5-2
一般の登山ルートから外れた、
蛍光グリーンの登山着に身を包んだ
賢明な読者諸君は「こんな山奥でスマホなんて使えるの?」と思うかもしれない。
実は彼女は、自作の特殊なドローンを経由してインターネットに接続している。ただこの技術は日本では完全に違法なため、ここで詳細を書くことはさし控えさせて頂く。
と、その時ちょうどメイの前方の森が急にひらけて、一気に
「うお、あっつー」
メイは目を細めて顔を上げた。
『目的地に到着しました。案内を終了します』
ヘッドフォンからナビの機械音声が聞こえる。
そこは小さな川のほとりの河川敷だった。
川の向こう側は切り立った崖になっていて、茶色い岩の壁が左右に広がり、ちょうどここが谷底のようになっている。
日が傾けば全体が日陰になるはずだが、正午近い今の時間は、真上から
「テント作るのはもうちょっと涼しくなってからっすねー」
メイは木陰に荷物を下ろし、ペットボトルの水をゴクゴク飲んだ。
ソロキャンは前から興味があったが、家から出るとLOVがプレイできなくなってしまうということもあって、ずっと実現出来ずにいたのだ。
もちろん、ただプレイするというだけなら、VRゴーグルを持ち出して出先でプレイすることもできることはできる。しかし彼女はプロゲーマー。コンマ1秒の駆け引きで勝敗が決することもあるLOVを、出先の不安定なネット回線でプレイするなど自殺行為なのである。
昨日のオロチ本社でのオリエンテーションに参加して、まだしばらくLOVのメンテナンスは終わりそうにないとわかったので、彼女はこのチャンスに念願のソロキャンを実行することにしたのだ。
今、この空間に人間は自分しかいない。誰も自由を妨げることはできない。
そう思うと、何ともいえない開放的な気分になった。
「まあ、とはいえ配信はしないとっすね。仕事だし」
メイは、スポンサーが用意してくれたキャンプ道具一式の入ったリュックを見下ろした。
「とりあえずテキトーにやって、あとはゆっくり過ごすっすかねー」
ノートパソコンを開き、ウエブカメラを三脚にセットし、配信用のアプリを立ち上げる。
「よし、電波は良好っすねー」
早速配信をスタートすると、あっという間に視聴者は一万人を越え、数字はさらに止まることくどんどんと増え続ける。さすが世界トップクラスの超人気ユーチューバーである。
「はいはいー、みなさんこんにちはー」
メイは生配信だからといって特に愛想よくすることもなく、適当な感じで挨拶すると、木陰に座ってスマホゲームの続きを再開する。
こんなマイペースな感じが彼女のスタイルであり、意外とこれが好評なのだ。
「今日は高尾山にソロキャンに来てるっすよー。大自然の中でのんびりお肉でも焼いてリア充しちゃうっすー」
早くも配信画面には大量のコメントが溢れ、ものすごい勢いでコメント欄が流れていく。とてもではないが一人ひとりに反応なんてできない。
それはいつものことなのだが。
ふとメイは、コメントの中に奇妙な内容が多いのに気付いて、パソコンの画面に顔を寄せた。
『メイさん、逃げてー!』
『命がけで配信とか、ユーチューバーの
『高尾は危ないよ!!』
『メイちゃんねる最終回キタコレwww』
『キャンプよりもドラゴン撮って勇者になってくれ』
『ドラゴン撮ったら絶対バズるぞ!』
『バズるために死んだら意味ねーだろw』
『ドラゴンまだー?』
メイは首を傾げる。
「ドラゴン……高尾山にそんなのいるんすか。ネッシーならぬタカオッシーっすかね」
パソコンのブラウザを立ち上げ「高尾山、ドラゴン」と検索すると、大量のニュース記事がヒットした。そのどれもが今日の日付だ。
『高尾山にドラゴン出現、住民に避難勧告』
『登山客がドラゴンに襲われ重体』
『トカゲの突然変異か? 高尾山ドラゴンの謎』
そんな不穏な見出しで画面が埋め尽くされる。
そして、まるでファンタジー世界から飛び出してきたような、巨大な翼を持った赤いドラゴンの写真も多数ヒットした。
「はあ、特撮とか合成じゃなさそうっすねー」
だがそんな写真をいくら見ても、こんなのが現実にいるとは思えない。
どこか違う世界の話のようだ。
その時、スーパーマリオがスターで無敵モードになった時に流れる軽妙な音楽が大音量で鳴り響いて、メイはビクッとして飛び上がった。それは彼女のスマホの着信音だった。
「わわわ、びっくりした。電話なんて久々にかかって来たっす。どうやって出るんだっけ?」
電話は
「あ、はい。もしもし、神武っす」
「メイちゃん、高尾にいるんでしょ!? 配信はやめて今すぐ逃げて!」
開口一番、沙也加はそう叫んだ。
「あー、何かヤバイことになっちゃってるっぽいっすねー」
「ヤバイどころじゃないよ!」沙也加が泣きそうな声で叫ぶ。「本当に危ないから、今すぐ帰って来て!!」
「やっぱりそうっすよね、了解っす」
この現代日本にあんなドラゴンが現れるなんて、まったく信じられないことだったが、沙也加が言うならやっぱり本当なのかもしれない。
「せっかくここまで来たのに残念っすけど、仕方ないっすねー。皆さん、高尾山はドラゴンがいるみたいなんで、危ないから近づかないでくださいねー」
メイはカメラに向けてそう言って、配信を終了してパソコンを片付け始めた。
と、その時。
ギャオオオォーン!
