STAGE 8
8-1
ピンポ! ピンポ! ピンポーン!!
インターフォンを連打する音で、リョウは目を覚ました。
カーテンの隙間から差し込んだ夏の陽光が、部屋の中を細長く照らしている。
この明るさはもう昼過ぎくらいか。
そう思ってスマホの時計を見ると、三時過ぎだった。
「ええ……俺、寝過ぎじゃね?」
昨日、帰って来てから気絶するようにベッドに倒れ込み、それからずっと今まで眠っていたみたいだ。少なくとも十五時間以上は寝ていた事になるが、全身のけだるさはまったく回復していなかった。
ピンピンピンピンピンピンポーン!!
頭が痛くなるような呼出音が連続で部屋に鳴り響く。
「ええい、うるさいぞ!!」
ゲームをやっていたテラが絶叫して玄関に向かう。
ガチャリとドアの鍵を開けた途端、月読が部屋の中に飛び込んで来た。
「あづいぃぃ、じぬぅぅぅ!」
月読は死にそうな声で言いながら床に寝そべり、手を伸ばして冷凍庫を開くと、ガリガリ君を取り出して寝たままムシャムシャと口に入れる。
そしてベッドの上のリョウを見ると、プププ、とバカにしたように笑った。
「お兄ちゃん、やっぱりまだ寝てましたねー。もうお昼ですよー!!」
うるせー、ほっといてくれ。
リョウは月読を無視して布団に潜り込んだ。
「あ……リョウ君、まだ体調悪いのかな?」
沙也加の心配そうな声がする。
「なーに、どうせサボり病ですよ、プププ。大学生のうちからこんなだったら、将来はニート確定ですね、プププ」
「あ、あはは……ツッキーってば……。それは言い過ぎだよぉ」
沙也加が苦笑している。
「まあ、奇跡的に就職できても、五月病がぁ~とか言って、ゴールデンウィーク明けにはクビになっちゃうんじゃないですかねー、プププ」
何だコイツ。マジでウザすぎる!
リョウは布団から飛び起きて月読を睨んだ。
「てめー! さっきから黙って聞いてりゃ、好き放題言いやがって!」
「お、やっと起きましたか! 何ですか? やるんですか!?」
月読は立ち上がってファイティングポーズをとると、シュッシュッ、と空中にジャブを打った。
「うるせーよ。何でいきなりそんなハイテンションなんだよ!」
「ああ、うざいじゃろ」
テラがリョウに同意するようにウンウンと頷く。
「こいつは満月の日は異様にテンション高くなるんじゃ」
「はあ、なんだそれ。どんな病気だよ」
リョウはため息を吐いた。
テラもウンザリしたみたいな顔をしてリョウを見る。
「その反動で新月の日には超ダウナーになるんじゃ」
「どっちにしてもめんどくせー奴じゃねーか!」
まあ、普段からめんどくせー奴だけど。
「ちょちょちょ、二人してなに堂々と私の陰口を叩いてんですか! 私ここにいますよー! 陰口するならせめて私がいないところでしてくださいねー!!」
月読が叫ぶ。無駄に声がでかい。
「あ、あの、リョウ君……」
沙也加がおずおずとリョウに声をかける。
「た、体調大丈夫? 今日のミーティング、行けそう……かな?」
「ああ……」
リョウは目をそらして頷いた。昨日の今日で、何となく沙也加と話すのが気まずい。
「六時からだよな。全然余裕だよ」
「本当?」
沙也加が、心配そうな表情でリョウの顔を覗き込んでくる。
「無理してない?」
「してねーよ!」
リョウは慌てて沙也加から離れ、寝ぐせだらけの頭をかいて口を尖らせた。
「てか、寝起きでボサボサの顔、そんなにしげしげ見ないでくれよ」
テラや月読のような人外に見られるのはともかく、人間である沙也加に見られるのはさすがに恥ずかしい。
「あっ、ご、ごめん……」
何故か逆に沙也加の方が赤くなってしまった。
まさか昨日、外で泣いてたから風邪でも引いたのか?
