第9話

それからクニヒコはなんだかアパートの部屋にいたくなくて、気分転換に外に出てきていた。



この周辺が当時沼だったなんて信じられないくらい、人々の生活がある。



行くてもなく散歩しながらも思い出すのはさっきの猫のことばかりだ。



歩いていても野良猫の姿は見当たらない。



10匹の猫たちが押入れの中から出てきてどこかに消えてしまっただなんて、もしかして夢を見ていたんだろうか?



近所をグルリと歩いてアパートへ戻ってきた時、ちょうど隣の家の玄関が開いた。



「あ、はじめまして」



隣の部屋から出てきた女性と視線がぶつかり、軽く頭を下げて挨拶をした。



「はじめまして、昨日引っ越してきた人かな?」



「はい、そうです」



クラスの女子以外の異性と会話することなんてほとんどないクニヒコは緊張して頷いた。



「私はカオリ。よろしくね」



差し伸べられた手を握りしめるとともて柔らかくてすべすべしている。



ドキドキする気持ちを押さえてクニヒコはカオリにさっきみた出来事を話して聞かせた。



なにか知ることができるかもしれないと考えたのと、もう少しカオリと会話してみたいと思ったからだった。



「そう、押し入れから……」



クニヒコが話し終えるとカオリは深刻な表情になってうつむいた。



「なにか知っているんですか?」



「えぇ。おそらく君が見た猫は幻で、本物ではないと思うわ」



「幻? でも俺、本当に見たんですよ」



嘘をついていると思われたと思ったクニヒコは少しムッとして答える。



カオリは慌てて頷いて「疑っているわけじゃないの」と言った。



「実はね1年ほど前、この辺りでは野良猫が行方不明になる事件が相次いだの」



そう言われてクニヒコは地元のニュース番組を思い出した。



たしかに今から1年くらい前に野良猫がいなくなるというニュースを見たことがあって、動物を飼っている家の人たちが怖がっていた。



「その野良猫たちはある男に捕まって、アパートの押し入れに監禁されていたらしいの。それが……」



カオリはそこまで言うとクニヒコの部屋に視線を向けた。



「まさか、この部屋だったんですか!?」



「えぇ」



カオリは気まずそうな表情で頷く。



「そんな、でも、犯人はまだ捕まってないんですよね? ここに暮らしていた人が犯人だってわかっているなら、捕まるはずなのに」



「そうなんだけどね、猫が見つかったのはその人が夜逃げ同然で出ていった後なの。それにアパートの契約書に書かれていた名前や住所は全部偽物だった。だから当時誰がここに暮らしていたのか、わからないままなのよ」



「それじゃ、俺が見た猫は……」



「たぶん、死んだ猫たちの亡霊じゃないかな? 猫が見つかった時にはもう、みんな死んじゃってたって聞いたから」



クニヒコは背筋がソクリと寒くなったのだった。


☆☆☆


カオリから聞いた話と自分が見たものを、すぐに両親に知らせることになった。



ここへ引っ越してきた当日に猫の夢をみたことも、ついでに話した。



猫とはいえ、亡霊がいるアパートに半年も暮らしてるなんてとてもじゃないけれどできない。



「それは本当のことなの? 隣のカオリさんって人が、クニヒコを驚かせるためにつくった話じゃなくて?」



サラダを食卓に並べながら母親が言う。



「そんな嘘言うわけないだろ! それに、この辺で野良猫がいなくなったことはお母さんたちだって知ってるはずだ!」



クニヒコはテーブルに身を乗り出して訴えかけた。



「ねぇお父さん、俺の話しちゃんと聞いてる!?」



椅子に座って夕刊を読んでいた父親が、渋々と言った様子で顔をあげてクニヒコを見た。



「聞いているよ。でもな、ここにクラスのはほんの半年だ。少し我慢するだけでいいんだぞ?」



「なに言ってんのさ、半年も暮らすなんて無理だよ! お父さんとお母さんは猫を見てないからそんな風に言えるんだ!」



「クニヒコ。引っ越しっていうのはそう簡単に何度もできるもんじゃないんだ。転勤族の人なら会社が用意したアパートなんかがあるかもしれないけれど、お父さんはそうじゃない。全部自分で準備しないといけないんだぞ」



「それなら、このアパートの他の部屋に移動させてもらおうよ! 他にも空き部屋があるでしょう!?」



「このアパートはもう満室なのよ」



母親の言葉にクニヒコは愕然として目を見開いた。



ここが最後の一部屋だったということは、みんなこの部屋を借りたがらなかったということじゃないのか。



「それに死んだのは猫だろう? 人が死んだわけじゃないから、事故物件ってわけでもないんだ。猫の夢だって、気にしすぎて見たものだろう」



「そんな……」



「さぁ、もうこの話はおしまいよ。せっかくのカレーが冷めちゃうわ」



そうして、クニヒコの話は強制的に打ち切りにされてしまったのだった。


☆☆☆


次の日の学校はずっと気分が落ち込んでいた。



思い出すのは押入れの中から飛び出してきた猫の姿ばかり。



ライバルのタカシがクラスの中心になってみんなに勉強を教えていても、今のクニヒコにはなにも見えていなかった。



「クニヒコ君。今日は元気がないみたいだけど、どうしたの?」



見かねたハルカが声をかけてきたのでクニヒコはようやく顔をあげた。



「すごいクマ。眠れてないの?」



「あぁ、うん……」



カオリから聞いた猫の話のせいでほとんど眠れなかった。



1度眠りについても、猫の夢を見て飛び起きてしまったのだ。



「なにか心配事とかあるの? 相談に乗るよ?」



ハルカにそう言われて一瞬猫の話をしてしまおうかと思った。



きっと誰かに話せば気分がスッキリするはずだ。



けれど喉元まで出かかった言葉は結局出てくることがなかった。



ハルカは怖いものが苦手だし、猫の亡霊なんて信じてもらえるかどうかわからない。



「ううん、いいんだ」



「でも」



「本当に大丈夫だから」



クニヒコはそう言って、また机に突っ伏してしまったのだった。

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