8-3

 いやいや、ちょっと待て。

 リョウは突然飛び出した予想外の単語に困惑していた。


「かぐや姫って……アレはただの昔話じゃないのかよ。それに不老長寿って……」


 そんな設定だったっけ?


「かぐや姫は実在していました」


 サチは青ざめた真面目な顔で頷く。


「私は若かりし頃、彼女のお屋敷で、お掃除のアルバイトをさせて頂いておりました。その仕事は、当時としてはかなりの高時給でした。何しろ、彼女の育ての親であるおきなは、毎日のように竹林で黄金の竹を収穫しており、国家予算レベルの資産を築いていたからです」

「へ、へえ……」


 アルバイトとか国家予算とか言ってるけど、1200年前の話なんだよな。


「しかし、かぐや姫は二十歳はたちになった年の八月の満月の夜、月に帰ってしまいました。そしてその日で私はバイトをクビになり、それを機に専業主婦になりました」

「専業主婦って……お前、結婚してたのか」

「はい、7回結婚しました。今は独り身ですが。こう見えて、昔はモテたんですよ」

「そうなんだ……」


 って、コイツの話は今どうでもいいんだった。


「フム、かぐや姫か。なかなか面白いのう」


 珍しくゲームもしないで黙って話を聞いていたテラが、サチの方を見てニヤリと笑った。


「アマテラス様、何かお心当たりがおありなのでしょうか?」

「うむ。かぐや姫は、この世界の特異点じゃからな」

「特異点……?」


 また何か中二病的なワードが出てきたぞ。

 リョウがそう思っていると、テラが彼の方を見て不敵に笑った。


「世界は無限に存在していて、互いに影響を与え合っているという話をしたじゃろ。特異点とは、その無限に連なった世界の中で、他の世界と一切の繋がりを持たない、一つの世界のみにしか存在しないもの、ということじゃ」

「一つの世界にしか存在しないものって? じゃあ、かぐや姫がそうだっていうのかよ。でも、かぐや姫なんて、誰でも知ってる昔話だぞ?」

「ああ、この世界ではな。じゃがそれはあくまで、この世界だけでの話。仮にこの世界と瓜二つの別の世界があったとしても、そこにかぐや姫は存在しない。ただいないのという意味ではなく、『かぐや姫という概念』すらも存在しないのじゃ。つまり、この世界では誰もが知っているが、他の世界では誰も知らない。それが特異点というものじゃ」

「なるほど……?」


 何となく、わかったようなわからないような。


 沙也加は理解できたんだろうか?

 と思って目を向けると、彼女はこちらの話は聞いていない様子で、不安そうにテレビの中のオロチ本社を見守っていた。


 相変わらず、謎の武装集団がオロチの本社ビルを取り囲んでいる。

 あの黒い建物の中に、今も龍崎ルナはいるのだろうか。

 見たところ、武装集団は建物の中にまでは侵入できていないようだが。


 しかしその龍崎ルナが、昔話で出てくるかぐや姫と同一人物だなんて……突拍子もなさ過ぎてとても信じられない話だ。


「まあ、簡単に例えるなら、無限にあるドラクエのセーブデータの中に、なぜかいきなりラスボスがベガになったデータが現れるようなものじゃな」


 テラのそんな雑な説明に、リョウはずっこけそうになった。

 なんちゅーわかりにくい例えだ。

 ベガは格闘ゲームのストリートファイターのボスである。ドラクエとストリートファイターでは、制作会社が違うどころか、ジャンルも全然違う。


「そんなの、もはや完全にバグだろ……」

「そう、バグじゃ」


 テラは頷いて、ニヤリと笑った。

 その顔を見て、リョウはハッとする。


 まさか。

 テラが探していたこの世界のバグというのが、かぐや姫……つまり、龍崎ルナだって言いたいのか?


「そういえば、確かに他の世界で『かぐや姫』って、見た事ないですねー。あれは特異点だったんですねー」


 月読が腕組みして、納得したようにコクコクと頷いた。

 テラはそんな妹を、呆れたようにチラリと横目で睨んで、すぐにリョウに目を戻した。


「かぐや姫がこの世界の特異点、というのは以前から気になっておったが、それが今回のバグと直接関係あるのか。仮に関係あるとして、どう関係するのか……正直、確証がなかったんじゃ。それに特異点ということでいえば」


 テラは不敵に笑って、リョウと沙也加を見比べた。


「お主らが大好きなLOVというゲームもまた、この世界にしかない巨大な特異点じゃ」

「え……」


 リョウは言葉を失った。

 LOVが、特異点? つまり、バグってことか?

