STAGE 2
2-1
株式会社オロチの内定者向けオリエンテーションに参加するため、リョウは久しぶりに朝9時に起きた。彼にとってはかなりの早起きである。
テラが彼の前に現れた日から、一週間が過ぎていた。
その間、リョウの周辺で変わったことといえば大きく二つ。
一つ目は、テラが家に住み着いて、ずっとテレビゲームばかりやっているということ。
あの日にテラが言った通り、彼女はリョウの妹という『設定』になってしまっていた。まさかと思って区役所に行って戸籍を確認すると、そこには「
どうやら、テラには人智を越えた謎の力があるのは間違いないようだ。
まあ、だからといって神様とはとても思えないが。
二つ目は、時空警察の二人が何度か家に来て、簡単な事情聴取をされたこと。
といっても、リョウにとってはなぜ自分が襲撃されたのか見当もつかなかったし、犯人の男とも面識がないしで、何も話せることはなかったが。
とはいえ、あの日の異常な出来事……神を名乗る少女の出現、時空警察の登場、謎の男の襲撃……というのを考えると、この一週間は平穏に過ぎたと言っていいだろう。
ああ、もう一つ、変わったことがあったっけ。
それは、あの日から今日にいたるまで
そして正直、これがリョウにとっては一番の問題といえるかもしれない。
「暇だ……」
せっかく就活から解放されたというのに、LOVがプレイできないなんて。
退屈を持て余したリョウは、テラと一緒に家でゲームをしたり、
それにしても、コイツは本当に一体何者なんだろう。
彼は洗面所で歯磨きしながら、部屋で相変わらずテレビゲームをしているテラを鏡越しにぼんやりと眺めた。
特に何か害があるわけではないし、むしろ彼女の持ってくるゲームは彼にとっても新鮮だったり懐かしかったりするものばかりで楽しかったが、冷静に考えたら今のこの状況は完全に異常だ。
『バグの元凶は近いうちにお主に接触してくるはずじゃ』
テラはそう言っていたが、この一週間、そんな気配は一切なかった。
このまま何も起きなかったら、コイツはずっと家に居座り続けるつもりなのだろうか?
「今日はオロチに行く日じゃな」
「ぶふっ!」
いきなり話しかけられ、ビックリして歯磨き粉を飲み込んでしまった。
いつの間にか隣に立っていたテラが、鏡越しにリョウを見上げていた。
「お前は本当に神出鬼没だな……いちいちビックリさせるなよ!」
「神なんじゃから神出鬼没なのは当たり前じゃろ」
テラはクスクスと笑った。
「しかし、オロチなんて、いかにも不穏な名前じゃのう。何事も起こらなければ良いがな」
「はあ、変なフラグ立てるなよ……」
リョウは呆れてテラの顔を見返した。
「一応、世界的な企業なんだぞ。何かあったりしたら、世界中が大混乱になるだろうが」
「そんなことはないぞ。何かが変わる時というのは、誰にも知られずに音もなく、いつの間にか変わるものじゃ。お主の戸籍のようにな」
コイツはどんだけフラグを立てれば気が済むんだよ。
何故かものすごく楽しそうに話すテラを、リョウはうんざりした思いで追い払った。
「はいはい、わかったから神様は大人しく家でゲームでもやっててくれ」
まったく、不吉なことばっかり言いやがって。
本当はただの疫病神なんじゃないか?
リョウはネクタイを結ぶと、ジャケットを手に抱えて部屋を出た。
外はまだ午前中だというのに、太陽の光がギラギラと眩しく、うだるような熱気がモワリと全身を包み込む。せっかくシャワーを浴びたのに、こんな中を歩いたら一瞬で汗だくになってしまいそうだ。
ちょうどその時、前方から見たことのある青い制服姿が近づいて来るのが目に入った。
「げっ……何でこんな時に」
「よお、
大門が笑いながら声をかけてきた。
デートだと?
彼女いない歴=年齢のリョウにとって、それは人類滅亡よりも縁のない言葉だった。
「デートだったら良かったんですけどね……。ところで大門さんこそ、今日は一人なんですか?」
リョウはキョロキョロと周囲を警戒した。マナセナの姿が見当たらない。彼のその様子を見て、大門はガハハと笑った。
「アイツは今日は休みだよ。土日でも滅多に休まないクソ真面目な奴なんだが、有給を取るなんて珍しいこともあるもんだ。出かける用事があるって言ってたけどな」
「あ、そうなんですね」
リョウはホッと息をついた。
どうもあの女は苦手だ。
「えっと、それで今日は何か?」
「ああ、前に捕まえた奴の所持品を本部で調べてもらってたんだが、ちょっと妙な事がわかってな」
大門は急に真面目な表情になって眉間にしわを寄せた。
「妙な事……ですか」
まあ、いきなり人の家に現れてナイフで襲い掛かってくる時点で、まともな奴では絶対ないだろうが。
「あいつが使っていたマントだが……あれはこの世界に存在しないはずのものなんだよ」
マント……というと、光学迷彩マントのことだろうか?
