第3話 ささやかなひと時

 すでに道場には剣術指南の日向ひゅうが虎将とらまさが準備を整えて待っていた。三十代なかばの屈強な武士だ。剣の腕前は天弓国随一といわれている。

 たしかにその通りだと思う。

 私はこの男からまだ一本もとったことがない。


 私は鉢巻を巻き、防具を身につけ、竹刀を持つ。


「さて殿下、難しい話のあとは体を動かしましょう」

 虎将が言う。


 彼はだらりと腕をたらし、無防備に竹刀を持っている。防具は身につけていない。顔には小憎たらしい笑みを浮かべている。


 私は一礼し、彼にためらうことなく竹刀を打ち込む。

 むろん、全力だ。

 だんっと踏み込み、突きを放つ。

 遠慮などせずに虎将の喉笛めがけてだ。

 大君家の養子となり、彼の剣術の弟子となって遠慮などは無用だとはやいうちに理解した。

 虎将は左半身だけひき、私の渾身の突きをかわす。

 すかさず反転して、下段から上段へと斬りつける。

 その一撃も軽くしないでいなされる。

「今のはよいですぞ」

 ふてぶてしい笑みを浮かべながら、私の斬撃をすべてかわすか、竹刀で受け流す。


「なかなか良い打ち込みですぞ、並の剣士ならば一本とれますぞ」

 さらににやりと微笑み、またしても私の渾身の一撃をひらりとかわす。わずかだが、虎将の額に汗がにじんでいる。


「しかし、お主からはとれぬではないか」

 私は言う。


 胴をねらった横一文字の攻撃も竹刀で受け流される。

「拙者は並ではござらぬからな」

 はははっと虎将は楽しそうに笑う。



 ある程度、剣術稽古で汗を流し、私は摩耶から手ぬぐいを受け取る。

 冷たい水がいれられた茶碗を受け取り、それを一気飲み干す。

 体に水がしみわたる感覚がたまらない。


「兄上お疲れ様です」

 摩耶はいい、兄の虎将にも水の入った茶碗を渡す。

 虎将もそれを一気に飲み干す。

 ふーと一息つく。

 わずかだが顔が紅潮している。


「兄上に汗をかかせるのはたいしたものですよ」

 摩耶はそう言って、ほめてくれる。

 そういって褒めてくれるのはうれしいが、やはり一本でもとりたい。



「いやあ、姫殿下。精がでますな」

 のんびりした声がする。

 汗を拭きながら、ふりむくと道場の入り口あたりに日焼けした肌の男が立っている。

 草履をぬぎ、かつて知ったというように入ってくる。

 私にぺこりと頭をさげ、挨拶する。

 美男子とは言いがたいが、愛想のいい笑顔が印象的だ。その笑顔をみるとこちらもなぜだか朗らかな気分になる。

 この男は蘭彩歌の十歳年下の弟でらん士元しげんという。

 巡行使という役職にあり、天弓国のさまざまな情報をあつめている。ときには海をわたり、外国に行くこともあるのだ。


「士元殿、南のばい史恩しおん殿の領内からお戻りか」

 にこやかに虎将が士元に握手する。

「日向殿、たったいまもどったところです。摩耶殿、これは土産です」

 力強く士元は虎将の手を握りかえし、摩耶に風呂敷につつまれたものを渡す。

「南の港はどうでござったか?」

 虎将はきく。

 私も興味があるので士元の言葉に耳をかたむける。

「いやあ、面白いところでござったよ。とくに女城主梅史恩殿は天女のような美しさでござったよ」

 笑顔で蘭士元は答える。



 この日の夜、蘭士元を交えて虎将と摩耶の兄妹とともに夕食をとった。

 蘭士元が南の梅史恩領からもちかえった鳳梨パイナップルの実を干したものは格別に美味しかった。なんでも南の海に浮かぶ宝来島でとれたものを加工したものだという。

 梅史恩の領土は狭いが、貿易港坂伊さかいを領するためその財力は天弓国一だという話だ。

 私は食後に鳳梨を干したものを口にいれる。

 この甘酸っぱさがくせになりそうだ。

「本当にこれは美味でございますね」

 どうやら摩耶も気に入ったようだ。

「それはなによりでござる」

 蘭士元はうれしそうだ。

 その鳳梨は私と摩耶でほとんど食べきってしまった。


 それは戦場に出る前のささやかな平和な一夜であった。

 

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