第6話 公爵邸の朝は今日も平和である

 カモミールはアルク家本邸で働く人々の中でも群を抜いて早起きである。四時ごろには起きて、騎士に混じって走り込みや剣術の訓練をする。二時間ほど騎士と共に汗を流した後、身支度を整えてメイド仲間と食事や屋敷の掃除を済ませる。八時には己の主人を起こし、共に一日を過ごす。彼女の紛れもない日常だ。

 だが最近カモミールに新たなルーティンが追加された。それは第二王子からの手紙をプルメリアに渡すことである。プルメリアは一見するとその容姿や表情があまり変わらないことも相待って、冷たい人間だと思われがちだ。が、実際はかなりのお人好しである。ただただ言葉足らずなために誤解されているだけなのだ。

 そんな彼女が王子から手紙を受け取ったら、どうするか。間違いなく面倒くさいと言いつつも返事を書くだろう。だが主人がくだらない王子のことで悩む姿を一日中見たくはない。そこでカモミールはある方法を編み出した。プルメリアはかなり頭がきれるし、記憶力も良い。なので頭が回っていない状態の彼女に王子の手紙について話すことにした。そして選ばれた時間帯は——

 

 「おはようございます、プルメリア様。今日も良い天気ですよ。」

 そう、朝。正確にいえば、寝起きである。

 プルメリアは一度しっかり目が覚めれば、頭が回らないことなどほとんどない。傍目からはぼんやりしているように見える時も、ただただ考えこんでいるだけだ。考え事をしている時でも話しかければ、即座に反応する。

 そんな彼女が唯一苦手とするのは朝だ。ともかく弱い。何をされても何を言っても記憶には残らない。三十分は布団にくるまっているのだ。カモミールはこの無防備な時間帯を利用することにした。

 形ばかりのノックをし、寝室に入る。昨晩焚いたラベンダーの残り香がする。寝つきが悪いプルメリアのために、カモミールは主治医やアイリス、庭師と相談して毎晩、安眠効果や癒し効果のある香を炊いているのだ。

 カモミールによって開かれたカーテンからは射し込む陽の光が、薄暗い部屋全体を照らした。淡いブルーで統一された寝室。落ち着いた印象を受ける部屋だが、物寂しさはない。家具に彫られている細かなプルメリアの花によって寝室は華やかに、そしてしっとりとした雰囲気を醸し出していた。

 王族にも負けず劣らず豪華な寝室の中央に位置する天蓋付きのベッド。今日も変わらずカモミールの主人はぐっすり寝ていた。

 

 「プルメリアお嬢様、朝ですよ。起きてください」

 カモミールが話しかけても喃語のようなものしか返ってこない。それがとてつもなく愛おしい。ほとんどの人が目にすることの出来ないであろう、ぽわぽわした主人。クールさなど微塵も感じられない。誰が見ても無防備という言葉しか浮かばないだろう。この至福の時間があることで彼女は今日も一日、愛するプルメリアのために頑張れるのだ。

 ニコニコと主人を見つめること、二十分。そろそろ意識がはっきりし始める時間になったので渋々、ポケットから封筒を取り出す。

 「プルメリア様、第二王子殿下からお手紙が来ております。お返事どうされますか?」

 「んん、ミールにまかせる〜」

 言質はとったので、小走りに部屋を出て執事長に返事を返さない旨を伝える。目覚めの紅茶をキッチンに入れに行き、ついでに手紙を燃やす。部屋に戻る頃には愛しのお嬢様も起きている。身支度を手伝い、共に食堂へ向かう。

 気づけば、新たなルーティンが追加されて一ヶ月が経とうとしていた。

 

 

 朝、いつも通りカモミールがカーテンを開けに来る。ベッドでゴロゴロしてから紅茶を飲む。やっと目が覚めてきた。ここまでで二十分ほど経っていて驚いてしまう。私ったら本当に朝が弱いのね。

 「衣装、オレンジのものかピンクのものどちらにされますか?昨晩選ばれた緑色のものだと少し暖かすぎると思います」

 どうやら今日はかなり暖かいようですね。ピンク色のドレスは可愛らしいけれど私の容姿には似合わない気がしますわね。ふと湧いた疑問をカモミールにぶつけてみる。

 「ねえ、ミール。どうしてピンク色の衣装があるの?」

 私のドレスはアルク家お抱えのデザイナーや針子たちによって、作られている。特にこだわりがないために、カモミールに任せっきりだったのがいけなかったのかしら。たっぷりついたフリルはとても自分の容姿に合うとは思えない。

 「実はですね、プルメリア様が私にドレスの要望を任されて書斎に籠られた日があったでしょう? あの後アイリス様がいらっしゃっいまして。あまりにもお嬢様がグリーンやブルーの寒色系ばかり着られているのが、気になる。と、ピンクのフリルたっぷりドレスをゴリ押しされまして、このような個性が少々強すぎる一着が誕生してしまいました」

 お母様ったら、相変わらずセンスが独特ですわね。けれどあまり暖色を着ていなかったのに気づかなかった私にも非があります。

 「カモミール、今日はオレンジ色のドレスにしますわ。ピンクの方は裾のフリル以外外すように言っておいてちょうだい」

 「かしこまりました。ドレッサーの方へ移動してください」

 若干のイレギュラーはあったものの、いつも通り身支度を整えて食堂へ向かう。

 

 「おはようございます」と言いながら、食堂へ入る。いつも返ってくる挨拶はひとつだけなのに、今日は珍しく二つで驚いてしまう。

 おはよう、と優しく微笑んでいるのはお仕事で忙しいはずの、お父様で。

 ミルクティー色の髪に煌めく橙色の瞳。甘い顔立ちで、自分の容姿がお母様似であることを改めて実感する。お父様に似ていれば、今朝のあの可愛らしいピンクのドレスも着こなせたでしょうに。

 「お父様、お帰りでしたのね。お仕事お疲れ様ですわ」

 お父様と同じ色のドレスを着ていて良かったと、思いながら話しかけてみる。お母様のことが大好きなお父様は大層ご機嫌のようだ。

 「ただいま、メリア。父様と同じ色のドレスを着ててくれて嬉しいよ。たくさん土産を買ってきているから、後で部屋に運ばせよう。それにしても少し会わないうちに、またきれいになって。可愛い妻と娘がいて私は幸せ者だ」

 違いましたわ、お父様は私のことも大好き人間でした。お母様とはまた違う甘やかし方をしてくれる素敵な父である。

 

 

 和やかに談笑していると、お父様がなんでもないかのように先日の出来事を私にお尋ねになる。

 「第二王子に会ったのだろう?何か失礼なこと言われなかったかい?体調が悪かったから、後日個人で会ったのは聞いているが。先日王宮で王子の側近とやらに声をかけられたんだ。王子が気に入らなかったら、国外追放でもなんでもしてあげよう」

 お父様はよく面白い冗談をおっしゃりますわ。心配性で困ってしまいます。確かにあの暴挙には驚いたけれど、忙しいお父様を煩わせる程のことでもない。私はよくお母様に説明不足だと言われるので、カモミールに説明をまかせることにした。

 

 「僭越ながら私から説明をさせていただきたく——」

 

 

 

 

 

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