「沙也加、なんか顔が赤いけど……お前の方こそ体調大丈夫か?」
「う、うん。大丈夫!」
沙也加はさらに顔を赤くして、リョウの視線から逃げるよう部屋の隅に行くと、持ってきた荷物をゴソゴソし始めた。
「ばーか、ばーか」
月読がジト目でリョウを見ながら小学生並の悪口を言ってくる。何だコイツ。
「リョウ君、今起きたんだったらご飯とかまだ食べてないでしょ?」
沙也加が笑顔で言って、風呂敷包みみたいなものをリョウに見せた。
「お弁当作って来たから、シャワー浴びたらみんなで食べよぉ」
「沙也加……」
お前は……昨日あんなひどい事をした俺に、何でそんなに優しくしてくれるんだ。
何でお前は、いつもそんなに明るい笑顔でいられるんだ。
そんな、太陽みたいな笑顔で。
リョウは、その沙也加の笑顔を見て元気が湧いてくると同時に、何故だか急に涙が出そうになってしまった。
そして次の瞬間、彼は沙也加に近づいて深々と頭を下げていた。
「沙也加、昨日はごめん!」
「うぇっ!? リョウ君、急にどうしたの!?」
「俺、お前の気持ちも考えずに、ひどい事しちゃったよな……だから、ごめん」
「リョウ君……」
沙也加は一瞬、言葉に詰まったように沈黙してしまったが、やがて静かに言った。
「顔を上げてよ、リョウ君」
リョウが顔を上げると、沙也加は目の端を指でこすって、いつもの太陽みたいな明るい笑顔を彼に向けた。
「大丈夫だよ、リョウ君。私はちゃんと、キミのこと信じてるから」
「沙也加……」
そうだ、この笑顔だ。
俺が昔から大好きだった笑顔。
小さい頃から変わらない、明るい笑顔。
やっぱり、お前には笑顔が一番似合うよ、とリョウは思った。
「リョウ君が話したくなったら、その時に話してくれたらいいからさ。私でよければ、いつでも話聞くから」
「ああ……ありがとな、沙也加」
リョウもつられて笑顔で頷く。
「じゃあ、その時はよろしく!」
そんな二人のやりとりを、月読が寝そべってガリガリ君を食べながらニヤニヤと見ていた。本当に何なんだよコイツは。
リョウがシャワーを浴び終わると、沙也加がお茶をいれてくれていた。
テラがゲームを中断して、テレビのリモコンを操作すると、画面には旅行番組が映し出された。平日の午後とかによくやっている、可もなく不可もなくみたいな番組だ。
画面の中で、ゴスロリ服を着たアイドル三人組が、カニをむしゃむしゃ食べながらはしゃいでいた。
「やっぱり沙也加は料理上手だなー」
リョウは沙也加の作った玉子焼きを食べながら、しみじみと言った。
「えへへ、そうかなぁ。気に入ってもらえたなら良かった」
沙也加がはにかんだ笑顔を浮かべて、お茶をすする。
月読がニヤニヤしながらタコさんウインナーを口に入れてリョウの方を見た。
「本当ですねー。沙也加だったら、いつでもお嫁に行けちゃいそうです。お兄ちゃんもそう思いませんか?」
「およ……ゴホゴホッ!」
沙也加がむせて顔を真っ赤にして俯いた。
「沙也加、大丈夫か? 月読、お前はいちいち変なこと言うなよ。沙也加はまだ学生なんだぞ。あと食べるかしゃべるかどっちかに……」
リョウが月読に目を向けると、口の端から赤いウインナーを覗かせたまま、新種のタコでも発見したかのように目を大きく見開いた月読と目が合った。
「何だよ」
「いえ、こんなバカがお兄ちゃんだなんて、と絶望していただけです」
「はあ!?」
なんて失礼な奴だ。
というかお前はそもそも妹じゃねーだろ。
その時、テラがテレビを指差してリョウに言った。
「リョウよ、あれはオロチの本社ではないか?」
「ん?」
リョウがテレビに目を向けると、さっきまでアイドルがカニを食べていたはずの画面がいつの間にか切り替わっていて、見覚えのある黒いビルが映し出されていた。
どうやら臨時ニュースの生中継の映像らしい。
上空からヘリで中継されている映像には、オロチの本社ビルを取り囲む、怪しげな武装集団の様子が映されていた。
黒いスーツ姿に黒い
「何だよ、これ……」
呆気にとられて、それだけ呟くのがやっとだった。
沙也加も、ポカーンとしてテレビの画面を凝視している。
と、リョウはその集団の中に一人、マスクをつけていない奴がいるのに気が付いた。
注意して見ないとわからないくらい小さく映っていたが、彼にははっきりと見えた。紫色の肌をしたそいつの額には、黒い角が二本生えていた。
また、鬼!?
ということは、この集団は昨日の黄鬼の仲間ということだろうか。
「社長、大丈夫かなぁ……」
沙也加が不安そうにリョウの方を見てきた。
どうだろう……。
だが、この武装集団が黄鬼の仲間だとしたら、昨日あのバーでルナが殺されたという可能性は低いだろう。もし彼女が殺されていたら、こんな風に本社ビルが包囲されたりはしないだろうから。
ピンポーン。
その時、またインターフォンが鳴った。
このタイミングで鳴ったその聞きなれた音が、なぜだかとてつもなく不穏な音のように思えて、リョウはハッとして玄関のドアの方を見つめた。
「リョウ君……?」
強張った彼の表情に気づいた沙也加が、心配そうに首を傾げた。
「あ、ああ……ごめん、何でもない。大丈夫だ」
リョウは無理に笑顔を作って沙也加に手を上げ、玄関に行ってドアスコープに目を当てた。
「え……?」
リョウの思考が停止する。
ドアの向こうに立っていたのは、昨日あのバーで見たままの、黒いスーツを着た黄鬼の姿だった。
瞬間、昨日の出来事が一気に脳裏に蘇り、全身の毛穴から汗が吹き出し、手が震えた。
彼がドアスコープに目を当てたまま動けずにいると、黄鬼はおもむろに手に持っていた黒いものを持ち上げ、ドアスコープに向けた。
そしてガチャリ、という金属音。
嘘だろ!?
