プロローグ ー ②

「こ……ここですか?」

 シュシュケーはワホマに連れられ王都アシュトルグランの北エリア、通称ノルグランの大通りを抜けひとつの建物にやってきた。


 5階建ての長方体。一等地から少し離れているとはいえ裏手には広大な芝生のスペースも見える。


 そこでは様々な種族の子供たちがひとりの男性を取り囲み、必死になって足元のボールを奪い取ろうとしているのだが、巧みなボールコントロールによってスルリスルリと躱されているのが見える。


 ……と、思いきや、あまりにボールを取れないからか子供たちは男性の足をガシガシと蹴り始めてしまった。蹴られている方は堪らず「痛っ」「ちょ、やめてっ!?」「イタイタイタイタイタイっ!」とついにはボールを奪われてしまった。


 それでも印象的なのは子供達がキャッキャキャッキャと嬉しそうに笑い合っているだけでなく、囲まれている男性も満面の笑みを浮かべ等しく無邪気に楽しんでいる点である。


 建物自体は高級住宅街にあって少し大きいかなと呼べる程度のものなのだが、他はせいぜいが3階建てなので飛び抜けて背が高い。材質も、周囲の建物は石やレンガ造りなのに対し、ここは何が使われているのか外観からは判断できない。


 ただ、彼が困惑しているのはソレが理由ではなかった。


 通りに面している1階部分が全面ガラス張りで、中身が丸見えだったからである。また、その内装も彼の生きてきた中では見たこともないデザインばかりであったのだ。これを見るだけで、なるほど異世界から来たというのは本当かもしれないと思わされる結果になっていた。


「初めてだと驚きますよね。1階はクランの事務所としてだけでなく、カフェとしても使っているんですよ。後、このエリアのサッカーチームである〈セッペノルグラン〉のクラブハウスも兼ねているのでサポーター、サポーターというのはファンや支援者の総称といった感じらしいです、の方もよく足を運ばれていますね。今日は子供教室をやっているみたいで、その親御さんがいらっしゃっているようです」


 ワホマの言葉の通り、中には様々な種族性別年齢の人々が詰めかけているのが見える。印象的なのは、その誰もが楽し気な表情を浮かべている点だ。何やら活発に意見が飛び交っているようだが、貴族も平民も関係なく互いに尊重し合っているように見えるのも驚きしかない。


 何が何やら、シュシュケーにはわからないことだらけであった。


「クラブハウス、とは?」

 ここは〈ジャッドナーカゴシマ〉のクランハウスだと聞いていたのだ。


「アシュトルグランの各エリアにサッカーチームが誕生して互いに競い合っているのですが、ここ北エリアを拠点に活動しているサッカーチームがセッペノルグランというのです。そして、そこの選手が裏の練習場で活動する際に使う基地みたいなものですね。選手が着替えや食事をしたり、室内でのトレーニングをしたりするのにも活用されています。

 まあ、どれもこれも冒険者にも必要な施設ですのでクランハウスと共有で使っているみたいですね。とはいえ、ギルドのトレーニングルームを解放しているので、小規模クランでありながら自前で設備を整えているのは、私が知る限りココくらいのものですが」


「その選手というのは、ここのクランの冒険者さんが?」


「いえ。他所では兼業でやっている方もおられますが、〈ジャッドナーカゴシマ〉の方は応援する方が性に合っているとかで遊び程度でしかされていませんね。スカウトや入団テスト、他所からの移籍などで選手を集めている状況です。とは言っても知識は段違いですから、他所のチームから練習方法や戦術といった相談なども受けているので、ここで有望な選手を独占しているわけではないみたいです」


 そんなことを話していると、先ほどまで裏手で子供達を相手にボール遊びをしていた人物がワホマに気づいて声をかけてきた。

 子供達相手に動き回っていたにしては息ひとつ切れていないこの男が、冒頭で登場した人物である。


「ワホマさん、いらっしゃい。そちらは新しいスポンサーさん? ではなさそうだから新しい指導者候補さん? 練習生かな? いつまで経っても異種族の人の年齢はよくわかんないなぁ」

 上下同じ配色の奇妙ながらも動きやすそうな素材で作られた服を着た、中年と呼ぶには若すぎる見た目の男性はニッコニコの表情だ。よくよく見てみると、胸元にはセッペノルグランのエンブレムの刺繍が入ったワッペンが付いている。