という、怪獣映画でしか聞いた事がないような不気味な鳴き声があたりに響き渡る。
そして、小川の上を何かの大きな影が通り過ぎた。
「え、今の影って……」
メイが空を見上げる。
上空で、さっき写真で見たばかりの真っ赤な体をした巨大なドラゴンが、8の字を描くようにして飛行していた。
「げ、ヤバイ……本物じゃないっすか。マジで最終回になってしまいそうっす」
さすがのメイも、ようやくこの状況のヤバさを理解して焦った。
「リュックは重いから置いて行くっす。命が最優先っすからねー」
スポンサーさん、ごめんなさい。と心の中で手を合わせ、メイはパソコンを脇に抱えて走り出す。
スマホを取り出して助けを呼ぼうとするが、こういう時って誰に助けを求めたらいいんだろう。
警察?
消防?
勇者?
いや勇者の連絡先知らないし。
その時、上空を旋回していたドラゴンがいきなりメイに向かって急降下してきたのを見て、メイは悲鳴を上げた。
「こっち来るなーっ!」
メイは必死で走るが、そもそも生まれてからほとんど運動なんてしたことがないので、自分でもびっくりするくらい走るのが遅い。
「はわわ、僕ってこんなに走るの遅かったんすねー!?」
こんなことなら普段からランニングでもやっておけばよかった。
河川敷から森に入るまでの道のりが、果てしなく遠く感じる。
ゲームの中のメイだったら、もうとっくにこの危機を脱しているはずなのに。
現実はゲームみたいにはいかないものっすねー。
バサァーッ!!
「うわああ」
目の前をドラゴンの巨大な体が横切り、その風でメイの体がうしろに吹き飛ばされる。
彼女の体は河川敷の上をゴロゴロと転がり、手汗で滑ったスマホがクルクルと回転しながら飛んで、ポチャンと音を立てて川に落ちた。
「あーっ! スマホが!?」
デイリークエストまだ終わってないのにー!
スマホが川に流されていくのを見て、慌てて追いかける。
だが思った以上に流れは速く、スマホはどんどん流されていく。
そして必死で走る彼女を、ドラゴンが追いかけて来る。
「ええ、何でついてくるんすかー!」
もはやスマホを追いかけているのか、ドラゴンに追いかけられているのか、メイ自身もよくわからない状態。
とにかく走り続けるしかない。
止まったらやられる!
その時、川の前方が急に途切れているのが目に入って、メイは青ざめた。
「げっ、そうだった……この先は滝になってるんだったっす!」
断崖絶壁を落ちる、高さ十メートル以上の滝。
止まっても死、止まらなくても死。
天才の頭脳をもってしても、この状況で生存率を上げる方法は何も思いつかない。
「クソーっ! ドラゴンに食べられて死ぬくらいなら、スマホと一緒に溺れ死ぬほうがマシっす!」
メイは覚悟を決めて、川に飛び込む。
「そこだーっ!」
手を伸ばし、スマホを手に掴んだ瞬間。
全身がグルグル回転したかと思うと、メイの体は空中に放り出され、そのまま滝つぼに向かって真っ逆さまに落下した。
「うわああああああ!」
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