確かにリョウも、あれは気になっていた。
LOVのゲームの中みたいな光景を、現実の世界で目の当たりにするとは思わなかったからだ。
「存在するはずがないって、どういうことですか?」
「そのままの意味だよ。俺も専門的なことはわからねえが、あのマントはこの世界に存在しない素材と技術で作られているらしい。つまり、異世界のマントってことだな」
異世界って……またすごいこと言い出したぞ。
ファンタジー世界か何かの話だろうか。
「それって前に言っていた、次元の歪みが影響してるんですか?」
「恐らく、そうだろうな」
大門は肩をすくめた。
「だからこうしてまた調査に来たのさ。兄ちゃんのほうは、あれから何か変わったことはなかったか?」
「いえ……特には」
リョウは首を振った。
「そうか。命を狙われた理由も、やっぱり心当たりはなさそうかい?」
あの日以来、もう何度もされた質問だ。
答えは決まっている。
「ないですね。見当もつきません」
「だよなぁ」
大門は困ったように頭をぽりぽりかいて苦笑した。
「まあ、あれからは次元の歪みも起きてないようだし、このまま何事もなければいいんだけどな」
じゃあデート頑張れよ、と大門は笑いながらリョウの背中をバシンと叩いた。
背骨が折れたかと思った。
だからデートじゃねーっての!
そんなこんなで、リョウがオロチの本社ビルに到着したのは、オリエンテーションの開始時間ギリギリになってしまった。
都庁の目の前にそびえ立つ、全面漆黒に覆われた超巨大モノリスのような建造物。
それが株式会社オロチの本社ビルだった。
ビルの入口のガラス扉も真っ黒で、一見するとどこが入口なのかもわからない。まるで忍者屋敷みたいだ。もはやここまで来ると前衛的とか独創的というのを通り越して、病的とか
そしてその感じは、中に入るとより強くなった。
唯一の出入口である黒いガラス扉を入ると、目の前に真っすぐ伸びる一本の長い廊下。吹き抜けになった天井は漆黒の闇に包まれていて、見上げていると上に向かって墜ちてしまいそうだ。
廊下の左右に部屋らしきものはなく、ただ無機質な黒い壁だけがずっと続いている。唯一の明かりは、床の左右に点々と配された間接照明の頼りない光のみ。
そして、まるで洞窟みたいなその廊下の突き当りには、一基のエレベーターがぼんやりと亡霊みたいに浮かび上がって彼を待ち構えていた。
何だかウィザードリィのダンジョンみたいだな、とリョウは思った。
廊下を歩くコツコツという足音がやけに反響する。
大都会のど真ん中にいることを忘れてしまいそうなほどの静けさ。
人の声はおろか、気配すら全く感じられない。
ようやくエレベーターに辿り着いたリョウは、ふうっと安堵の息を吐き、今日の会場がある44階のボタンを押した。
ずらりと並んだボタンを見ると、どうやらこのビルは45階が最上階らしい。
リョウはふと、2階から43階はどんな風になってるんだろうという好奇心を覚えた。もちろん、他の階のボタンを押す勇気なんてなかったが。そんなことで内定が取り消しになったりしたら洒落にならないし。
と。
エレベーターの扉が閉じかけた時、ビルの入り口のガラス扉が開いて、リクルートスーツを着た女の子が一人、ビルの中に入って来た。
それを見たリョウは慌ててエレベーターの『開』ボタンを押して、その女の子を待つことにした。遠目に見てもリョウと同年代くらいの子だったので、彼女も今日のオリエンテーションの参加者なのだろうと思ったのだ。
リョウが待っている事に気づいた女の子は「すみませーん!」と叫びながら小走りでこっちに向かってくる。ヒールの靴に慣れてないのか、走り方がぎこちない。
あれ?
