STAGE 4

4-1

 リョウの元に、沙也加さやかからいきなり泣きそうな声で電話がかかってきたのは、夜七時を過ぎた頃だった。


「リョウ君、助けて! 私の部屋にオバケがいるみたいなの!!」


 テラに理不尽な現実を突きつけられ、不貞腐ふてくされていつの間にか寝ていたらしい。

 寝起きのぼんやりした頭で電話に出るやいなや、沙也加の叫びが受話器から飛び出してきて、リョウは思わずスマホを顔から離した。


「お、オバケって……」


 ウチにもそんなような奴がいるけど。

 と言いそうになって言葉を飲み込んだ。


 部屋を見ると、相変わらずテラがファミコンをピコピコやっている。

 プレイしているのはスウィートホームという伝説のホラーゲームのようだ。

 まったく何の冗談だよ。お前の存在が一番ホラーだっての!


「リョウ君、どどどうしよう!? アマゾンで三又の鉾みつまたのほことか買えばいいのかなぁ……」

「そんなのアマゾンに売ってねーよ!」


 三又の鉾はスウィートホームに登場する最強の武器だ。

 てか、オバケと戦う気満々なのかよ。


「とりあえず今から行くから、お前は安全な場所で待ってろ」

「うえっ!?」


 沙也加がいきなり変な声を出す。何だ?


