STAGE 9
9-1
「あれー、おかしいっすねー」
メイは、部屋のベッドの上でVRゴーグルを装着したまま首を傾げた。
昨日、確かに龍崎ルナ社長は、LOVのメンテナンスは終わったと言っていた。だが、昨夜からメイが何度ログインしようとしても、画面はメンテナンス中のまま変わらなかった。
メイは脱力したようにおもむろにゴーグルを外し、ぼんやりと天井を見上げた。
もしかしたら一旦は公開したのに、再度また問題が発覚したために臨時メンテナンスになってしまったのかもしれない。オンラインゲームではよくあることだ。
「あー、早くLOVがやりたいっす」
メイは天井を見ながら呟くと、枕元を手探りしてスマホを手に取ると、時計を確認した。
時刻は五時を過ぎたところだった。
レースのカーテンを通して、傾きかけた太陽の光が部屋の中を照らしている。
「少し早いけど、そろそろ向かうっすかねー」
今日は六時からオロチ本社でミーティングがある。
もしかしたらメンテナンスの状況などもそこで話があるかもしれない。
そんな風に思いながら、マンションを出てタクシーを拾った。
彼女の自宅からだと、
車窓を流れる街の景色を眺めながら、メイはぼーっと昨日の社長の言葉を思い出していた。
「今までにない限定イベント、か……」
一体、どんなイベントなんだろう。考えただけでワクワクする。
メイは本当にLOVが大好きだった。
今まで、小さい頃から色んなゲームをやってきたが、三年前にLOVがリリースされると、彼女はすぐにその虜になってしまった。それまでやっていたあらゆるゲームもそっちのけで、毎日LOVに没頭した。
圧倒的な自由度の高さ、まるで現実のようなリアルなグラフィック、実際に体験しているかのような臨場感と操作性、敵を倒した時の爽快感、そして自分の戦闘スキルのみで勝利するという達成感。
ゲーマーであれば興奮せざるをえないような、あらゆる魅力がLOVには詰まっていた。彼女にとっても、それは今までのゲームの常識を越えた体験だった。本当に最高のゲームだと思っていた。
だから、龍崎ルナからLOVの運営メンバーにならないかと誘いがあった時は、本当にうれしかった。興奮して三日ほど眠れなかったくらいだ。
超人気ユーチューバーである彼女は、既に一生遊んで暮らせるくらいの収入があった。
だが、彼女はずっと心のどこかで「このままでいいんだろうか」という疑問を抱えていた。
確かに経済的には何も不自由はない、成功者と言ってもいいのかもしれない。
でも、彼女は何かが足りないと思っていた。
このままでいいんだろうか?
という、漠然とした不安と焦り。
『素敵な贈り物をくれたこの世界に、たくさん恩返しをするのよ』
そんな祖母の言葉が、ずっと頭の中をフワフワと漂っていた。
それって、一体何をしたらいいんだろう?
考えてもわからなくて、彼女はゲームに熱中することで、その不安や焦りから逃げ続けていた。
龍崎ルナからの誘いが届いたのは、そんな時だった。
メイの中で、ずっと探していても見つからなかったパズルのピースが、カチッと音を立ててはまったような気がした。
全世界で10億人以上がプレイする最高のゲームの運営に携わって、世界中の人をワクワクさせ、感動させること。
それこそまさに、自分にしかできない『世界への恩返し』なのかもしれない。
メイはすぐにルナに返事を書いた。
そして、大学卒業後にオロチのメンバーとなることが決まった。
そんなメイにとって、龍崎ルナとの出会いも運命的だったが、オロチ本社で一緒になった同期メンバーとの出会いもまた運命的だった。
特に、水無月沙也加。
過去の経験から、他人とは必要以上に近づかないようにしていたメイの心の壁を、沙也加はあっさりとすり抜けて来た。
『友達になろう』なんて言葉、生まれて初めて言われた。
そんなことを面と向かって言ってくる人間なんて、アニメの中にしかいないと思っていたのに。
純粋で明るく、真面目で優しい、太陽みたいな存在。
沙也加は、どことなく祖母に似ていた。
いつの間にかメイは、自分でもびっくりするくらい沙也加のことが大好きになっていた。
メイにとって、オロチはもはやただの職場ではなく、もっと大切な場所になっていた。何しろ、そこに行けば毎日沙也加に会えるし、世界に恩返しもできるのだから。
そんな最高の場所を与えてくれたルナには、本当に感謝してもしきれないくらいだ。
そんなことを思い返しながら。
ぼんやりと窓の外を眺めていたメイはふと、タクシーが目的地に近づくにつれ、辺りが妙に騒々しくなっていくことに気づいた。
それは、いつもの平和な賑やかさとは違う、どこか不穏な騒がしさだった。
パトカーのサイレンが鳴り響き、空にはヘリコプターが飛んでいる。
「何かあったんすかねー?」
メイはそんな外の様子を眺めながら、運転手のおじさんに聞くともなしに声をかけた。すると、おじさんはルームミラー越しに、ビックリしたような目を向けて来た。
「あれ、お嬢さん知らないんですか……てっきり知ってるのかと思ってましたよ。今、オロチの本社は大変なことになってるみたいですよ」
「え……?」
大変なこと?
しまった。またニュース見るの忘れてた。
メイは慌ててスマホでニュースをチェックする。
『オロチ本社を包囲する謎の武装集団、一触即発の状況』
そんな見出しがすぐに目に飛び込んで来た。
「えええ、予想の遥か上を行く大変なことが起きてるっす……」
「そうでしょ。行くのやめますか? どっちにしろ、本社の前まで車は入れないと思いますけど」
おじさんが心配そうにメイを見る。
「いや……」
メイは、スマホに表示された武装集団の写真を見つめたまま、首を振った。
「このまま、行ける所まで行ってくださいっす」
やがてタクシーは交差点を曲がり、オロチ本社の真っ黒な建物がフロントガラスに映った。
そして、そのすぐ先の道路はバリケードが張られて、完全に封鎖されていた。
見たこともないくらいたくさんのパトカーが集まっていて、野次馬がそれを取り囲んでいる。
「ここで大丈夫っす」
メイはタクシー料金を払い、外に出た。
風はなく、ねっとりと湿った生ぬるい空気が体にまとわりつく。
歩道を歩きながら、彼女はオロチ襲撃についてのニュース記事や中継映像を片っ端からチェックしていく。
何てことだろう。
ありえない。
こんなこと、絶対にありえない。
あっていいはずがない。
「あー、やばいっすね……」
メイは、湧き上がってくる感情を必死にこらえていた。
ドクドクと、アドレナリンが体内を駆け巡る感覚。
スマホをポケットに入れ、夕日に染まり始めた夏の空に黒々とそびえる、巨大な黒い影を見上げる。
「社長も人が悪いっすねー」
死神のような不吉な笑みを浮かべたその瞳には、血に飢えた狂気のような光が青白く揺らめいていた。
「僕に内緒で、こんな楽しそうなイベント始めちゃうなんて……。ちゃんと告知してくれなきゃ気づけないっすよー」
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