第12話

アパートの部屋の前まで戻ってきたクニヒコは一旦はずしていたネガネをカバンの中から取り出した。



隣にいるタカシへ視線を向けると、大きく頷かれた。



ここまで来たらやるしかない。



クニヒコは覚悟を決めてメガネをかけた。



途端に周囲の様子が変化すると思っていたが、目の前にあるのはアパートの扉から変化がなかった。



メガネに表示されている日付を確認してみると、ちょうど1年前になっている。



隣の部屋のカオリさんが言っていた、事件があった時期を同じだ。



クニヒコはゴクリと唾を飲み込んで玄関ドアを開く。



母親は買い物にでかけている時間帯なので、部屋の中には誰もいない。



だけど部屋に入った瞬間猫の鳴き声が聞こえてきてクニヒコは足を止めた。



「どうした? なにが見える?」



「いやまだなにも見えない。だけど、猫の鳴き声がする」



それは自分の部屋から聞こえてきているようだった。



クニヒコは恐る恐るそちらへ足を向けた。



部屋の間取りはみなれたアパートのものだけれど、置かれている家具や部屋の雰囲気は違う。



1年前にここに暮らしていた人のものが、そのまま見えている。



「こっちからか?」



タカシの声がして、部屋に続く襖が開かれた。



同時に強い獣臭を感じてクニヒコは顔をしかめて、手で鼻を覆い隠した。



「ひどい匂いだ」



「匂い? どんな匂いがするんだ?」



「獣の匂いだよ。その押し入れの中からしてくる」



猫たちの鳴き声も大きくなり、カタシが押入れの中を確認しようとしたそのときだった。



玄関が開閉する音が聞こえきてクニヒコは息を飲んだ。



「どうした?」



「今、玄関が開く音がした」



「僕はなにも聞こえなかったぞ? ちょっとまってろ、確認してくるから」



タカシが早足に部屋を出ていく。



ギシギシとアパートの中を歩く足音が聞こえてきてクニヒコは身構えた。



「やっぱり誰も来てないぞ?」



首を傾げながら戻ってきたタカシにクニヒコは絶句してしまった。



キョトンとした表情のタカシの後にぴったりくっつくようにして見知らぬ男が立っていたのだ。



男は黒いサングラスと帽子、そしてマスクをつけていて顔が見えない。



それでも異様な雰囲気を感じて体中から汗が吹き出した。



「どうしたクニヒコ、顔色が悪いぞ?」



タカシに心配されても返事ができない。



クニヒコの視線は男に釘づけになっていた。



男は手に大きなダンボールを持っていて、こちらへ近づいてくる。



男と視線がぶつかった気がしてクニヒコは後ずさりをした。



しかし男は過去の映像の中の人間で、クニヒコには目もくれずに押入れの前で立ち止まった。



一旦ダンボールを床に下ろして押し入れを開ける。



途端に悪臭がきつくなり、吐き気がこみ上げてくる。



男はその段ボール箱を押入れに入れると、そのままアパートを出ていってしまった。



クニヒコはしばらくその場から動くことができなかった。



あの男は何者だろう。



持っていたダンボールの中身は?



疑問がグルグルと渦巻いているのに恐怖で確認することができない。



「クニヒコ大丈夫か? なにが見えたのか教えてくれ」



タカシに肩を叩かれてようやく我に返った。



「男が……段ボール箱をそこに……」



震える指先で押入れを指差すと、タカシが押入れの襖に手をかけた。



「開けるのか!?」



「だって、確認しないとわからないだろう?」



それでも、見るのは自分なのに!



そう言うよりも先にタカシは大きく襖を開いていた。



異臭が流れ出してまた吐き気がこみ上げてくる。



「なにが入ってるか確認できるか?」



そんなの無理だよ!



と、心の中で叫びながらジリジリと押し入れに近づいて行く。



ライバルの前でダサイところを見せたくなかった。



だけど箱の中を確認した途端に後悔した。



そこには沢山の猫たちが詰め込まれていて、身動きが取れない状態だったのだ。



ただ助けてほしいという鳴き声ばかりが聞こえてくる。



「ひどい」



クニヒコは思わず顔をそむけた。



できれば今すぐ助けてやりたい。



だけどこれは過去に起こった出来事だ。



ダンボール箱を押入れから出すことはできても、外に運び出すことはできなかった。



見ること、触れることはできるけれど歴史を返ることまではできない。



「ダメだ。猫たちを助けることができない」



クニヒコが歯ぎしりをしたとき、タカシがなにか思いついたように息を飲んだ。



「でも、段ボール箱に触れることはできたんだ。この部屋の中を探してみれば男の名前がわかるかもしれない!」



そう言われてクニヒコもハッとした。



ここで犯人が暮らしていたのなら、個人情報が乗ったものがあってもおかしくないはずだ。



そうとわかるとすぐに調べ物に取り掛かった。



そこでクニヒコはすぐに異常な様子に気がついた。



食器棚や本棚など、生活をするためには様々な家具が必要になる。



それなのにこの部屋の家具は異様に少ないのだ。



簡易的な棚が2つ置かれていて、そこに紙皿やちょっとした本が置かれているだけなので、すぐに調べ終えてしまった。



キッチンの下などを確認してみても、フライパンや鍋といった料理道具がひとつもない。



「嘘だろ。冷蔵庫もないのかよ」



部屋の中を見回して呟く。



「どうした? なにか見つけたのか?」



タカシの質問にクニヒコは左右に首を振った。



その場逆だ。



この部屋からはなにもヒントが出てこない。



まるで生活なんてしていないかのような様子だ。



「そうかわかったぞ。あの男、ここでは暮らしてないんだ」



「どういうことだよ?」



「この部屋は異様に生活感がないんだ。男の個人情報につながるものも何も見つからない。男は別に家を持っているんだ」



「でも、なんのために?」



家があるならアパートを借りる必要はない。



でも男は借りていた。



その理由は……猫を誘拐してくるため。

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