第16話
〔ひとり足りませんねえ〕
ノブの攻撃を受け、追走する速度を落としてしまうも悪魔は慌てる様子はない。
本能的に追いかけなければならないという衝動に駆られていることも実は冷静にとらえていた。
何やら女神の加護の影響下にいる。
理解しながらも抗えないことに少々イラついているが、同時に遺跡の内部構造を脳裏に浮かべる。とはいっても、実際に脳を持っているわけではない。悪魔の特徴でもあるのだが、脳の機能は魂が行っているからである。見た目の姿は仮初の姿であり、魂に保存されているデスムドーラの系譜に連なる生き物の情報から拝借しているだけなのだ。
本体はあくまでも魂だけなのだ。
それでも肉体という鎧を作り出していなければ先ほどのような攻撃を受けた時にあっけなく消滅してしまう可能性がある。
この世界は生きにくいと思いながら、生きやすい世界に作り変えなければという気持ちも大きくなる。
〔やはり、人間が出入りできる場所は背後にある簡素な横穴だけ……〕
天使や悪魔であれば他にも使える通路が隠されているが、今は関係ない。
転移で移動することも可能だが、転移魔法は転移先の座標を定めた上で肉体を転写させ魂だけの無防備な状態で移動しなければならない。この遺跡内であれば霊気が豊富なので肉体の転写は難しくないとはいえ時間がかかる。
しかも、相手は未知のスキル持ち。
無防備な魂を攻撃されてしまってはせっかく起きたばかりだというのに再び眠りにつくことになりかねない。
今回のように一気に階級を上げられる器を見つけられる可能性は限りなくゼロに近いはずだ。
〔と……なると、地道に追い込むのが最善手になる、か〕
限られたルートで作られる無数の組み合わせを瞬時に構築し、人間の思考と照らし合わせ相手が何を狙っているのかを絞り込む。
〔二足歩行というのは苦手なのですが、仕方ありません〕
女神の系譜に属する姿にはなれないとはいえ、全く異なる系譜というわけでもない。遠い昔に枝分かれした系譜であり、同じ世界に存在できる程度には似た系譜に連なる。そのため、異形ではありながらもどこかしら似通った姿にはなれるのだ。
悪魔はその中から今よりも人種に近いものを選び姿を変える。
爬虫類を思わせる緑色の湿った肌はテカテカしており、体表を湿らせているのが何なのかは判断に迷う。というのも、ねちゃねちゃとした質感で移動するたびにビチャリビチャリと滴り落ちるからだ。
床に落ちた粘着質な液体はシュワシュワと小さな音を立てながら床をかすかに溶かしたところで霊気となって消えていく。これでは体内から霊気がこぼれ続けるだけなのだが、どうやら頭頂部が霊気を集める皿になっているようだ。
口元は鳥のくちばしを思わせる硬質なものになり、鋭い視線が逃げた3人を捕えると、ヒタヒタと足音を響かせながら追走を再開させる。
リトガではあまり馴染みのない姿だがジャッドナーのメンバーであれば、一目見ただけで河童と呼んでしまうこと請け合いである。
むろん、悪魔としてもこの形態が水辺に適したものであることは理解している。しているのだが、他にこの遺跡内で小回りの利く動きができる形態の情報を持ち合わせていなかったのだ。
魂に蓄積しておける情報は階級によって変化する。
ツン姉の〈スカウティング〉では下級でも上の方に相当する能力を持っていながらも、目覚めたのはつい最近のことなのだ。本来は
〔ふむ。これだけ霊気が濃ければ問題なさそうですね〕
頭の皿から霊気を取り込むのは本来は水中の方が適しているのだが、女神の遺跡として残っているだけあって霊気は豊富に満ちている。
循環が問題なく機能していることを確認している間も逃げた3人組を追走していた。まずは、最下層まで向かうことはわかっている。そこから2パターンの逃走ルートに分かれるものの、途中で同じ階層を通るのでどちらを選択しても見失うことはないはずだ。
肉体を持つデメリットに空間把握の大部分を視覚に頼らなければならなくなるというものもあるが、霊気の流れや感情の揺らぎといったものも悪魔特有の感覚で何となくだが察知することができる。
これらを消し去る特殊な人種も存在することは過去のデータベースとして残っているのだが、今回の4人組はそこまでの手練れではなさそうだ。
それでも、ひとりだけ反応を見失っていることが気にはなっている。
もしかしたら、3人を囮にひとりだけ逃げ出す算段なのではなかろうかとも思ったからだ。
〔ま……。その時はその時ですかね〕
ひとりも逃がさない。そこまでは執着していない。正直、4人とも逃げられても問題ないとさえ思っているのだ。
ただ、攻撃されたからには報復したくなるというものだ。
湿った皮膚が発するヒタヒタとした足音だけを響かせ、逃げた3人を追いかける。急いでいるようには見えないが、動きは機械的であり淀みなく素早い。
悪魔という存在は、負の感情を好物とする関係で人の思考を読むことに長けている。心理戦だけではまず負けない。
特に、相手が嫌がることに関しては外さない生き物なのだ。
追いかけ、戻り、別のルートからまた追いかける。
相手の逃走経路を事前に知っているはずもないのに、少しずつ追い込めている感覚が強くなっていく。
それを実感するように、相手の足音と荒くなる呼吸音が伝わるようになってきて思わずニヤリと笑みをこぼしてしまうほどだ。
相手が上に下にひっきりなしに移動するのは自分が最下層や最上層までは追いかけないからだということも理解していた。
脱出口までの距離を考え、どこに自分を誘い込めば良いのか相手もわかっているということだ。当然、そのラインも自分は把握している。
むしろ、こうやって鬼ごっこを繰り返すことで精度は上がっていくほどだ。
……しかし。
不意に遺跡全体に届く音量でピーッピーとホイッスルの音が響き渡った。
〔おや?〕
同じようなことを繰り返していたのだが、不意に笛の音が響いたのと同時だった。
最初にコンタクトを試みた時にも姿の見えない人間が警報のように鳴らしていた音と同じに聞こえる。
何事だろうかと考えるよりも、追いかけていた3人組の行動パターンがあからさまに変化したことの方が気になった。
〔誘い込んでいる?〕
笛の音に導かれるように移動を始めた行き先は完全に行き止まりだったはずだ。
躊躇したのは一瞬。
〔乗ってみますか〕
悪魔という生き物の悪い癖と自覚しながらも好奇心を抑えることができなかったという方が適切だろう。
直接姿を捉えているわけではないのだが、感覚的に最奥に4人が逃げ込んだことはわかる。
消えていたひとりが策を仕掛ける時間を稼ぐために他の3人が逃げ続けていた可能性もあるだろう。
最初に抱いた印象としては脆弱。
警戒するほどの魂の強度は感じられなかったが、気になったのは女神の匂いを強く感じた点である。
脆弱な人種であっても、女神の加護によって立場を逆転させることは珍しいことではない。
それでも、慎重になりすぎる相手ではないという自負もあった。
……のだが。
〔消えた……?〕
想定外の事態に、悪魔はただの壁を目の前に立ち尽くしてしまうのだった。
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