「お、おい! 大丈夫か!?」

「そ、掃除しないと!」

「いや、いいから外で待ってろよ……」


 沙也加の奴、相当テンパってるみたいだな。

 リョウは急いで立ち上がり、玄関に向かう。


「リョウよ、幽霊退治ならこれを持っていけ」


 そう言って、テラが何かを投げて来たのでリョウは反射的にキャッチした。


「あ、ああ。サンキュー」


 何か、幽霊を撃退できる神のアイテムだろうか。

 ちょっとだけ期待して、リョウはキャッチしたものを見る。


 それはコンビニとかでパスタを買うともらえるプラスチックのフォークだった。


「ゴミじゃねーかよ!!」

「バカをいうな、それこそが最強武器の三又の鉾じゃぞ」

「確かに形は似てるかも……ってなるわけねーだろ!」


 こんな時にまでふざけた奴だ。

 リョウはフォークをポケットにねじ込んで部屋を飛び出した。


 沙也加は家の外に避難したらしく、ひとまず彼女の最寄りの高田馬場たかだのばば駅で待ち合わせすることになった。


 てか、意外と近くに住んでたんだな。


 西早稲田にしわせだから高田馬場なら、徒歩でも行けるくらいの距離だ。


「チャリで行くか……」


 この距離なら自転車が最速の交通手段だ。

 彼は愛用のママチャリで早稲田通わせだどおりを爆走した。


 外はすっかり薄闇に包まれて、太ったラグビーボールみたいな形の月が空に浮かんでいる。


 リョウが高田馬場の駅前に到着すると、見覚えのある蛍光グリーンが目に飛び込んで来た。その怪しい格好は、人通りが多い中でもめちゃくちゃ目立っている。


神武じんむじゃねーか」


 リョウが声をかけると、スマホでゲームをやっていた神武メイは「やあ」と手を上げた。


「さっきぶりっすねー」


 そう言いながら、目はずっとスマホの画面から離さない。

 よくこんな場所でそんなに集中できるな。


「お前も沙也加に呼ばれたのか?」

「いや、さっきミカドでたまたま会ったっす」

「ああ、なるほど」


 ミカドというのは高田馬場にあるゲームセンターだ。

 かなりマニアックなレトロゲームが設置されていたり、定期的にゲーム大会が開催されている、ゲーマーにとっては聖地のような場所だった。


 しかし外にいろとは言ったが、避難場所としてゲーセンを選ぶとは……さすが沙也加だな。


「お前もよくミカドに行くのか?」

「うーん、まあ、たまにっすね。今日はダラテン堕落天使の大会に参加してたっす。あとで動画もアップする予定っす」

「ダラテン……そんな動画、需要あるのかよ」

「需要とかは関係ないっす。僕が面白ければOKっす」

「そっか。お前は本当にゲームが好きなんだな」

「当たり前っす。僕にはゲームしかないっすからねー。友達もいないし」


 そう言って、スマホゲームをやり続けるメイ。

 一瞬、リョウには彼女がものすごく寂しそうに見えた。


「神武……」

「ヨシ、じゃあメイちゃん、私と友達になろーっ!!」


 いきなり現れた沙也加が、笑いながら背後から子供みたいにメイに抱き着いた。


「わあああー!」


 メイの体がビクーンと跳ね上がり、さすがにスマホから目を上げて沙也加の方を見た。


「は、離れるっすー」

「えへへ、やだー!!」


 沙也加は笑いながら抱き着いて離れない。


「友達になってくれるまで離れないよぉ!」


 リョウは苦笑した。

 そうだ、沙也加はこういう奴だった。


 まだ小学校に入る前、俺が初めて沙也加と会った時も、彼女はこんな感じだったっけ。

 見た目は変わったのに、全然中身は変わってないな。


「もぉー、仕方ない奴っすねー」


 そんな言葉とは裏腹に、メイは嬉しそうに笑っていた。

 リョウはその時、初めてメイの笑顔を見た気がした。彼女のゲーム実況動画は結構見ていたが、いつもジト目で淡々とゲームしていて、笑顔なんて見せたことがなかったのだ。


「お前、笑えるんだな」


 リョウはつい思ったことを口にしてしまった。


「はあ、僕のこと何だと思ってるんすか」


 ようやく沙也加から解放されたメイが、ピンクの髪の上にダメ着のフードを被り直しながら、いつものジト目でリョウを睨んだ。

 そして、ちょっと照れたように俯いて小声で言った。


「僕だって、楽しかったら笑うっすよ」


 その声は、かろうじてリョウにだけ聞こえるくらいの声だった。

 沙也加は全然聞こえてなかったみたいで、リョウの方にニコリと笑いかけてきた。


「リョウ君、来てくれてありがとうね」


 だが、彼女はすぐに大きな瞳をウルウルさせて泣きそうになる。


「私、本当に怖くて……」

「気にすんなよ。お前と俺の仲だろ」

「え、私とリョウ君の仲?」


 沙也加は一瞬目を見開いて、照れたようにえへへと笑った。

 笑ったり泣いたり忙しい奴だ。


「でも、本当にありがとうね、リョウ君。それに、メイちゃんもありがと」

「いえいえ、ノープロブレムっす」


 またゲームを再開したメイは、スマホの画面を見ながら右手だけピースサインした。


「じゃあ、神武も沙也加の部屋に行くのか?」

「行くっすよー。オバケ見たいっすー」

「お前なあ……、心霊スポットじゃねーんだよ!」


 リョウは呆れてため息をついた。

 天才に変人が多いというのは本当らしい。


「えっと、私はメイちゃんも来てくれた方が心強いし、うれしいよぉ」


 沙也加が苦笑しながらフォローする。

 コイツは本当に優しいな。


「で、沙也加の部屋に出たオバケってのはどんな奴なんだ?」

「うん……直接オバケを見たわけではないんだけど、何か最近おかしくて……」


 ちょっと青ざめた顔で沙也加が話した内容によると、どうやら一週間くらい前から、彼女の部屋に誰かがいるような気配がするようになったらしい。


「部屋にいると、ずっと誰かに見つめられてるような感じがしたり、外から帰るとベッドが人間の形にへこんでて生温かったり、買っておいたプリンがいつの間にかなくなってたり……でも、気のせいかもしれないし、実際に何かを見たりするわけじゃなかったから、なるべく気にしないようにはしてたんだけど……」


 話しながら、沙也加の顔はどんどん青白くなっていく。

 というかプリンがなくなるって。それは気のせいでは済まされないだろ。


「それで今日、図書館から帰って部屋に着いたら、お風呂場からシャワーの音が聞こえてきたの……」


 沙也加は胸の前で自分の手をギュっと握り、泣きそうな顔をして話を続けた。


「もしかしたらシャワーが故障して、勝手に流れてるだけかもしれないって思って、恐る恐る、脱衣所のほうに行ってみたら……何だか鼻歌みたいなのも聞こえてくるの。えっ、と思ってお風呂場のドアを見たら、その閉まったドアの曇りガラスに、黒い人影が浮かび上がって……キャァーッ!!!」

「わーっ! ビックリしたぁ」


 話に聞き入っていたリョウとメイは、急に沙也加が悲鳴を上げたのでビクッとして飛び上がった。


「……って、思わず叫んじゃってそのまま部屋から逃げ出したの」

「いや、普通に話せよ! 何で俺らをビビらせようとしてんだよ!」


 しかし沙也加の話が本当だとしたら、確かにちょっと怖いかもしれない。

 どうせ気のせいだろうと高をくくっていたリョウは、本物のオバケに遭遇するんじゃないかと不安になってきた。


「なるほどー。では早速、行ってみるっすー」


 メイが言って、ゲームをやりながら先に立って歩き出す。

 こいつは無駄にノリノリだな。


「メイちゃん! 歩きスマホは危ないよぉ」


 沙也加がメイの横に並んで一緒に歩き出す。


「やれやれ、俺も男だ。覚悟を決めるとするか」


 リョウはそう呟くと、ママチャリを押して二人のあとを追った。


 高田馬場駅から徒歩2分。沙也加が住んでいるのは、リョウが住んでいる木造ボロアパートとは比べ物にならないくらい立派な鉄筋コンクリート造りのマンションだった。


「お前、すげーマンションに住んでるんだな」


 豪華なエントランスのオートロックを沙也加が開けて、三人でエレベーターに乗り込むと、リョウは何だか色んな意味で緊張してきた。


 そもそも彼女いない歴=年齢の彼にとって、一人暮らしの女子の部屋に入るのは人生で初めてなのだ。いくら幼馴染おさななじみの沙也加とはいえ、年頃の女の子であることに変わりはない。


