2-2

 そこに立っていたのは、時空警察のマナセナだった。


 彼女のほうも驚いたように目を見開いてリョウの顔を見ていたが、すぐにその眼光が鋭くなり、低い声で囁いた。


「なぜあなたがここに?」

「それはこっちのセリフだ!」


 リョウはうしろの沙也加に聞こえないように声をひそめて言い返した。


「俺がここにいるのは、オロチに内定もらったからに決まってるだろ。そっちこそ、今日は有給使ってお出かけじゃなかったのかよ。まさか、こっそり転職活動か?」

「バカ言わないで」


 マナセナは冷たい目でリョウを見下した。


「いい? このことは警部補には絶対に言わないこと。もし言えば……」

「言えば?」

「殺す」


 マナセナの瞳が青白く光る。

 これはマジの目だ。


「別に言わねーよ……言う必要もないし」


 むしろこれ以上、こいつと関わりたくない。可能なら永久に。


「リョウ君」


 沙也加が、心配そうな表情でリョウとマナセナを交互に見ながら尋ねた。


「あの……お知り合い?」

「いや、全然」


リョウは答えて、沙也加の腕を掴んだ。


「行こうぜ」

「う、うん」


 沙也加は頷いてリョウに引かれて歩きながら、チラリとマナセナの方に目を向けた。

 目が合う。


「綺麗な人……」


 無意識にそんな感想が口から洩れる。


「はぁ? 沙也加の方が百倍綺麗だろ」


 心の綺麗さも込みで。


「え!?」


 ぼふっ、と頭から湯気が出るんじゃないかと思うくらい、沙也加の顔が急激に赤くなる。


「そそそんなこと……」


 その広大なホールは、中心に円形のステージがあって、それを囲むように扇状に座席が配置されていた。まるで劇場だ。ただ、ぱっと見で二百席以上はありそうな客席は、ほとんどが空席だった。ガラガラといってもいいかもしれない。


 何しろ、リョウと沙也加とマナセナの三人を除くと、ホール内にいるのはあと二人だけ。つまり、このだだっ広い空間で、たった五人しかいない状況。

 オロチほどの大企業のオリエンテーションなら、何十人、いや何百人単位の人が集まるものと思っていたリョウは、ちょっと拍子抜けした気分だった。


「とりあえず、この辺に座ろうぜ」


 リョウが適当に端のほうの席に腰を下ろすと、それに続いて沙也加も隣に座る。何だかぎこちないロボットみたいな動きが気になって彼女の顔を見ると、真っ赤になって汗までかいていた。

 おいおい。


「お前、めちゃくちゃ顔真っ赤じゃねーかよ! 熱あるんじゃないのか?」


 リョウが沙也加の額に手を当てようとすると、沙也加は「わーっ!」と言って顔面をガードするように両腕を交差させた。


「だ、大丈夫だいじょうぶ! リョウ君ほら、もう時間だから、集中集中ぅ!」

「マジで……? 本当に無理はするなよ」


 かなり心配だが、本人が大丈夫って言っているなら仕方ない。

 リョウは沙也加のことはとりあえず気にしないことにして、改めてホールの中を見回した。


 それにしても無駄に豪勢な造りをしている。

 柱やステージの台座は大理石だし、床には高級そうな真紅の絨毯じゅうたんが敷き詰められている。客席の座席はリョウが今まで座ったどんな椅子よりもフカフカで、何時間でも座っていられそうだ。これぞ本物の人をダメにする椅子かもしれない。


 チラリとうしろを見ると、マナセナは一番後方の席に座り、背筋を伸ばし無表情でステージを見つめていた。

 本当にコイツは何しに来たんだか。


 ステージの真正面、最前列のど真ん中に座っているのは、リョウと同い年くらいと思われる白人の青年だった。ブロンドの髪をビシッとオールバックに固めて黒縁くろぶちメガネをかけ、茶色いスリーピースをまとった姿は既に一流のビジネスパーソンといった風格を漂わせている。


 対して、リョウたちとはちょうど対角線上の向こうの端の席に座っている人物は、ビジネスパーソンどころか社会人としてありえない格好をしていた。


「着ぐるみ?」


 リョウの視線の先を追った沙也加が、不思議そうに首を傾げる。

 確かに、頭の先から足の先まで蛍光グリーンのそいつの姿は、一見するとガチャピンの着ぐるみみたいに見える。

 だが、リョウはそれが着ぐるみではないことを知っていた。


「アレは着る毛布だ」


 それはゲーマー向けに特別に作られた、通称「ダメ」とも言われるものだ。まあ、すごく簡単に言えば毛布のようなモフモフ素材で作られた、フード付きのツナギである。

 寝ている時も起きている時も24時間ずっと着たままでいられる快適性はまさに最強の部屋着であり、引きこもり廃人ゲーマーにとっては最適の装備と言える。


 しかし、だからと言ってそんなダメ着を、この重要なオリエンテーションの場で着てくるとは。完全に世の中をナメているとしか思えない。あんなふざけた格好で仕事していいのは某有名ユーチューバーくらいなものだ。


『全員集まったようですね』


 突然、スピーカーから女の声が聞こえ、リョウが中央のステージに目を戻すと、そこにはどこから現れたのか、赤いドレスを着た女が立っていた。

 いや、微妙に背景が透けているから、ホログラムの立体映像だろう。


『皆さん、はじめまして』


 女が優雅にお辞儀すると、長い黒髪がサラリと胸元に流れた。

 スラリとした長身で、大和撫子やまとなでしこという言葉がぴったりな和風美人だ。

 真っ白な肌はあまりにも美肌過ぎるのか、ホログラムを通すと全身がキラキラ発光してるように見える。


『株式会社オロチの代表取締役、龍崎りゅうざきルナです。皆さん、これから私と一緒に、人類のための新しい世界を創造していきましょうね』


 そう言って、龍崎ルナはお手本のような綺麗な微笑を浮かべた。


「新しい世界……」


 リョウは思わずその言葉を口の中で反芻はんすうした。

 随分、変わった表現をするな、と思ったのだ。

 それは、LOVのような『世界中を熱狂させるゲームを一緒に作っていこう』という意味だろうか。


 ルナはそんなリョウのささいな違和感を見抜いたかのように彼の方を見て、微笑を浮かべたまま言った。


『そう。ここにいる、ね』

「え?」


 四人???