 沙也加も、さすがにちょっと驚いたような目をしてテラのほうを振り向いた。


「そ、そうなんですねー!?」


 月読がびっくりしたように目を見開くと、テラはまたそれを横目で睨む。


「LOVが特異点ということは、最初からわかっておったわ。恐らくそのどこかに、この世界のバグの元凶が潜んでいるだろうこともな。だが、LOV自体は特異点としては大きすぎて、見えない領域が多すぎた。だから、核心にはなかなか辿り着けずにおったのじゃが」


 そこまで言って、テラはサチに目を向けた。

 いきなり始まった壮大な話が理解できなくて放心していたらしいサチが、不思議そうに目をパチパチさせると、神様は悪魔みたいにニヤリと笑う。


「今、やっと繋がった」

「繋がったって、テラ、それはつまり……」

「うむ」


 テラはリョウに目を戻して頷く。


「かぐや姫、すなわち、龍崎ルナという『小さな特異点』が、世界で10億人がプレイするオンラインゲームという、『超巨大な特異点』を生み出した。それによってこの世界は、完全にバグってしまったんじゃろうな」


 この世界のバグの元凶が、龍崎ルナとLOVだったってことかよ。

 リョウにはすぐには信じられなかった。


「それじゃあ、龍崎ルナはわざと世界をバグらせたってことになるのか?」

「さあ、それはどうかな。そもそも、奴の中では『バグ』という認識はないかもしれんからな」


 リョウの問いにそう答えると、テラはゲーミングチェアに座ってクルクルと回転し始めた。

 確かにそうなのかもしれない、とリョウは思った。


『この世界に生きている人間である私たちには、バグなんて関係ないのだから』


 そうルナは言っていた。


「人間の意識は最も深い部分では、『世界のシステム』に繋がっておるのじゃ」


 テラが回転しながら淡々と話し続ける。

 世界のシステム?

 何だか聞いた事があるような言葉だ。


「10億人以上のプレイヤーの意識に干渉することで、奴は世界のシステムそのものを書き換えた。LOVはただのゲームではなく、この世界のシステムをハッキングするプログラムなのじゃ」


 世界のシステムをハッキング……?


『この世界そのものが人間の意識の世界。人間の意識だけがこの世界のシステムにアクセスできる。この世界では人間こそがアドミニストレーター管理者であり、最強の存在。人間以外の存在にその権限を渡してはいけないの』


 ルナの言葉が脳裏に蘇る。


 そうか。

 テラとルナは、観点は違っても、『この世界が人間の意識によってコントロールされている』という大前提は同じなんだ。


「世界のシステム、か」


 それはまるで、この世界そのものが巨大なコンピューターによって生み出された、シミュレーションの世界だとでも言っているかのように。


 そしてテラとルナの発した言葉の奇妙な一致は、テラの『この世界はゲームの世界』という言葉を裏付けているかのようでもあった。


 テラは回転するのを止めて、リョウに指を向けた。


「リョウよ。お主がさっき、鬼を倒した力。あれこそが龍崎ルナがこの世界をハッキングした証拠じゃ」

「ああ……確かに」


 だからこそ俺は、LOVの世界の武器やアイテムを現実世界で使えたし、ゲームの中みたいに戦うことができた……。

 何なら、今でもまだずっと視界の端には、半透明のメニューアイコンが浮かんでいる。

 それはつまり、LOVの世界が現実世界を侵食しているということか。


「今はいわば、世界のシステムに巨大な穴セキュリティーホールが開いた状態じゃな。LOVというゲームの概念を意識にインストールすることで、誰もが世界のシステムにアクセスできるようになってしまった」

「そう、なのか……でも、ルナは何でそんなことを? あいつの目的は何なんだ?」

「さあな」


 テラはクスクスと笑った。


「そもそも、バグに目的なんぞがあるのかも疑問じゃな。所詮、バグはバグ。ただ排除されるだけの存在じゃ。仮に目的があったとしても、どうせ下らん目的じゃろ。世界征服とか」

「世界征服って……悪の組織かよ」


 やはり、それは本人に直接聞くしかないか。


「ただ一つ言えるのは、リョウ。お主の命を狙っていた犯人は龍崎ルナじゃろうな」

「はあ!?」


 リョウは目を見開いてテラのニヤニヤ笑いを見返した。

 ルナが、俺の命を狙っていたっていうのか?


「いや、それはありえないだろ……」


 リョウは首を振った。


『今ここで私とキスをして、私の彼氏になればいいのよ』


 ルナの妖艶な微笑が脳裏に蘇る。

 殺そうとしている相手に、あんなことを言うはずがないだろう。


「まあ、いずれにしてもじゃ」


 テラの金色の瞳が怪しく光る。


「クリアへの道筋が見えた。ようやく、我のターンじゃ」


 その時、不意に沙也加が変な声を出した。


「えっ! メイちゃん!?」

「は……?」


 リョウが沙也加の視線の先を追うと、オロチの本社ビルを中継しているテレビ画面の中に、見慣れた蛍光グリーンの影が映っていた。

 その影はパラシュートを開き、武装集団に向かってフワフワと降下していく。


「ちょ、あのバカ……何やってんだ!」


 リョウは考える間もなく部屋を飛び出し、自転車に乗って全力で走り出した。


 あのパラシュートはLOVの中でメイが愛用していたアイテムだ。

 ということは、メイもまたLOVの世界の力を使えるようになっているということか。


「メイ……」


 嫌な予感がした。上手く説明できないが、とんでもなくヤバイ事が起きようとしている気がしてならない。


「頼む、間に合ってくれ!!」


 日没が近づく夏の空の下、リョウは必死にペダルを踏んだ。

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