 落ち着け俺。そもそも今日来た目的は、オバケがいないか確認するためだろ。


 そんなことを思っているうちに、エレベーターが7階に着いてドアが開く。


「707号室が私の部屋だよぉ……」


 沙也加が青い顔で言う。ちょっと震えてるようだ。


「よし、ここはまず男子のリョウが斥候せっこうに行ってくるっす」


 メイがとんでもない事を言い出す。


「は? 俺一人でかよ?」

「はい」


 メイはスマホをいじりながら頷いた。

 まだゲームやってるよコイツは。


「ちゃんと安全確認できたら、僕らもすぐに行くから安心するっす」

「安全確認って。てかお前、オバケ見たいって言ってただろ。お前が先に行った方が確実に見れるんじゃないのかよ」

「まあ、オバケは見たいっすけど、部屋にいるのはオバケ以外かもしれないっすからね」

「オバケ以外?」

「はい、例えばストーカーとか」


 ああ、そういう可能性もあるか。

 チラリと沙也加を見ると、メイの言葉を聞いた彼女はさらに白くなって、もはや紙みたいな顔色だ。


 沙也加にストーカー、か。


 そう思って改めて沙也加を見ると、ハーフアップが似合う可愛い顔立ちで、おっぱいもリクルートスーツの上からでもわかるくらい大きいし、スタイルはかなりいい方だ。


 確かに、変な男に狙われても不思議ではないかもしれない。


「リョウ君……?」


 視線に気づいた沙也加が、キョトンとしてリョウを見つめる。


「あ、うん。大丈夫だ」


 リョウは両手で自分の顔をパンパンと叩いた。

 落ち着け、落ち着くんだ俺!


「じゃあ、とりあえず二人はちょっとここで待っててくれ。俺が先に中を見てくるよ」


 リョウは沙也加から部屋の鍵を受け取り、ガチャリと開けて部屋に入った。


 ドアを開けると、自動的に照明が灯り、真っ白なフローリングの廊下と、小さなキッチンが視界に入った。


 思ったより部屋自体は狭いみたいで、突き当りに居室があり、左に二つ並んだドアがトイレと脱衣所という、よくある1Kワンケーの間取りのようだ。


 リョウはまずトイレを確認したが、特に異常はなく綺麗なトイレだった。きっと毎日ちゃんと掃除しているんだろう。


 次に問題の脱衣所。

 沙也加の話では、謎の存在がここでシャワーを浴びていたということだが。


 恐る恐るドアを開けて見ると、沙也加の話では閉まっていたはずの浴室のドアは、今は全開になっていて、中からはモワッと湿った熱気が漂って来る。本当に今さっきまで誰かがシャワーを浴びていたみたいな様子だ。


 リョウは急に寒気を感じて、ゴクリと息を飲んだ。

 少なくとも、ここに何かがいたことは間違いない。


 ただでさえ女の子の部屋に一人きりという状況で緊張しているのに、そこに恐怖が加わると、心臓がヤバいくらいにドキドキしてくる。息苦しいくらいだ。


 リョウは脱衣所のドアを閉め、廊下の突き当りの居室に向かう。


 ドク、ドク、ドク。


 静まり返った部屋で、自分の心臓の音が聞こえるようだ。


 全身に変な汗がじっとりと浮かんでいる。


「ここまで来たら、行くしかねーだろ」


 そう自分に言い聞かせ、意を決してドアを開ける。


 そこにはピンクと白を基調とした、可愛らしい「ザ・女の子の部屋」が広がっていた。何とも言えない、甘い香りがする。


 これが、女の子の部屋か……じゃなくて。


 放心状態になりかけて、リョウは慌てて首を振った。

 危ない危ない。目的を見失うところだった。


 改めて部屋の中を見渡すが、特に異常はなさそうに見える。


 どうやらオバケはいないみたいだな。


 リョウが安心して、ホッと息を吐いた時。


「なるほど、やはりな」

「わあーっ!!」


 すぐ背後でいきなり声がして、リョウは絶叫して飛び上がった。


「って、テラ!?」


 そこには、テラが立っていた。

 部屋で着ていたままの黒いジャージ姿で、まるで向こうの部屋から直接ここにワープでもしてきたみたいな様子だ。


「何でここにいるんだよ!?」


 というか毎度のことながら神出鬼没にもほどがあるだろ。せめてビックリさせないように出てこい。

 だがテラは彼の質問には答えず、珍しく真剣な表情で部屋を見回していた。


「気をつけろ、リョウ。この部屋は危険じゃ」

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