10-3

 ドガガァァーン!!


 背後で八岐大蛇の爆音が響き渡り、リョウはハッとして振り返る。


「沙也加!?」


 だが、その一瞬のスキを突いてメイが一気に間合いを詰める。


「よそ見するなんて余裕っすねーッ!」


 ガギィィン!


「クソっ……」


 かろうじてメイの鎌を受け止める。


 ちっ、またこのパターンかよ。


 さっき下で戦った時と同様、メイがまともな精神状態ではないのは一目瞭然だ。


 メイが正気に戻るまで防御を続けるか?

 いや、その前にスタミナが切れて攻撃を喰らってしまうだろう。


 ならば。


「お前だったら簡単には死なねーだろうから、半殺しにさせてもらうぜ!」

「いいねぇー、面白いっす! 僕は全殺しにしちゃうっすけどねー!」


 鎌の攻撃を回避しつつ、ナイフを投げる。


 ナイフはメイのフードをかすめ、ピンクの髪があらわになってフワッと逆立った。


 その瞬間、メイの不気味に笑う瞳が青白い光を放つ。


 来る……!


 咄嗟に距離をとったリョウめがけて、メイが鎌を振り衝撃波を放つ。


 リョウは後方に転がって衝撃波を回避し、しゃがんだままイングラムの銃口をメイに向けた。


 が。


 メイの姿が消えた。


 光学迷彩マントか?


 いや……上だ!


「ィヤッホォー!!」


 リョウが目を上げると、月を背にしたメイが鎌を振り上げて空から降って来た。


 ガキィン!


 石畳を打った鎌が鋭い金属音を発する。


 鎌を前転で回避したリョウは、すかさず背後に向かってイングラムの引き金を引く。


 ドガガガガ!!


 メイの着地点を狙った攻撃。


 完璧なタイミング。


「決まったか!?」


 そう思ったリョウだったが、メイは完全にその攻撃を読んでいた。


 振り下ろした鎌を地面に突き立て、鎌の握り手を軸にしてプロペラのようにクルクルと空中回転する。


「何だそりゃ!?」


 メイはその回転の勢いのまま、空中で鎌を持ち上げ、横殴りに鎌を振るう。


 しかも……まさかの二回転!


「秘技、ダブル鎌鼬かまいたちっすー!!」


 上段と下段、二つの衝撃波が同時に迫る。


 さすがに回避できず、リョウは咄嗟にシールドを張って防御する。


 ズバシャーッ!!