その黒いものは、
「沙也加、隠れろ!!」
リョウが叫び、トイレに隠れたのとほぼ同時だった。
ズドドドドド!!
けたたましい連射音と共に無数の弾丸が部屋の中に降り注ぎ、一瞬で部屋の中が滅茶苦茶になってしまった。
「クソ……何てことすんだよ。おい、沙也加、無事か!?」
銃声が止んだのを確認して、リョウは部屋の中に駆け込んだ。
沙也加がベッドの上で体育座りをして、真っ青な顔でガタガタと震えていた。
「りょ、リョウ……くん……」
「沙也加、無事で良かった、今すぐベランダから外に……」
リョウが沙也加の腕をとって立たせようとすると、沙也加がベランダの方を見て悲鳴を上げた。
「リョウ君!」
ハッとして振り返ると、そこにはテレビでオロチ本社を包囲していたのと同じ、スーツ姿に黒い覆面を被った大男が三人、やはりアサルトライフルを構えて立っていた。
「マジかよ……」
ズドドドドド!! ズドドドドド!!
三人が同時にアサルトライフルを連射し、再び大量の弾丸の雨が部屋に降り注ぐ。
「沙也加あああ!」
何てことだ。
沙也加だけは絶対に巻き込みたくなかったのに。
俺だけ死ぬならともかく、沙也加まで死なせてしまうなんて。
そんなのは絶対に嫌だ!
「うわあああああ沙也加あああ!!」
リョウは咄嗟に沙也加をかばうように抱き締めた。
死なせたくない。
絶対死なせたくない!
死ぬのは俺だけでいい!
沙也加だけは絶対に守るんだ!
ズドドドドド!! ズドドドドド!!
壁が崩れ、天井の照明が落下し、ベッドの綿が舞い上がる。
部屋の中に土煙と硝煙と埃が舞い踊り、視界が真っ白に染まった。
やがて銃声が止まると、部屋には気味の悪いほどの静寂が訪れた。
あれ……俺、まだ生きてるのか?
真っ白な視界の中で、頭の中まで真っ白になってしまっているみたいだ。
「リョウ君……?」
腕の中の沙也加が、涙でぐちゃぐちゃになった顔をリョウに向けていた。
「沙也加……良かった、無事か!?」
沙也加は生きてる。
俺も生きてる。
でも、何で?
リョウは恐る恐る立ち上がって、自分の体を見下ろした。
そして次の瞬間、目を疑った。
「これは……」
彼と沙也加を包み込むようにして、丸いオレンジ色の光が球状に広がっている。
その表面に、うっすらと浮かぶハニカム模様。
彼はその模様に見覚えがあった。
「強化シールド!?」
それは、LOVで最も頑丈なシールドである強化シールドだった。近接武器に対しては無力だが、遠距離火力に対しては非常に高い防御力を誇る。
いや、というか。
何でLOVの中のアイテムが現実に!?
沙也加も涙を拭くのも忘れたように、呆然としてその光景を見ている。
『あなたの意識には既にLOVがインストールされている』
昨日のルナの言葉が脳裏に蘇る。
まさか……。
その瞬間、リョウは気づいた。
視界の左端に浮かぶ、半透明の菱形の模様。
これは……LOVのメニューアイコン?
『目に映っていたとしても、意識しなければそれは存在しないのと同じなの』
ルナはそう言っていた。
そうか……そういうことか。
きっとこのメニューアイコンは、ずっと俺には見えていたんだろう。
俺が意識していなかっただけで、世界はもうとっくに変わってしまっていたんだ。
『意識して。今見えている世界を』
「ああ、今ようやく見えたぜ。このクソゲーみたいな世界の本当の姿がな」
いや、世界をクソゲーにしていたのは、俺自身だったのかもしれない。
世界は平凡でつまらないと決めつけて、ただ逃げていただけなのかもしれない。
でも、それじゃ大切なものは守れない。
リョウは沙也加の顔を見た。
涙に濡れた彼女の頬が、キラキラと光っている。
「ごめん沙也加。またお前を泣かせてしまって」
リョウは沙也加の頭を優しく撫でた。
でも、信じてほしい。
これからはもう、絶対にお前を泣かせたりしない!
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