 確か、この会場には五人いたはずだが。


 そう思って、リョウは周囲を見回した。隣には沙也加、最前列には白人の青年、向こうの端にはガチャピン、最後部の席には……。


「あれ」


 誰もいない。

 ついさっきまでそこにいたはずのマナセナが、忽然こつぜんと姿を消していた。


『さて、それでは』


 龍崎ルナはパン、と手を打って笑顔で参加者を見回した。


『今日は初日ですから、堅苦しい挨拶はこのへんにして、今からみんなで飲みに行きましょう』

「え、飲み?」


 いきなりの陽キャ展開に焦るリョウとは対照的に、隣の沙也加は「やったー!」と無邪気にはしゃいでいる。

 いや、今まだ昼前なんだけど。


 リョウが混乱しているうちに、早速エレベーターの中から実物のルナが出てきて声を上げた。


「さあ、みんな行くわよ。早く乗って乗って!」


 生身のルナは赤いドレスではなく、白いTシャツにジーパンというラフな服装だったが、それでも美人であることに変わりはなかった。

 むしろ実物の方がより一層キラキラ光って見えるから不思議だ。これが美人オーラというものだろうか。


 リョウが思わず見とれていると、沙也加がつんつんと脇腹をつついてきた。


「リョウ君、行かないのぉ?」

「ああ、行く行く。脇をつつくな!」


 全員が乗り込むと、エレベーターはゆっくりと動き出した。


「社長、この会社ってすごく大きいですよねぇ。他の社員さんは何人くらいいるんですか?」


 沙也加が気軽な感じでルナに質問する。

 こいつは昔から人見知りとか全然しない奴なんだよな。


「これで全員よ」


 当たり前のことみたいにルナが笑顔で答えると、他の四人の頭の上にハテナマーク???が無数に浮かんだ。

 ルナはすぐにそれを察したらしく、言葉を続けた。


「あ、そうか。うーん、実はこれは企業秘密なんだけどね……」


ルナは人差し指を口元に当ててみせた。


「まあ、別に秘密にするようなことでもないんだけど。LOVの開発と運営は全部、今まで私一人だけでやっていたのよ」

「「ええーっ!?」」


 ルナの言葉を聞いて、四人は同時に声を上げた。そりゃ誰でも驚くだろう。

 全世界で10億人以上のプレイヤー人口といわれる超大規模なオンラインゲームを、たった一人で運営しているなんて。びっくりしないほうがどうかしてる。


 一体どんな脳味噌してたらそんな事ができるのか、リョウには想像もつかなかった。

 というか、人間にそんなことできるんだろうか?


「ちなみにこのビルの2階から43階は全部サーバールームで、地下と屋上にはビル全体の一年分の電力を供給できる発電施設があるのよ。で、45階が自宅兼オフィスになってるの」


 まるで自分が作ったオモチャの説明でもするかのように楽しげに話す。


「だから、別に私的には一人でも何の問題もないんだけど、今後のことを考えたら、ちゃんとスタッフを雇った方がいいかなって思ってね。色々なリスクヘッジとして、みたいな?」


 癒し系スマイルでルナが話す内容の真偽はさておき、とりあえずこの人は相当ヤバイ人だと他の全員が思ったのは間違いなかった。


「社長、僕も一つ質問してもよろしいですか?」


 白人の青年が右手を上げた。見た目通りの真面目そうな奴だ。


「クリス君、もちろんいいわよ」


 ルナは質問されて嬉しいというように目を細めた。


「ありがとうございます」


 クリスと呼ばれた金髪の彼は、ぺこりと頭を下げ、黒縁メガネをクイッと指で押さえた。今から投資信託とうししんたくのプレゼンでも始めそうな雰囲気だ。


「この一週間ほど、LOVは臨時メンテナンス中のようですが、これは今回のオリエンテーションのために一時休止されているということでよろしいでしょうか?」


 確かに、ルナが本当にLOVを一人で運営しているのであれば、このオリエンテーションの準備なども同時進行でというのはさすがに無理があるだろう。


「いい質問ね」


ルナは軽く頷いて、四人それぞれの顔をゆっくり見回した。


「そうね。これはみんなのこれからのお仕事にも関わることだから、先に伝えておくわ」


 ルナの表情から急に笑みが消え、エレベーター内に緊張が走る。

 沙也加がごくり、と息を呑んだ音がした。


「クリス君の言ったことは、半分は正解よ。でもね、今回の臨時メンテナンスの一番の理由は別にあるの。実は一週間前、LOVのメインシステムに対し、何者かが外部から攻撃を仕掛け、それによっていくつかの重大なバグが発生したの。今はその修正作業を行っている所なんだけど、思ったより時間がかかってしまっている状況ね」


「バグ……」


 リョウの脳裏に『バグを消す』というテラの不穏な言葉が蘇った。

 それに一週間前と言えば、テラが彼の前に現れたのと同じタイミングだ。

 この世界のバグと、LOVのバグ。

 二つのバグに、何か繋がりがあるのだろうか?

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