 だが、二つの衝撃波はシールドをあっさり突き破った。


「がはっ!」


 リョウは腕と脚に衝撃波の直撃を受け、後方に吹き飛ばされて千日紅の上を転がった。


 空で文字通り高みの見物をしていたルナが、楽しそうに笑う。


「いいわよ、さすがメイちゃん! さあ、そのままフィニッシュよ!」

「了解っすー!」


 メイが頷いて、リョウに向かって走り出す。


 吹き飛ばされたリョウは、屋上庭園の端まで追い詰められていた。


 背後には真っ暗な空間が果てしなく広がり、遥か下で新宿の街の光が瞬いている。


 申し訳程度の手すりはあるが、さっきみたいに吹っ飛ばされたら簡単に場外に落とされてしまうだろう。


 ヤバイぞ、この状況。


「リョウ君!!」


 沙也加が叫ぶ声がして、リョウはハッとして顔を上げる。


 刹那。


 メイの鎌がリョウの鼻先をかすめる。


「あっぶねー!」


 あんなのを顔面に喰らったらそれこそ即死だ。


「もう終わりっすかー!?」


 メイが鎌を振り回す。

 リョウは刀でメイの攻撃を防ぎながら、じりじりと追い込まれていく。


「クソっ、このままじゃマジで死ぬぞ!」


 リョウは必死で頭をフル回転させた。


 今までメイと何度か戦って、自分の中でシミュレーションはしていた。


 メイの攻略法。


 あることはあった。

 だが、それはとても攻略法と言えるようなものではない。


 良くて五十パーセントの確率。

 いや、実際には十パーセント以下かもしれない。


 そもそも、今まで一度も成功したことがないのだ。


 だが。


「どうせ死ぬなら、もうこの作戦に賭けるしかねぇ……!」


 鎌に『鎌鼬』という固有スキルがあるように、日本刀にも『心眼しんがん』という固有スキルがある。


 発動条件は、一秒以上目を閉じ、視界ゼロの状態で敵の攻撃を刃で受け止めること。


 成功すればあらゆるダメージを無効化し、相手の動きを一瞬だが止めることができる。


 だが、失敗すれば確実に致命傷を受けることになる。


 まさにハイリスクハイリターンの代表といえるようなスキル。


 リョウは顔を上げ、空に浮かんでいる龍崎ルナを睨んだ。


「こうなったら望み通り、お前の作ったクソゲーのクソシナリオが勝つか、俺のゲーマーとしての本能が勝つか……勝負してやろうじゃねーか!」

「勝負ですって?」


 ルナは冷たく笑う。


「リョウ君、さっきも言ったけど、このゲームの結末は決まっているのよ。あなたも自分でわかっているでしょう。メイちゃんには絶対に勝てないって」

「さあ、それはどうかな……」

「もう一度言うわよ。リョウ君、。男らしく、自分の運命を素直に受け入れなさい」


 まるで、リョウの意識に敗北のイメージを植えつけるかのようにルナは言った。


 悔しいが、ルナの言う通りだ。


 リョウは焦っていた。


 冷たい汗が頬を伝う。


 そう、ルナは何も間違っちゃいない。


 俺は一度もメイに勝ったことがない。


 それが事実。


 つまり、勝率ゼロパーセントなんだ。


 そんな俺が、この土壇場で、都合よく勝てるなんてことがあるだろうか?


 いや、ありえない。


 そんなことがありえるのは、漫画やアニメだけの話。


 これは現実。


 非情で、残酷で、つまらない現実。


 リョウの背中に、冷たい風が伝った。


 そうだ……ありえないんだよ。


 メイは全人類最強プレイヤーだ。

 そんな化け物みたいな奴に、俺みたいな一般人が勝てるわけがない。


「殺される……」


 十パーセントの確率に賭けるだって?


 今まで一度も成功したことがないそんな作戦、確率はゼロパーセントじゃねぇか!


 手が震える。


 恐怖で涙が出そうだ。


 死ぬのが怖い。


 逃げ出したい。


 許してくれ!

 死にたくない!


 そんな言葉が、今にも口から洩れそうになった、その時。


「はぁあ!? 何言ってるの? 『絶対に勝てない』なんてこと、あるわけないでしょ! ばあぁーかぁ!!」


 沙也加の、初めて聞くようなそんな声に、リョウはハッとして顔を上げる。

 彼女は今まで見たことがないような目で、真っすぐにルナを睨んでいた。


「沙也加……お前」


 お前は、そう思ってくれるのか?


 この今の状況でも。

 俺がメイに勝てるって。

 お前は信じてくれてるのか?


 沙也加はリョウの方に振り返り、泣いてるんだか笑ってるんだかわからない顔で微笑んだ。


「リョウ君、私は知ってるよ。キミが、『最強の負けず嫌い』だってこと」

「あ……」


 最強の負けず嫌い……。


 そうか。


 リョウはその時、思い出した。


 小さい頃、初めて沙也加の家に行った時のこと。

 生まれて初めてゲームをやった時のこと。


 確か、スマブラスマッシュブラザーズだったっけ。


 最初、リョウは沙也加に全然、歯が立たなかった。

 そりゃそうだ、彼にとってゲームは、それまでまったく未知の遊びだったのだから。


 だが、それでも諦めずに戦い続けると、その日帰る頃には、逆に彼の方が連勝するようになっていた。


「うぇー、リョウ君すごい! なんか全然勝てなくなっちゃったよぉ」


 目を丸くする沙也加に、その時、リョウは言ったのだ。


「まあな。俺は最強の負けず嫌いだからよ」

「あはは、何それー。リョウ君って面白いねぇ」


 そう言って明るく笑った沙也加の笑顔が、今でも脳裏に焼き付いている。


 そうだ。何で忘れていた?


 あの日、俺はゲームが大好きになったんだ。


 そして、沙也加の笑顔も大好きになった。


 なのに、俺は何を弱気になってるんだ?


 あの笑顔を守る。


 自分でそう決めたんじゃなかったのかよ!?


