らとはスタートダッシュの時点で差がついているのだ。帰宅部の大会が開かれればいい成績を残せると自負しているのだが残念ながらそんな大会はない。
担任の号令で一日が終わる。
ここで周りはダラダラと帰り支度を始めたり、とりあえず友達と駄弁ったり、スマホをいじりだしたりと様々な行動を見せる中、俺は颯爽と教室をあとにした。
もちろんルールは守るタイプなので廊下は走らない。
え、ホームルーム中に帰り支度をするのはいいのかって? あれは問題ない。別に禁止されていないから。
俺はしっかりと法の中で戦うタイプなのである。
階段を降りて昇降口に向かう。
スタートダッシュが良かったからか、周りに生徒の姿はない。俺レベルにぼっちを極めればこのくらい余裕である。
しかし。
そんな俺が足を止めることになるのはまさにこのあと。
昇降口で靴を靴を履き替えていたときだ。もちろん靴を履き替えるために足を止めたという意味ではない。
「し、志摩くんッ」
名前を呼ばれた。
同姓の線も考えたけど、朝の件もあるので勘違いで笑われることさえ覚悟して周囲を確認した。
すると。
ぜぇぜぇ、と息を切らしながらこちらに駆け寄る日向坂陽菜乃の姿が見えた。
ようやく追いついた彼女は膝に手を付き肩で息をしている。しばらく息を整えるために俯いていた彼女にかけるべき言葉はなんだろうかと考える。
「日向坂さん」
「……な、なに?」
日向坂さんは、きっと彼女の体力ゲージを確認することができるならば赤色なんだろうな、と思わざるを得ないような表情の顔を上げた。
「廊下は走っちゃダメだよ」
「それは……ご、ごめん」
しゅんとして謝った彼女だったが、直後慌てて顔を上げる。さっきの今だが体力は回復し始めているようだ。
「って、そうじゃないよ! なんで先に帰っちゃうの!?」
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