第三話 悪夢の遠征

 遠征とは、総長が人数、目標、日程を定めて、島の外を調査しに行くことで、遠征で命を落とすことは珍しくない。今回は僕、トム、ティナ、竜吾りゅうごの四人での遠征が決定した。ティナと僕は初めての遠征なので、前日の夜、二人で夜風に吹かれながら海を眺めていた。特別なにかを話すことはなく、僕には彼女がなにを考えているのか分からなかった。とても不安だったが、どこかわくわくしている自分に驚いた。


 遠征当日、何人かに見送られながらボロボロの船に乗って出航した。少しずつ荒れた島が小さくなっていく。船に揺られながら雑談をして過ごし、東に進み続けると人気ひとけのない小さな海辺についた。貝殻や海藻が散らばっていて、船を固定していると潮の香りが鼻をくすぐる。この三年で、体が自然を求めるようになっていた。ほどよい緊張感と自然の香りがとても心地いい。


 四人が縦一列になって森の中に入っていく。草が踏まれる音と、鳥の鳴き声、四人の会話だけが森に響き渡る。「あっちに戻ったらアイスが食べたいな。ムネヤマがアメリカに来たら、おいしいアイスクリームのお店紹介してあげるね」


 「ありがとう! 僕もティナが食べたいって言ってたお寿司、食べさせてあげるよ」


 「おい、新入りども。あんまりいちゃいちゃすんなよ。緊張感持てよ」僕らの会話を遮るように、トムが入ってきた。


 「一か月しか変わらないのに偉そうにすんなよ。それともあいつらが羨ましいのか?」馬鹿にするように竜吾りゅうごが笑いながら言った。


 「うるさいな。お前こそな――」


 四十分ほど歩くと「もうすぐ、森を抜けるはずだ。気を引き締めろよ! 今回の目標は相手のことを理解しに行くことだ。むやみな争いは生むなよ」先輩ぶるトムが偉そうに言った。


 目の前が明るく太陽で照らされている。森が終わり広い道が見えた。草むらに隠れて誰か来ないか待っていると、豪華な馬車がたくさんの兵隊を連れてやってきた。少し大きめの銃を携えており、教科書で見た明治初期の兵隊のような格好をしていた。


 「おそらく、権力を持った奴だろう。危険だが馬車の中の奴と話ができれば安全な交渉ができるかもしれない。手を挙げて一斉に出るぞ」トムがぼそぼそと言った。三人が頷くと、息をひそめた。


 トムの合図で一斉に飛び出した。両手を挙げて馬車の前に「ストップ!」と叫びながら飛び出した。馬車と兵隊が止まると、五メートルくらいの距離を開け、互いに睨みあう。あちらからしたら、鬼のような形相をした四人が睨んできているのだから相当怖いだろう。ただ、十人ほどに銃を向けられている僕らもかなり怖い……空気に緊張感が走る。


 この沈黙に耐え切れなかったのか、一丁の銃が沈黙を破り、一人の胸から血が噴き出し倒れこんだ。


 「ティナ――」左に体を向けた僕は、自然と口から声が漏れていた。「ごめんね……ムネヤマ……釣り……一緒に……したかっ――」ティナが静かに、優しく僕に伝えると、電池の切れたおもちゃのように動かなくなった。もう一発、彼女に銃弾が襲いかかる。ティナの体が、たくさんの白い粒になって空に浮かんでいった。僕は、なにもできずに立ち尽くし、ティナのいたところを眺めていた。僕は彼女との思い出が走馬灯そうまとうのように駆け巡った。


 ギリギリと歯を食いしばる音で現実に引き戻された。目に溜まる涙でよく見えないが、隣で竜吾りゅうごの体がわなわなと震えている。初めて会った時と似ているが、前より我慢しようとしているのが伝わった。


 「あああ!」痺れを切らした竜吾りゅうごが叫ぶと発砲した兵隊に向かって走り出した。それを、僕とトムで地面に抑え込むと三人を兵隊が取り囲んだ。ティナのところに行ける。そう思うと、また走馬灯そうまとうが再生された。すると、馬車から灰色で、カプセルのお薬のような姿をした生物が出てきた。茶色のスーツのような服を着ていた。頭には黒色の髪の毛が生えていて、七三分けだ。マスコットキャラクターのようだが、謎の貫禄があった。その生物が兵隊に何かを話すと兵隊が一斉に下がった。声の低さと髪型から察するに男なのだろう。


 男は僕らに手を差し伸べた後、ティナの血が残っているところで手を合わせていた。いい人なのか、罠なのか分からないが今は従うしかない。三人は馬車に誘導された。四人がギリギリ入る大きさだったので、男は中から兵隊を追い出し、招き入れてくれた。三人は疑いながらも乗り込んだ。沈黙と絶望と緊張と疑いで満たされた車内は、異様な雰囲気だった。目の前で起こったことが理解できなかったので、呼吸が乱れ、変な汗が出てきた。


 馬車が止まると、そこは大きなお屋敷だった。緑に囲まれ、小さな川が流れている。赤茶色のレンガ造りの二階建てで、ロンドンの歴史あるお屋敷のような雰囲気をかもし出している。この世界にこんな立派な建物があるなんて思ってもみなかった。男を先頭に兵隊に囲まれながら、大きな一室に招かれた。茶色を基調として床には落ち着いた色をした絨毯が敷かれていて真ん中には部屋に合った茶色の椅子と机があった。アンティークとはこういう時に使うのだと思った。違うか? そこで男から本を渡された。どうやら教科書のようなものらしく男が身振り手振りで教えてくれた。僕は今までにない集中力と想像力でなんとか理解しようとした。扉前に二人の兵隊がいることを忘れるくらいには、集中していた。


 五時間ほど経ったのだろうか、なんとか五十音と簡単な言葉を覚えた。自分でも驚くほどの集中力だった。男は絵本を持ってきて、自分と絵本に描かれた王様? を指さした。おそらく、自分が王様だとでも言いたいのだろう。サトイモ王国という国の国王だということが後で分かった。


 その後、国王に元の場所まで馬車で送ってもらい、簡単な挨拶を交わして別れた。地面の一部が赤く染まっている。船を漕いで、なんとか島まで帰ることができたが、すっかり日は暮れ、夜風が体に突き刺さる。昨日の夜風とは全くの別物になったようで、帰りの船の空気も比べ物にならないほど重かった。ヒーモ族のお出迎えがあったが、かけられる声も耳に届かず、ボロボロの木でできた家に入り、寝床でうずくまり、静かに泣き続けた。硬い地面でのみんなとの雑魚寝も今日だけは気にならなかった。隣に一人分のスペースが空いているから……


 それから数年はなにをしたのか、いまいち思い浮かばない。おそらくは、ずっと翻訳に打ち込んでいたのだろう。集中していたのか、なにも考えられなかったのかわからない。釣りをする回数は減ってしまった。釣りは好きだが、彼女とのことを思い出してしまうからだ。遠征から六年が経ち、ようやく英語とイモ語の翻訳書ができた。ここまでこれたのは、トムと竜吾りゅうごが手伝ったり、相談に乗ってくれたことが大きかったと思う。ただ二人とも、どこか暗い表情をしていた。ここに来てから九年が過ぎたので、僕らはかなり偉くなりヒーモ族内で大きな存在になっていた。


 そしてついに、僕と竜吾りゅうごがヒーモ族の親善大使しんぜんたいしとして、サトイモ王国に交渉する日がやってきた。トムは新しい総長として、僕たちを送り出してくれた。


 この一件がこの世界をひっくり返すほどの一大事件を引き起こすことになるとは……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る