第3話 この映画に見る、韓国人女性の味わい深さ

  私はこれまで、海外(旅行)で多くの韓国人女性を目にしてきました。


ドイツでは、ゲストハウスという安宿(男女相部屋)に女性独りで滞在していたり、ヴェネツィア郊外のバスデポから、暗くなり始めた、廃墟のような建物がポツンとあるだけの人気(ひとけ)も無い寂しい道を、カートを引いてトボトボ歩いて行く4人の韓国人女性を見ました。

  私はその日の早朝、同じ道を歩いたのですが、中心街へたどり着くにはおそらく小一時間かかるであろう距離でした。私の場合、たまたま車で通りかかったイタリア人が乗せてくれたので、10分ほどで着きましたが。

  韓国人の若い女性は度胸があるというか、驚きました。


韓国人の若い男性(旅行者)は皆、見かけ上は「親日」です。日本人と一緒にいれば得になる、と言う考えなのでしょう。しかし、韓国人女性の場合は、嫌日と親日に別れますが、いずれにしても「逞しさ」を感じます。

  早い話が、韓国人の男は頼りにならないから、自分たちで海外へ出て道を切り拓く、という意気込みのようなものらしい(これは40年前、アメリカ滞在中に何度か話をした韓国人女性から聞いたことです)。

が、その後、欧米や台湾で出合った韓国人女性たち、そして、今回の韓国映画の主人公(映画という作り物ではありますが)を観ると、確かに彼女たちの内面的な強さ(他人に頼らない)が感じられます。


この主人公の女性、韓国人の彼氏なんてまるで持つ気が無い。

強いガッツと素晴らしい運転テクニックを持つ、プロに徹した孤独を愛する(慣れている?)女性で、猫だけが心を許せる友達という感じで描かれていますが、かなり現実の韓国人女性を表現しているのではないでしょうか。

  「日本女性と違い、韓国の女性は孤独なんだ」と思いました。一般論にはならないかも知れませんが。

この映画に於ける彼女の顔は、目と目のあいだが(日本人女性に比べて)開いた、いかにも韓国人女性という感じなのですが、彼女の持つスピリッツ(孤独感・崇高さ)が強烈に感じられて、彼女の存在感が好きになりました。

(人の顔のことを云々するのはいけないことではありますが、彼女は俳優として飯を食っている(顔やスタイル・演技を売り物にしている)のですから、顔であろうと生活態度であろうと、観客からいろいろ言われるのはプロとして当然であると思います。「悪態をつく」のはよくありませんが。)

○ この韓国映画、制作者(プロデューサー・監督・俳優、他スタッフたち)の

「韓国警察の醜さを徹底的に追求することで、普遍的な真実を描く」という、強い激情が感じられて(数々の欠点・物足りなさを飲み込むほど)楽しめました。

  韓国映画人、なかなかやるじゃん。

2023年3月31日

V.1.1

  

2023年4月2日

V.2.1


2023年4月5日

  V.3.1

平栗雅人

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