7-2
現在時刻、16時40分。
ヤバイ、社長との待ち合わせ時間まであと20分しかない!
「仕方ない、タクシーで行くか」
リョウはタクシーを拾って乗り込んだ。
と、その時。
「待ちなさーい! お兄ちゃーん!!」
「ハッ!?」
振り返ると、月読が沙也加の腕を引っ張ってダッシュしてくる姿が見えた。
「げっ、何だアイツ」
なんで追ってくるんだよ。
リョウは焦った。
「すみません、早く出してください! 行き先は新宿南口で!」
バタン! ブゥーン!!
月読の目の前で、リョウを乗せたタクシーが走り出す。
「あーっ、クソ! 間に合わなかったです! あんにゃろー逃げやがって!!」
「はぁはぁ……ツッキー、いきなりどうしたのよぉ」
沙也加が膝に手をつき、息を切らしながら月読を見上げた。
だが、月読はそれを無視して別のタクシーを呼び止め、沙也加の腕を引いて乗り込んだ。
「あの前のタクシーを追ってください!」
「ええええ!?」
こんな展開、刑事ドラマでしか見た事ないんですけど!
沙也加が混乱してアワアワしていると、月読が血走った眼で彼女を睨んだ。
「沙也加、今の状況わかってますか!?」
沙也加の鼻先に人差し指を向けて叫ぶ。
「沙也加は、お兄ちゃんが他の女とデートしてもいいんですか!?」
「え……リョウ君が? ええっ?」
沙也加は顔を真っ赤にして、目をキョロキョロと泳がせた。
その時、助手席のドアが開いてメイが乗り込んで来た。
「僕も行くっすー」
「ええーっ、メイちゃん!?」
沙也加が唖然としてメイを見る。
「私も乗らせて頂きます!」
サチが後部座席の沙也加の隣に強引に乗り込んで来た。
「うぇ、サチさんまで!? わーっ、つぶれるぅ!」
何が何だかわからない。
とりあえず人口密度がすごい。
沙也加がテンパっていると、下から伸びて来た謎の白い手に腕をバシバシ叩かれた。
「いたた! あれ? ツッキーがいない!?」
と思ったら、月読は沙也加の胸の谷間に顔を埋めてバタバタともがいていた。
「あ、ごめん!」
沙也加は慌てて体を起こした。
「ぷはーっ! はぁはぁ……沙也加、気を付けてください! 危うく窒息するところでしたよ!!」
月読が顔を真っ赤にしてゼエゼエいっている。
「とりあえず早く車を出してください!」
と、月読が必死の形相で叫ぶので、運転手が慌ててタクシーを発進させた。
キキーッ、ブゥーン!!
「うわああぁ!」
急発進と急ハンドルによって一気に体にかかってきた重力に流され、バランスを崩した沙也加が月読の方に倒れた。
「ブフーッ!! じ、じぬ……」
月読がまたしても沙也加の胸の谷間に顔面を潰され、ジタバタともがく。
「わあ、ごめんツッキー!」
「ぷはぁーっ! ぜえぜぇ……沙也加、もしかしてわざとですか? 自慢ですか!?」
「ち、違うよぉ」
「プッ、おもろ」
メイが小さく笑うと、月読がそれを目ざとく見つけて睨む。
「ガチャピンの分際で笑ってる場合ですか! あなたも私と同じペタンコ族でしょうが!」
「ペタンコ族って……勝手に同類にしないでほしいっす」
心外そうに呟いて、メイはシートベルトを装着した。
リョウを乗せたタクシーは、どうやら新宿南口方面に向かっているようだった。
「でも、冷静に考えたらリョウがデートっていうのは考えにくいっすよね」
メイがルームミラー越しに沙也加を見て言う。
「全然モテそうにないっすからねー」
「そ、そうかな……?」
沙也加は目をパチパチさせて首を傾げた。
「タデ食う虫も好き好きといいますからね」
月読が不機嫌そうに腕を組んだ。
「そんな害虫は早々に駆除しないとです!」
「が、害虫……」
沙也加の赤い顔が半分青くなる。
害虫なのかぁ。
「私は、神主様は素敵な方だと思いますよ」
サチが月読と沙也加を交互に見て微笑む。
「とても優しい心を持った方だと思いますし」
「そ、そうですよね!」
沙也加はウンウンと頷いた。
「はい、見た目はちょっとアレかもですけど、男性は中身が大事ですから」
「うん、アレ……?」
アレってどれだろう。
「何ですかアナタは!」
月読がサチを睨む。
「ひょっとしてお兄ちゃんの事が好きなの!?」
まるで小学生みたいなダイレクトアタックだ。
「すっ、すす……ス……」
沙也加が赤くなったり青くなったりして左右の二人をキョロキョロと交互に見る。
「そんな、恐れ多いです。あの方は救世主様なのですから……あくまで一人の人間として、お慕いしているだけですよ」
目をキラキラさせて微笑むサチ。
「そうですか。まあ、そういうことなら」
月読はフンと鼻息を荒くした。
「自分の立場と年齢をしっかりわきまえて、節度ある行動を期待したいものですね」
年齢、という言葉に一瞬、微笑んでいるサチの眉あたりがピクリと反応する。
「あわわわわ……」
もはや完全に真っ青になった沙也加は怖くなって目を落とした。
へぇー、タクシーの床ってこんな風になってるんだぁ。
「ご安心ください。神主様も立派な大人の男性ですし、お子様同士の恋愛ごっこのようなことにはご興味はないでしょうから」
「はぁ、誰がお子様ですって!?」
「いえ、けっして月読様のことではありませんよ?」
俯いた沙也加の頭上で、二人の目から発せられた電流がバチバチと火花を散らす。
もう、早く降ろしてぇー!
