第6話
クニヒコにはどうしてハルカが逃げてしまったのか意味がわからなかった。
できればこのメガネをかけて当時の景色を見せてあげたかったけれど、その前にいなくなってしまったのだから仕方がない。
1人になった帰り道、クニヒコは首橋の前まで来ていた。
昔、ここで敵の兵士の首を洗ったと言われている橋だ。
「本当にここで首を洗っていたんだだろうか」
郷土資料には確かにそう書かれていたし、当時のイラストも残っていた。
しかし、写真として残っていないから本当かどうか怪しいと思っていたのだ。
クニヒコは石の階段を下りで広い河川敷へと向かった。
河川敷には更に川の中に入って行けれるように石段が下に下に続いている。
そこまでたどり着いて川の流れを見てみると、昼間振った雨のせいで少しだけ水面が上がっていて、上流からゴミが流れてきていた。
昔はもっと綺麗な水だったんだろうな。
そう思いながらポケットからメガネを取り出す。
もしここが本当に首を洗った川であれば、その様子を見ることになる。
壮絶な光景を思い浮かべてクニヒコは強く身震いをした。
生首を見ても平気でいられるかどうか自信がなくて、メガネをかけることに躊躇した。
だけどここで確認しなければ、このメガネが本当に歴史を映し出すメガネなのかどうかもわからないままだ。
この川をメガネで見た時に一体どんな光景が見えるのか……。
クニヒコはゴクリと唾を飲み込んで恐る恐るメガネをかけ、ギュッと目を閉じた。
目を閉じているのにめまいを感じて、目を開けたときには川があった。
けれどさっきまで見ていた川とは明らかに違う。
雨の後の濁った様子はなく、水位も低く透き通っている。
川の真ん中あたりにキラリと光るものが見えて身を乗り出してみると、川魚が群れをなして泳いでいた。
「わぁすごい魚がいる!」
近年この川は汚れがひどくて魚が住めるような場所ではなくなっていたのだ。
間違いない。
今俺が見ている景色はこの川の歴史だ!
クニヒコの心臓は大きく跳ねて、興奮で手にじっとりと汗が滲んできた。
じっと川の様子を見ているといくつもの足音が聞こえてきて振り向いた。
そこにいたのは3人の甲冑をつけた兵士たちで、クニヒコは数歩後ずさりをしてそのまま尻もちをついてしまった。
悲鳴をあげようにも声が喉に張り付いて出てこない。
尻もちをついたまま3人の兵士たちを見ていると、1人がクニヒコへ視線を向けた。
クニヒコはビクリと体を震わせる。
「おい、どうした?」
「いや、誰かがいた気がしたけれど、気のせいみたいだ」
そんなやりとりをして川へと歩いていく。
一番後についてあるく兵士は槍のようや武器を右手に持っていて、その先端には生首が突き刺さっていた。
「うわぁああ!!」
今度こそ悲鳴が上がった。
大慌てで足を動かして土を蹴って立ち上がろうとする。
しかし滑ってうまく立ち上がることができない。
その間に兵士たちは川に入っていき、槍の先端に突き刺さっている生首を洗い始めたのだ。
キレイな川の水が一瞬にして真っ赤に染まる。
クニヒコはわぁわぁ悲鳴をあげて暴れている内に、いつの間にかメガネが外れていた。
「君、どうかしたの?」
偶然犬の散歩をしていた女性に声をかけられて、ようやく我に返り振り向いていみると兵士たちの姿は見えなくなっていた。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫です」
全身に汗を吹き出しながら、どうにか立ち上がったのだった。
☆☆☆
首橋の歴史は本物だった。
ついでに、このメガネも本当に歴史を見ることができるとわかった。
「お母さん、使ってないメガネケースってない?」
帰宅してすぐ、リビングで洗濯物をたたんでいた母親に声をかけた。
「メガネケース? あるけど、どうするの?」
「割れやすいものを入れておきたいんだ」
適当に嘘をついて、プラスチックのメガネースを出したもらった。
それは透明で、ピンク色のメガネ拭きもセットになっていた。
「これは僕の宝物だ」
メガネケースにメガネを入れたクニヒコは大切そうに、机の鍵のかかる引き出しにしまったのだった。
☆☆☆
翌日、メガネをかけて街の中を探索しようと思っていたクニヒコだったがあいにくの雨だった。
仕方なく、「今日はどこにも行かずに引っ越しの準備をしなさい」と言われたことに素直に従った。
クニヒコが暮らしているのは築40年目になる借家で、管理者が建て直したいのだと申し出ていた。
そのためクニヒコたち家族は一旦近くのアパートに引っ越しをして、建て直しが終わった頃にまた戻ってくることになっていた。
その頃にはこの家はなくなっていて、もっと綺麗で立派な家に変わっているという。
それはクニヒコにとって楽しみなことのひとつだった。
「そろそろ本も片付けないと」
引っ越し予定日は2日後。
もうほとんどの荷物をダンボールに詰めていたが、歴史書だけは最後まで残っている。
分厚い本を一冊手にとり開いてみると、戦国時代について書かれたページだった。
瞬間的に生首を思い出してページを閉じる。
文字で見たり絵で見たりして知っている気になっていたけれど、実際目の当たりにすると大違いだ。
クニヒコは深く考え悩むような表情を浮かべて、本を大切にダンボールに詰め込んだのだった。
☆☆☆
元々暮らしていた家から引越し先までは徒歩で行ける距離だった。
「僕は歩いて行くから大丈夫」
白い普通車の運転席へ向けてクニヒコは言った。
運転席には父親、助手席には母親が乗っていて後部座席は荷物でいっぱいになっているため、クニヒコが乗るスペースがないのだ。
「場所はわかるな?」
「うん。もう何度も行ったから覚えたよ」
「じゃあ、先に行って待っているから、ゆっくり来なさい」
父親がそう言うと、車はゆっくりと発進した。
クニヒコは父親が運転する車を見送ると、カバンを地面におろしてメガネを取り出した。
新しいアパートまでの道のりをメガネをかけて歩いてみようと思ったのだ。
車の後部座席が荷物でパンパンになってくれたおかげで、歩く口実を見つけることになった。
「確かこの辺は昔沼だったんだよな」
地名にも沼という文字が入っている。
教科書やノートが入ったリュックを背負い直して、メガネをかける。
途端に視界が歪んでめまいがした。
これはメガネをかけたときに必ず起こる現象だとクニヒコはすでに理解していた。
めまいはほんの数秒でよくなってあたりを見回してみる。
そこは暗い森の中で湿度が高いようでかなりじめじめしている。
絡みつくような空気を感じながらクヒニコは一歩踏み出した。
この先をまっすぐ行けば信号機があるから、そこまでメガネをかけて歩いてみよう。
信号機は音が鳴るタイプなのでメガネをかけていてもわかるはずだ。
普通の歩幅で歩こうと思うのだけれど、湿った地面に足を取られてなかなか前に進むことができない。
運動靴のジワリと水が染み込んでくる感覚があって、慌てて足を引っ込めた。
メガネを外して足元を確認してみると、靴は汚れていなかった。
「すごい。なにもかもリアルなんだ」
クニヒコは目を丸くして呟いた。
このメガネをかけているときはどうしても興奮状態になって、呼吸が荒くなってくる。
前方へ視線を向けると信号機まではまだまだ距離があった。
クニヒコはまたメガネをかけて、湿った地面を踏みしめながら歩き始めたのだった。
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