次第に距離が近づくにつれて、リョウはその女の子に見覚えがあるような気がしてきた。
彼女のほうもリョウの顔を見て同じことを思ったのか、それまでの困り顔がパッと笑顔に変わった。
「あれ、もしかしてリョウ君!? 久しぶりだねぇ!」
その笑顔を見て、リョウもやっとその子が誰なのか思い出すことができた。
「え、
「そうだよぉ!」
嬉しそうに頷きながら、彼女はエレベーターに乗り込んで来た。顔を上気させ、肩でゼーゼーと息をする。
「はぁ、はぁ……リョウ君、ありがとう。いやぁ、危なかったぁ。いきなり遅刻したらどうしようかと思っちゃったよぉ」
そう言って、彼女……
リョウと沙也加は、小さい頃に家が隣同士で、同い年ということもあって毎日のように一緒に遊んでいた。いわば
ただ、中学二年の時に沙也加は親の都合で引っ越してしまったので、それ以来連絡を取ることもなく、約8年ぶりの再会だった。
「マジで沙也加なのかよ……何かお前、変わったな」
リョウの記憶の中の沙也加は、おかっぱ頭で
だが今、目の前にいる彼女は、メガネもかけておらず、栗色の髪を半分うしろで結んだハーフアップにして、大きな瞳をキラキラと輝かせてリョウを見つめている。
控えめに言っても、かなり可愛い。とても彼が知っている沙也加と同一人物だとは思えなかった。
「そ、そうかな。メガネやめてコンタクトにしたからかも?」
沙也加は頬を赤らめて笑った。
見ているこっちまで楽しくなるようなその明るい笑顔だけは、昔と少しも変わっていない。
リョウは久しぶりに見るその笑顔に、何だか胸が温かくなるような気持ちがした。
「リョウ君は変わらないよねぇ」
沙也加はネクタイ姿のリョウをしげしげと見て言った。
一方の彼女のほうは、リクルートスーツの上からでもわかるくらい立派に成長した胸の谷間が、ブラウスの
リョウは視線のやり場に困って、思わず目をそらした。
「ま、まあ……俺はあんまり成長してないからな」
「あはは、何それ! リョウ君、相変わらず面白いなぁ」
沙也加が愉快そうにケラケラと笑う。その声を聞いていると、リョウは子供の頃に戻ったような不思議な気持ちになった。
「というか、沙也加もオロチに就職したってことだよな?」
「うん、そうだよぉ。こんな立派なビルに入るなんて、生まれて初めてだから、ちょっとドキドキだったけど……リョウ君が一緒なら安心だなぁ」
本当に安心したように微笑みながら、沙也加は小さく拍手してみせた。
「そっか」
リョウもそれにつられて微笑む。
彼が生まれて初めてテレビゲームをプレイしたのは、まだ小学生に入る前。
沙也加の家に初めて遊びに行った時だった。
確か、その時に遊んだのは
最初はなかなか沙也加に勝てなかったが、やっているうちにコツを掴み、気づけば沙也加よりも強くなってしまって、ビックリされたのだ。
その時に初めてゲームの楽しさを知ったリョウは、毎日のように沙也加の家に遊びに行き、一緒に色んなゲームで遊んだ。
それはつまり、沙也加もまた彼に勝るとも劣らない、根っからのゲーマーということでもある。
そしてLOVの運営会社であるオロチに就職したということは、沙也加は今でも変わらずゲームが好きということなのだろう。
そう考えると、リョウは古くからの戦友に再会したようなうれしさを感じた。
「じゃあ、沙也加もLOVやってるってことだよな?」
「うぇっ!?」
リョウが何気なく質問すると、沙也加はカエルが踏まれたみたいな変な声を上げて、急にあらぬ方向をキョロキョロしだした。
え、俺なんか変なこと言ったか?
「えっと、まぁ、たまに? 少し……? やったり、やらなかったり……」
「おいおい、顔が赤いけど大丈夫か?」
沙也加の顔が異常に赤くなっていたので、リョウは熱でもあるのかと心配になった。
「もし体調悪いなら……」
「だ、大丈夫だよぉ! むしろ元気すぎるくらいだから!」
そう言って、沙也加はリョウの視線から逃れるように背を向けてしまった。
いや、本当に大丈夫なのか?
チン!
ベルの音がして、ゆっくりとエレベーターのドアが開いた。
44階には廊下はなく、エレベーターを出るとフロア全体が劇場みたいなホールになっていた。
目の前がちょうどその客席の最後尾になっていて、正面前方にステージが見える。
開始時間3分前。
まさにギリギリセーフ。
リョウがそのホールを見回すと、すぐ近くに立っていた一人の女と目が合った。
グレーのパンツスーツを着た、スラリとした長身のハーフ系美人。
「え?」
その予想外の遭遇に、リョウは思わず硬直した。
何でコイツがここに……!?
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