2-4

 どのくらいの時間がたっただろう?

 ほんの1分のような気もするし、1時間のような気もする。


 リョウはデッキブラシを握ったまま、謎の釘バット男と睨み合っていた。


 いや、そもそもこいつは俺のことをちゃんと見えているのか?


 VRゴーグルには外部カメラが付いていて、装着したままでも外を見ることは可能ではあるが、肉眼に比べ視界は圧倒的に悪くなる。本気でリョウの頭に釘バットを直撃させたいと思っているなら、まずはゴーグルを外すべきだろう。


「殺す……ぶっ殺す……」


 男はずっとそんなことをブツブツ呟き続けている。とてもまともな精神状態とは思えない。


 リョウは周囲の状況を確認する。

 すぐうしろには窓があるが、鉄格子がはまっていて外に出ることはできない。そして唯一の出口であるドアの前には男が立ちふさがり、剣道の竹刀のように釘バットを構えて立っている。


 最初の一撃さえ回避できれば、脇をすり抜けて外に出られるはず。

 リョウはその一瞬のスキを狙って、ジリジリと、ほんの少しずつ男との距離を詰めていた。


 と、その時だ。

 いきなり入口のドアが開いて、クリスが顔を覗かせた。


「一式、ずいぶんトイレが長いですけど大丈夫ですか?」

「クリス、危ない!!」


 リョウが叫ぶのとほぼ同時に、ゴーグルの男がくるりと体を反転させ、その回転の勢いのまま、クリスの顔面めがけて釘バットをスイングする。


 ガゴーン!


 ドアの縁に釘バットがぶつかり、衝撃音が響く。

 クリスは咄嗟にうしろにのけぞって攻撃を回避していた。


 よし、今だ。クリスもいるし、二対一なら余裕だろう。


 攻撃をはずしたこのタイミングなら男を取り押さえられると思い、リョウは足を踏み出そうとした。


 だが。


「来るな!!」


 クリスの制止の声で、ビクッと足を止める。


 ガン!


 その止まった足の数センチ先の床に、釘バットが叩きつけられた。


「は……?」


 クリスの声で止まっていなかったら、脳天にバットが直撃していただろう。

 リョウの背筋に冷たい汗が噴き出した。


 でも、なんで?


 普通、攻撃を外したら、次の攻撃を出すまでにはまた構えなおす時間が必要なはずだ。だが、男が釘バットを振る速さは尋常ではなかった。


「うわあああぁぁぁ! 来るな! 来るなぁーッ!!」


 男はいきなり絶叫し、クリスに向かって釘バッドを振り上げた。


 ブンブンブンブンブン!


 ありえないスピードで釘バットを振り回す。

 まるでビデオの早送りを見ているような、人間離れした速さ。


 しかしその連続攻撃を、クリスはボクシングのスウェーのような動きで華麗に回避する。


「あぁ~、ムカつくなあ!!」


 いきなり、そんなヤンキーのようなドスのきいた声が聞こえて、リョウは一瞬、それが誰の発した声なのかわからなかった。


「CPUかテメーはあ!? ワンパターン過ぎんだよタコがぁ!!」

「え? クリス……?」


 その声は間違いなくクリスの口から発せられていた。

 クリスってこんなキャラだったっけ?


 ベキャァッ!


 まるで別人のような凶悪な顔をしてクリスが釘バット男の頬を殴り、VRゴーグルが弾け飛ぶ。

 さらにクリスは男の顔を両手で掴むと、顔面に膝蹴りをめり込ませた。


「いっぺん死んで来い!!」


 グシャァッ!


 何かが破裂したような音がして、男は鼻血を流して倒れこむ。

 さすがヴァンパイアハンター……ってより、どう見てもただのチンピラだけど。


「おいおいおい、もう終わりか? 起きろゴルァ!!」


 クリスが叫びながら男の後頭部を踏みつけようとするので、リョウは慌てて彼の肩を掴んだ。


「おいやめろ! 死んじまうぞ!」

「はあ? 死ぬんじゃねぇ、殺すんだよぉ!」


 何だコイツ。

 マジでさっきまでのクリスとは別人みたいだ。凶暴すぎる!


