選挙人保険
ガミエ
第1話
春眠を阻害するようにドアベルが鳴った。雀の声のように無視するわけにはいかない。追い打ちのように甲高い女性の声が響いた。
「○○保険のものなのですが、少しお時間よろしいでしょうか」
僕が暮らしているアパートは家賃は安いがその分、機能が少ない。もちろんテレビドアホンなんてないから、直接玄関口で対応する必要がある。居留守を使ってもどうせすぐ来るし、一回きっちり断ってやろうと思う。玄関までは距離はないが、廊下に放置されているごみ袋が邪魔だ。
ドアを開ける黒のパンツスーツ姿のおばさんが立っていた。髪に軽くパーマをかけていてパンプスを履いている。小脇に鞄を持っていて、いかにも保険屋の営業だ。背が低く、こちらが見下ろす格好になる。
「どうも。貧乏学生なんで保険には入る暇はないですよ」
「そうおっしゃらずに。話を聞いてくれるだけでもいいのですよ」
「本当に金がないんです」
「それでも構わないどころか、そんなお客様に耳寄りな情報でして。今回訪問させて頂いているのは、保険の商品のモニター募集のご紹介で。こちらなのですが」
そう言って鞄から取り出したのはよく見るパンフレットではなく、栄養ドリンクが入っているような小瓶だった。
「こちらの商品は『選挙人保険』というものでしてね。本格的に売り出すのは来年を予定しているので、仮称ということにはなりますが」
選挙人保険?どういうものか全く想像がつかない。
「ええ、皆さんそんな顔をされます。この地域に住む学生さんを中心に訪問しているのですが、だいたい同じ反応ですね」
笑いながら女性は説明を始めた。
「日本の選挙において、おおよその人は義務教育で学習した通りの民主主義の理念に従います。つまり、自らの考えに近い人に投票し、個人の意思を主張するわけですね」
確かにそうだ。生徒会の選挙で僕は自分の利益になりそうなクラスメイトの柔道部の奴に投票した。女性は説明を続ける。口に染みついていて流暢だった。
「しかしながら、あるデータによると政治に関心がない人間は勝ちそうな候補者に投票するらしいのです。そしてそういう人間は自分の投票先が落選するとひどく落ち込むそうなのですね。なにも損をしていないのに。まるで……」
「競馬で負けたみたいですね」
思わず言葉が出てしまった。それに食いつくように女性は再び口を回す。
「そういう方向けに我々は商品を開発しました。当選した候補者に投票したような気分になる薬です」
女性は小瓶を目の前に持ってきた。
「この薬の作用と致しましては、結局は気分を変えるだけでありまして、過去の行動が変わったわけではないのですよ。ですから非常に使いどころを選ぶのでして。投票をゲームとしてとらえている方々に使えば社会的に悪用もされず、騙されていることにも気づかず、人々の幸福の総和も上がり、社会がより幸福に近づくというのがわが社の考えですのよ」
「なかなか面白そう。つまり、近々ある選挙でこれを使って薬のテストをしてほしいというのがあんたが来たわけか」
「おっしゃる通りです。政治的信条がおありになったり、すでに投票先が決まっているようでしたら、もちろん断っていただいて構いませんが、どうでしょう?ご契約なされます?」
「面白そうだし、別に俺一人が投票先を変えたところで大勢は変わらないだろう。契約するよ」
「有難うございます。では泡沫候補のリストがありますので選んで投票していただいて、その後発表を見て落選を確認して薬を飲んでください。服用時の感想を後日郵送するシートに記入して、同封の返信用封筒にてまた郵送していただくという感じです」
「なるほど、で謝礼は?どれくらい?」
「この程度を。シートの郵送が確認できれば振り込みますので」
大体ひと月アルバイトで稼ぐくらいの金額だった。
「では、サインを」
僕は強くボールペンで自分の名前を書いた。
数日後、もらったリストから一番当選可能性が低い一人を選び投票した。選挙カーが走っているのもビラも見たことないし落ちるだろうな。
投票所からの帰り道、候補者ポスター看板の横を通り、泡沫候補がくせが強く大きくうねる長髪の男であることを初めて知った。
薬の効果が楽しみだ。
***
両目が書かれた達磨を脇にかかえて、長髪の男が一人で飲んでいる。周りには誰もいないが悲壮な雰囲気はなく、むしろ余裕が伺える。
部屋に保険の営業の女性が入ってきた。ブラウスの第一ボタンをしなやかな指のタッチで外しがら男に近づき、隣に座る。
達磨を放り女性を見つめ男は口を開いた。
「まさか、こんな方法で当選するとはね」
「今の時代選挙カーや駅前で演説なんて古いですよ」
「その通り。政治家たるもの頭を使わねば。しかし、薬の効果は本物だし、謝礼は払っちまうし、俺も大盤振る舞いだな。ガハハハハ」
「さすがはセンセイ。ウフフ」
選挙人保険 ガミエ @GAMIE
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