第8話 再会

 私は約一年ぶりに外に出た。

 太陽の光が眩しい。

 薄暗い地下牢に慣れきってしまった私には、この春の日の光は刺激が強い。だが、頬にあたる風は心地よかった。


 これから南の貿易港坂伊さかいの遊郭に連れて行かされる。かなり憂鬱であったが、あの狭い地下牢よりはいくぶんましなような気がした。

 与治郎のおかげで少しはましになったが、このまま地下牢にいたら自殺してしまったかもしれない。

 木蓮への思いが自殺をぎりぎりおもいとどめさせていたが、きっとそれも時間の問題だっただろう。



 私は馬車にゆられて、貿易港坂伊に向かう。

 御者は与治郎がつとめることになった。他に二人ほど監視の者がついたが、彼らとは話すことはなかった。

 ある宿場街で私は風呂に入ることを許された。

 監視の二人が見張るためだと言ってともに入ろうとしたが、それを与治郎が制した。

 与治郎が左目に殺意をこめて、他の二人を見ると彼らは黙って引き下がった。

 もしかすると私が監視の者たちに犯されないのは与治郎がいてくれたからかも知れない。私がここであの男たちの慰み者になっても咲希が何も言わないだろう。どうせ遊郭に売られるのだから、それが早いか遅いかの差であると。


 五日ほどの馬車の旅で、私たちは坂伊の街にたどり着いた。




 そこは今までみたことのない賑やかな街だった。

 北の侲帝国の商人、黒い肌の大道芸人、金の髪をした旅人など多種多様な人間であふれていた。いろいろな言語が飛び交い、街全体が活気に満ちあふれている。

 この街の領主である梅史恩が商人たちに自由に商売をさせているのだという。南梅なんばい城に届け出さえだせば自由に誰でも商売ができるのだという。


 私はその坂伊の花街にある遊郭の前で下ろされた。そこで監視の者たちと分かれる。

 与治郎だけは藤幻夜のもとを辞することになった。

 体の不自由な彼はそれをあっさりと認められた。

 藤幻夜の美意識からは与治郎のような人間は不必要と判断されたようだ。


 私が売られた遊郭の店は鯨屋くじらやという名前だった。

 そこの女将の名は朝顔といった。細身で背が高く、年は五十をまわっているらしいが、年齢不詳の妖しい美しさを持っていた。


「ほう、これは存外儲けものを手に入れたかもしれないね」

 かすれた声で私を見つめて、朝顔は言った。

「それに後ろのあんた、いい面構えだね。ちょうど用心棒を探していたんだよ、この店で働いてみないかね」

 目を細めて朝顔は与治郎の顔を見る。

「わかった」

 と与治郎は短く答える。



 こうして私と与治郎はこの鯨屋で働くことになった。

 私は店に出る前にいくつかの芸事を覚えさせられた。

 三味線に笛、詩吟、舞いなどである。

 どうやら私には三味線の才能があったようだ。三味線をひく私を見て、目を糸のように細めて、朝顔は褒めた。

「あんたは黙っていても気品と花があるし、きっとこの花街一の花魁になるよ」

 ふふふっと妖しい笑みを朝顔は浮かべた。

 そんなものになりたくはなかったが、あの地下牢での生活に比べたら、ここははるかにましに思えた。

 石の地下牢に比べたらはるかに柔らかい畳の上にいられるし、日に二食きっちりとした食事をとらせてもらえた。干した鳳梨がでたときは思わず涙が流れた。


「男を楽しませるにはあんたは痩せすぎだから、きっちりと食べるんだよ」

 朝顔は言った。


 そんな日が一月ほど続いた。

 そしてついにその日がやってきた。



 私が客をとる日が来たのだ。

 髪を整え、おしろいで化粧をする。

 派手な蝙蝠柄の着物を着せられる。日々たっぷりと食べさせてもらえたので私の体は以前よりは豊かなものになっていた。

 摩耶にはかなわないが。

 そういえば、摩耶や虎将はどうしているのだろうか?

 今の私には知る術はない。

 ほんの一年前と少し前までは大君としてこの天弓国の頂点にいたのに、今は三味線をひきながら、抱かれるために男を待っている。

 自嘲する気もおきない。



 しばらくすると朝顔がとある男をつれて入ってきた。

「蓮華屋様、ごゆるりと……」

 深く、うやうやしく頭をさげて朝顔は部屋を出る。

 私はその蓮華屋という男と二人きりになった。


 その蓮華屋と呼ばれた男は、すらりと背が高く、凛々しい顔だちをしていた。

 朝顔はこの坂伊の街で指折りの大店おおだなの主だといっていたが、着ている着物は庶民のそれとそえほどかわらない。


 あれっ、この顔どこかで見たことがある……。


「すまないね、紅花べにばなさん。私は心に決めた人がいるのだよ。あんまり朝顔がしつこくいうから来たのだが、今日は得意だという三味線だけ聞かせて帰らせてもらうよ」

 すまなそうにその男は私の前に座り、頭を下げる。

 私はその声を聞き、確信した。

 声変わりしてはいるが、間違いない。

 このいたずらっ子のような瞳はあの人に間違いない。

 

 頭を上げた蓮華屋と呼ばれた男と視線が交差する。


「木蓮……」

 ぽろぽろと涙が勝手に頬をつたう。これではせっかくの化粧が台無しだ。


「そ、その声は紅音なのか……」

 目を見開いて、驚いた顔で蓮華屋は言った。

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