「やめろって!」


 クリスを羽交い絞めにして、男から無理やり離れさせる。


「おい、何すんだこの野郎……邪魔すんじゃねー!!」


 逆ギレしたクリスが、今度はリョウに殴りかかってきた。

 げっ、俺が殺される!?


 クリスの拳が顔面に飛んで来て、殴られると思った刹那。


 ガコーン!


 という、プラスチックの板を殴ったような音がしたと思うと、クリスの拳は見えない壁にぶつかったみたいに弾き飛ばされた。

 その反動でクリスはうしろに吹っ飛び、床に手をついた。


「え……何だ、これ?」


 一瞬、目の前に青白いハニカム模様が見えた気がして、リョウは目をこすった。

 それは、LOVのゲームの中で、シールドを張った時に表示されるエフェクトに似ていた。


「リョウ君!?」


 急に悲鳴に近い声が聞こえて、リョウはハッと我に返った。

 青ざめた沙也加がリョウに駆け寄って来て「大丈夫?」と心配そうに彼の腕を掴んだ。


「ああ、大丈夫……みたいだ……」


 ハニカム模様はもう見えなくなっていた。

 呆然としてクリスの方に目を向けると、もうその顔からは凶悪な表情は消え、元の真面目なビジネスパーソン風のクールな表情をして、乱れた服を正していた。

 クリスは黒縁メガネの奥の青い瞳でリョウを見ると、ペコリと頭を下げた。


「すまない、一式。僕は戦いになるとつい、少し興奮してしまうのです」

「いやいや、お前『少し』の意味知ってるか!?」


 と喉元まで出かかったが、ぐっと飲み込んだ。

 また凶暴化されたらたまったもんじゃない。


 というか早乙女クリス、なんちゅー危険人物だ。こいつに比べたらマナセナの方がまだまともかもしれない。

 まあ、とはいえ今回はコイツのおかげで助かったが。


 ウエイトレスがおどおどした様子でこっちを見ていたので、リョウは彼女に警察を呼ぶように言った。


「さ、俺らは警察が来る前に帰ろうぜ」

「それがいいでしょうね」


 クリスが袖についた返り血を見ながら頷いた。

 コイツは一度逮捕された方が世の中のためなんじゃなかろうか?