「ああ、そうだよ。当たり前だろ!」


 自分に言い聞かせるように、リョウは叫んだ。


「ここで負けて死ぬなんてありえねーよ。負け越したまま終わるなんて、そんなのは俺じゃねーからな!!」


 たった一度だけでいい。


 勝率ゼロパーセントだったとしても。

 一生に一度しか勝てなかったとしても。


 俺は沙也加を守るために、今、ここで勝つんだ!


 深く息を吐き、刀を構え、目を閉じる。


 視界ゼロ。


 真っ暗な闇の中で、夜空の冷たい空気を感じる。


 一歩でも後ろに下がれば、新宿のオフィス街に真っ逆さまだ。


 まさに背水の陣。


 だが、リョウの心は不思議と落ち着いていた。


 なんだろう、この感覚は。


 今までにない、不思議な気持ちだ。


 沙也加が俺のことを信じてくれている。


 だから、俺も自分を信じることができる。


 心眼なんて、今まで一度も成功したことがないのに、今は失敗なんてありえないような気さえしている。成功すると確信している。


「ここに来て心眼っすかー。面白いっすねー!」


 目を閉じていても、メイが笑いながら近づいて来るのがわかる。


「さあ、いざ尋常に、勝負っすよー!」


 真っ暗な闇の中で。


 メイが足を踏み出し、間合いを詰めて来る。


 その一歩一歩が、どの位置を踏んでいるのかまではっきりとわかる。


 恐怖はない。


 明鏡止水とはこんな状態を言うのかもしれない。


 メイがどんなふうに動いて、どんな攻撃をしてくるのか。

 瞼の内側のスクリーンに、未来の映像が何度もリピート再生される。


 地面を蹴ってジャンプし、左斜め上から鎌を振り下ろし、今まさに刃がそこに届く……その瞬間。


「見えたッ!」


 キィィィィー……ン!


 初めて聞く、澄んだ鈴のような高い音が響き、メイの鎌を弾いた感触が手に伝わってきた。


 今まで受け止めていた時と違い、全く重さを感じない。


 これが、心眼……。


 目を開くと、メイがびっくりしたように目を見開いて空中で硬直していた。


「あれ……メイ!?」


 リョウは焦った。


 硬直したまま、メイの体は屋上の手すりを越え、何もない真っ暗な空間に向かって飛んで行く。


 弾くことだけに集中しすぎて、方向をまったく考えていなかったのだ。


「え、マジっすか……落ちる……?」


 メイの顔が真っ青になる。


「メイちゃん!!」


 沙也加が叫び、メイを追いかけて空に飛び出す。


「沙也加!?」


 空中でメイの手を掴んで抱き寄せながら、沙也加がもう片方の手をリョウの方に伸ばす。


「リョウ君!」

「沙也加、つかまれ!!」


リョウが腕を伸ばし、沙也加の指先に触れたと思った瞬間。


メイを抱きしめた沙也加の体は、真っ逆さまに闇の中に消えて行った。


「沙也加! メイ! うわあああああぁぁ!!」


 リョウは絶叫した。


 こんなことってあるだろうか。


 沙也加とメイが死んでしまった。


 俺のせいだ。


 俺が二人を殺した……!


「あらあら」


 その一部始終を見ていたルナは、口元をおさえてクスクスと楽しそうに笑っていた。


「残念ねえ。せっかく心眼に成功したのに、こんなバッドエンドになってしまうなんて」

「ルナ、お前……」


リョウは青ざめた顔でルナを睨んだ。


「リョウ君、もしかしてほんの一瞬でも、自分が主人公になったとでも思ったのかしら。本当に無様。本当にかっこ悪いわぁ。所詮、あなたはただの一般人。世界を変えるなんてことはできないのよ。馬鹿なあなたでも、これでようやく理解できたでしょ?」


 うるさい。黙れ。


 そんな事は、俺が一番わかってるんだ。


 俺は最低だ。


 自分が生き残るために、沙也加とメイを犠牲にしてしまった。


 二人を殺してしまった。


 俺にとって、一番大切な二人を……。


 目から涙が溢れ、視界が歪む。


「うわああああああ!」


 リョウは地面にうずくまり、ただ泣き叫ぶことしかできなかった。

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