「おはようございます、ジャージさん。こちらのシュシュケーさんの依頼をお願いしに伺ったところです。ダビッドさんかカルカンさんはいらっしゃいますか?」


 これを聞いて、ジャージの表情はあからさまに変化する。どうやら、先ほどまでのは営業スマイルという類のものだったらしい。

「なーんだ。冒険者の方の仕事かぁ。困ったな。リーダーもサブリーダーも講習会で出かけてるんですよね」


 暗に追い返そうとしている空気を感じ取り、ワホマも先手を打つ。


「そうおっしゃらずに……。サッカー関係の依頼もお持ちしてますから」

 ジャージの反応は想定内だったらしく、ワホマは別件の依頼が入った封筒を取り出しチラリと見せる。


「さすがワホマさん、わかってるぅ。まあ、とりあえず入ってください」

 そう言うとジャージは中に入り、声を上げる。


「ぢゃんぼさーん。子供教室は終わったよー。子供達にお菓子と飲み物よろしくー。それと、ギルドからのお客さんだから、別で飲み物ふたり分お願いしまーす」

「はいよー。1階は空いてないから、2階のミーティングルームに案内しといてー。ハーレーちゃんが作業してるはずだから一緒に聞いといて。子供達はこっちで対応しておく」

「了解でーす。お願いしまーっす」

 白いシャツに紺の前掛け姿の痩身の男性が答えると、ジャージはワホマとシュシュケーを2階に案内する。



「おーい。ハーレーちゃん。邪魔するよ」


 ミーティングルームとは名ばかりで、クランメンバーのくつろぎの場となっている大部屋だ。そこでは高校生くらいの少女が何やら作業をしていた。彼女はダビッドとカルカン夫婦の娘だ。


「おはようございます。ハーレーさん。それは……確かミサンガでしたか?」

 白と紺の糸を編み込んだブレスレッドのようなものを見て、その緻密な仕上がりにワホマも感心したように問いかける。


「サッカーの試合がないとやることなくてコレばっかり作ってるからね。もう、わたしが一番上手くなってるよ。あー、早く帰って竜クエやりたい」

 にっしっしと笑みを浮かべ、出来上がったばかりのミサンガを誇らしげに掲げてみせたかと思ったら、遠くに視線を向けてしまう。


 この〈ジャッドナーカゴシマ〉のクランは、J2の鹿児島ヴォルッケモンFCを応援する傍ら自分達もサッカーやフットサルを楽しんでいた面々で構成されたメンバーが中心である。更に言えばMMORPGである〈竜のクエスト〉でも同じクランで遊んでいた仲間達で構成されているのだ。故に、互いを呼び合うのもゲーム内のキャラクター名を使っているだけでなく上下関係も年齢よりもゲーム内の序列の方が優先される傾向にあった。


 元々はチェストーナ鹿児島とモットイッド大隅という2つのチームがJリーグ参入を目指して競い合っており、それぞれにホイジャッガ鹿児島とヒットベ大隅というサポーターチームが存在していた。


 それが2チームが合併して鹿児島ヴォルッケモンFCに生まれ変わったのを機にサポーターチームも手を取り合ったという経緯がある。


 これを成し遂げたのがハーレーの父親であるダビッドの尽力であった。

 しかし、そんな偉業も、娘からするとただのサッカー馬鹿という評価でしかないのが悲しいところだ。



「はっはっは。女神様の言葉を信じるなら、オレ達がやることやってれば元の世界に帰れるだけじゃなくて、元の時間に戻れるらしいから気長に待つしかないっしょ。とりあえず、いつもの依頼から聞いておきましょうか」

 ハーレーが退屈そうに項垂れるのを横目に、ジャージはワホマに視線を向ける。


「かしこまりました。それでは詳しい条件などは書面で確認していただくとして、指名の依頼です。スタジアムグルメの相談が28件。応援グッズの相談が8件。応援に使うチャントの相談が4件。出張の子供サッカー教室の開催依頼が4件。同じく出張の大人サッカー教室の開催依頼が7件。アシュトルグラン以外ではゴーラッカとシュリルナ自治区からの依頼も届いています。私が把握しているだけでも協会に正式加盟しているチーム数は7つ、登録準備中も3チームとだいぶ増えてきましたね。他にも動きがあるところがチラホラあるみたいですし」


「けっこうな数ですねえ。リーグ戦をやっても昇格も降格もないんじゃ盛り上がりに欠けるから、チーム数が増えるのは嬉しいんですけど……。そろそろ、うちだけで処理するのも限界だなぁ」


「そうは仰られても、目標は中央大陸だけでなく6大陸にリーグを作って、最終的にはその中のチャンピオン同士が戦ったり、国の代表チーム同士がトーナメントで競い合ったりする世界規模の大会を開催することですよね?」


「まあ、そうなんですけどね。早いところ国際サッカー連盟と各国にサッカー協会を作ってもらって仕事を押し付けないと。オレ達は物語の主人公じゃなくて、主人公を応援することに生きがいを感じてる連中ですよ? 裏方の仕事が嫌いなわけじゃないけど……」


 もっともらしいことを口にするジャージだが、隣のハーレーによってぴしゃりと本題に移らされることになる。

「ワホマさん。真剣に聞いちゃダメだよ。うちの大人どもは、だいたい全員サッカー馬鹿なだけなんだから、結局は自分達がサッカーを楽しむ時間をこれ以上削られたくないだけだよ。それで? そちらの獣人さんを連れて来たってことはサッカーとは関係ない依頼? それとも、やっぱりサッカー関係?」



 こうして、冒頭の部分に戻るわけである――。

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