 席に戻ると、ルナがテーブルに突っ伏して爆睡していた。

 メイはスマホでゲームをしていたが、三人が戻ってきたのを見ると「さて、そろそろ帰るっす」と言って立ち上がった。


「社長、帰りますよー」


 リョウがそう言って肩を叩くと、ルナは意外にもすぐに「はーい」と言って立ち上がり、スタスタと歩きだす。

 え、めちゃくちゃ元気じゃん。


「二次会はカラオケ? ラーメン? 焼肉?」

「いや、今日はもう帰りましょう……」


 この人はまだ飲む気なのか。こういうのをザルっていうんだな。

 てか、二次会で焼肉は絶対おかしいだろ。


「あ、そうそうリョウ君」


 ルナが思い出したというように手をポンと叩いて、リョウの顔を覗き込んで来た。


「明日の夜って、何か予定あるのかしら?」

「いえ。特に何もないですね」


 むしろ、夏休みが終わるまでずっと何もない。


「そう」


 ルナは満足げに微笑んだ。妖艶なその瞳に、リョウはドキッとしてしまう。


「じゃあ、また明日連絡するわね。私は会社に戻るから」

「あ、はい。わかりました、お疲れ様です」


 リョウが挨拶すると、ルナは意味深な笑みを彼に返し、タクシーに乗って去って行った。


 周りを見ると、クリスとメイはいなくなっていて、沙也加がこっちに駆け寄って来た。


「あれ、社長もう帰っちゃったんだぁ」

「会社に戻るって言ってたぞ」

「そっかぁ。でも社長ってなんだか面白い人だよねぇ」


 沙也加は何かを思い出したようにクスクスと笑った。

 こいつもまあまあ酔ってるみたいだな。顔が赤いし。


「沙也加ももう帰るのか?」

「ううん」


 沙也加は首を振った。


「卒論があるから、これから図書館に行くんだぁ」

「はあ、酔ってるのに卒論なんか書けるのかよ」

「えー、私は全然酔ってないよぉ」

「そうなのか? 顔が赤いみたいだから酔ってるのかと思ったけど」

「うぇっ、赤いかな!?」


 沙也加はしゃっくりみたいな変な声を出して頬に手を当てた。

 やっぱり酔ってるんじゃねーか。


「おい、大丈夫か?」

「あのさ! リョウ君!!」


 顔を覗き込もうとしたらいきなり大声を出されて、リョウはビクッとしてのけぞった。


「な、何だよ。いきなり大声出すなよ、心臓に悪いから」

「あ、ごめん……あのさ、リョウ君」


 沙也加はスマホを手に握って目を泳がせる。


「れ、れれ、連絡先……交換しない?」

「え? ああ、確かにそうだな。すっかり忘れてた。交換しようぜ」


 リョウが連絡先のコードを表示させてスマホを差し出すと、沙也加がそれを読み込む。

 てか、コイツめちゃくちゃ手が震えてるけど大丈夫かよ?


「寒いのか?」

「ううん、大丈夫!」


 食い気味に答えて、沙也加はスマホを操作する。

 ぴょこん、とメッセージが届いたのでリョウが自分のスマホの画面を見ると、ゆるキャラみたいな犬がお辞儀しているスタンプが届いていた。

 沙也加はふーっ、と安心したように息を吐いた。


「これでいつでも連絡とれるねぇ。あ、でも毎日連絡とかはしないから安心してねぇ」

「いや、別に毎日してくれてもいいぞ」


 どうせ暇だし。


「え、ほんと!?」


 沙也加が目を見開く。澄んだ大きな瞳がキラキラと輝いている。


「じゃあ、毎日しようかな……」

「ああ。というか普通にしたい時にしてくれたらいいよ」

「うん、ありがとう」


 沙也加はエヘヘと笑った。


「リョウ君も、気軽に連絡してねぇ」

「ああ」


 リョウも笑顔で頷いた。

 二人は並んで新宿駅に向かった。


 ちょうど正午を過ぎた時間帯で、日差しが強い。

 アスファルトの上では陽炎が踊っていた。

 その中を昼休みらしいサラリーマンやOLたちが、ランチを求めて彷徨っている。


「あ、そうだ。沙也加もLOVやってるんだよな。今の臨時メンテが終わったら、一緒にやろうぜ」

「え! あ……そ、そうだねぇ。うんうん……そうしよう、あはは」


 リョウの提案に、沙也加は笑顔で頷いたが、何だか歯切れが悪いし目が泳いでいる。


「どうしたんだ? もしまだ始めたばかりだったら、レベル上げも手伝うぜ。俺のほうは一応、レジェンドだからさ」

「ありがとう。レジェンドかぁ……す、すごいねぇ。それにリョウ君は優しいねぇ」

「そんな事ないけど」


 リョウはスマホの画面に表示された、ブサ可愛い犬のスタンプを見ながら笑った。


「ただ、沙也加と一緒にゲームするの、楽しかったからさ。久々にまた一緒にゲームできたらいいなって思ったんだよ」

「そ、そっか……ありがとう」


 沙也加は照れくさそうに頷いた。


「じゃあ、リョウ君、今日はありがとう。また連絡するねぇ」

「ああ、卒論頑張れよ」

「うん、ありがとぉ!」


 沙也加は両手をブンブンと振って、JR新宿駅の改札の中に消えて行った。

 リョウは彼女の姿が見えなくなるまで見送ってから、「じゃ、俺も帰りますか」と呟いて、地下鉄の駅に向かって歩き出した。


 その二人の様子を、遠くでじっと観察する青白い影がいた。


「どうやら順調みたいですね……ククク」


 そう言って、影はふわふわと漂って雑踏の中に消えて行った。

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