しばらくして、二台のタクシーは新宿南口の高島屋の前で停車した。
前の車から、リョウが慌てた様子で駆け出して行くのを見て、月読が叫ぶ。
「ガチャピン! すみませんが料金は立て替えて払っておいてください!」
「いいっすよー」
「沙也加、早く行きましょう! そこの害虫、邪魔だからさっさと降りてください! もー早くしないと逃げられちゃいますよー!」
「わああ、ツッキー、危ないから押さないでぇ!」
どたどたとタクシーを降りて、月読が先頭に立ってリョウのあとを追いかける。
高島屋の二階に上がっていくようだ。
と、いきなり柱の前で月読が足を止める。
「はぁはぁ……あれ、どうしたのツッキー?」
「シーッ、静かに!」
月読は口に人差し指を当ててから、その指で柱の先を指差した。
陰に隠れて覗くと、リョウが誰かにペコペコと頭を下げている。
「あれは……社長?」
沙也加は、リョウが会っている相手が龍崎ルナだと気づいた。
「社長っすねー」
メイが頷く。
「なぁんだ、じゃあお仕事の用事だったんだねぇ」
沙也加は安心してほっとため息を吐いた。
「いやいや、女と二人で会っているということには変わりないですからね。まだ油断はできませんよ」
月読がリョウをじっと睨みつけながら言う。
「あれ? あの女性……」
不意にサチが、何か考え込むように額に手を当てた。
「うん? サチさん、どうかしたんですか?」
「いえ。気のせいかもしれないのですけど……あの女性、どこかで見たことがある気がするのです」
「あの人は、私たちが就職する予定の株式会社オロチという会社の龍崎ルナ社長ですよぉ。有名人だから、テレビとかネットで見たとかかなぁ?」
沙也加のその言葉に、メイが首を振る。
「いや、それはないっすよ。有名人とはいっても、知られているのは名前だけで、顔出しは一切してないので。社長の顔を知ってるのは、リアルの知り合いだけだと思うっす」
「あ、そっかぁ。じゃあ、サチさんは社長に前に会ったことがあるってこと?」
「うーん、でも一体どこで会ったのでしょうか。全然思い出せません」
サチが頭を抱える。
「長生きし過ぎてボケてるんじゃないですか?」
月読がボソッと呟いた。
「あっ、動き出しましたよ。追いましょう!」
リョウとルナは、並んで高島屋の外に出て行く。
月読が先頭に立ち、あとを追う。
外はいつの間にか夕日で赤く染まっていた。
スラリとした長身で濃紺のパンツスーツに身を包んだ龍崎ルナは、新宿の雑踏の中でもキラキラと光を放っているようで、圧倒的な存在感を放っていた。
その規格外の美貌は、すれ違う男性たちが神々しいものを見たようにうっとりとした顔で振り返ってしまうほどだった。
「まったく、何やらいけ好かない女ですね」
月読が眉をひそめる。
「あはは。ツッキー、社長は綺麗な人だけど、話してみるとすごく優しくていい人なんだよぉ」
「フン、私はああいうキラキラした美人がそもそも嫌いなんですが、あの女はそういうのとはまた違う、生理的に受け付けない匂いがビンビンします。きっと私とは相性最悪だと思いますね」
「そ、そうなんだ……」
月読と相性がいい人って一体どんな人なんだろう?
三人は同時に同じ疑問を抱くと、困惑して黙ってしまった。
リョウとルナは、ガード下を抜けて東南口の繁華街に向かっていく。
飲食店がひしめくゴミゴミした区画に入ると、いよいよ人通りが多くなってきた。
二人が十字路を左に曲がったので、月読は駆け足でその十字路に向かう。
「沙也加、人が多いから見失わないように注意してくださいね!」
そう叫びながら左に曲がった月読は「あれ」と言って立ち止まった。
「どうしたの、ツッキー?」
「やられた!!」
突然、月読は人ごみの中を猛ダッシュし始めた。
人にぶつかってもお構いなしだ。
「えーっ、ちょっとツッキー、危ないよ!?」
沙也加が叫びながらノロノロと後を追うと、月読は一つ先の十字路のところで立ち止まり、クルクルと回転しながら辺りを見回していた。
しかしやがてその動きを止めると、途方に暮れたように項垂れて悔しそうに呟いた。
「ダメです、ロストしました……」
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