第44話
アルディオンにも本格的に夏が来た。暑いし雨も降るが、日本より湿度が低いお陰で過ごしやすい。
ルーカスの勧誘の甲斐もあり、あの初訪問以来ヒロの課外活動はワイバーンの研究に決まった。ワイバーンの飼育は他に誰もやっていない事だったし、動物の世話をするのは楽しかった。
ここ最近は放課後になると、ヒロは毎日、飼育棟でワイバーンの世話をしている。当初は異質に思えた巨大建造物も、毎日通っている今ではすっかり見慣れてしまった。
研究と称してはいるがやっていることは、キャットと名付けたヒロにばかり懐くワイバーンに餌やりをしたり、身体を掃除してやったりするくらいだ。
もう一匹のワイバーンは少しも懐かないが、どうにかこうにか餌を何度か食べさせることができた。
当初ワイバーンは肉食だと考えていたが、狼と同じで雑食だった。葉物野菜も根菜も食べる。ほとんど動かないせいなのか、食はあまり太くない。
七月に入ってすぐのある日、キャットが外に出たそうにしていたので、檻の外の大ホールに出してみた。飛びたがるかと思っていたが、ただ周囲をのそのそと歩き回るだけだった。
そんなただの散歩を続けて二週間。それだけの時間が経っても、少しも飛ぶ様子を見せないキャットをヒロが散歩させていると、どこか見覚えのある男性と少年が連れ立ってやってきた。
ヒロは男性の顔をしばらく眺めていたが、彼が誰なのか思い出すと、突然大声を出した。
「あ、あの人。名前なんだっけ、超有名な人だ!」
「はは、ヒロってのは君か。その言い方はちょっとどうかと思うが。アレハンドロ・クエルダだ。よろしく」
「あ、ごめんなさい、アレハンドロさん…… だってアレハンドロさんと言えば、みんなの憧れですよ。そんな人が突然目の前に来たので、つい。失礼でしたよね、ごめんなさい」
「だってよ、ディエゴ。ヒロを見習って、お前も少しは俺を尊敬しろよ」
「嫌だよ。だって会うたびに勉強しろしか言わないし。オレにとっちゃ、ただのうるさいオッさんでしかない」
オッさんという程の年ではないだろうとヒロは思ったが、ヒロよりもいくつか年下に見えるディエゴと呼ばれた少年からすれば、アレハンドロもオッさんに見えるのだろうか。
「まったく、お前がワイバーンを見たい見たいって言うから、一緒に連れてきてやったのに」
「ホントは自分が見たかったくせにさ。オレはただの口実だろ」
「お前ってやつは、本当に口だけはよく回る。それにしても凄いな。ワイバーンの散歩か」
「はい、このワイバーンはキャットって言うんですけど。キャットだけは、俺に懐いてくれたみたいで。一緒に歩いてくれるようになりました。アレハンドロさんは、ワイバーンに興味が有るんですか」
「キャットか、図体に似合わず可愛らしい名前だ。ああ、そりゃ興味は有るさ。ルーカスが狼を手懐けてるのにも驚いたが、ワイバーンを散歩とはな。この前まで餌付けすらできなかったんだ。飢え死にさせてしまうんじゃないかと心配していたが、杞憂だったようだ」
「乗れたらすごい楽しそうだよね」
アレハンドロの話が終わる前に、傍の少年ディエゴが大きな声で食い気味に言った。
「そうだろ、ディエゴ!」
ディエゴの幼い感じの感想に上機嫌で同調するアレハンドロは、日本に暮らしている時に画面を通して見ていた、あの格好良いスターとは違った顔をしていた。
「そりゃそうだよ。だって、すごい格好良いじゃんね」
「よし、ディエゴ。お前もヒロを手伝ったらどうだ。俺が特別に許可が出るようにしてやる。これからの任務は、できるだけワイバーンを捕まえられるようにするし」
「そしたらワイバーンだらけになっちゃうじゃん」
「それ良いな。ガード全員がワイバーンに乗ってたら凄くないか?」
アレハンドロの最後の言葉をきっかけに、三人はワイバーン談義で大いに盛り上がった。
ワイバーン愛好家として、その場で三人は意気投合した。いずれワイバーンに乗って三人で空を駆け、世界中を旅しようと話し合った。
その翌日からはディエゴもほぼ毎日、手伝いに来るようになった。ヒロはディエゴを見た事がなかったが、見かけなかったのは十二歳という年齢制限のため、まだ彼がスクールに通っていないからだった。一つ二つ魔法は使えるが、当面はガード候補生にもならず、地元の子供と同じ学校に通い続けるようだった。
魔獣の世話係が三人になると、魔獣たちのQOLが格段に向上した。
放課後は、まず三人で狼たちの世話をする。動きも活発で数も多いので三人でたっぷり散歩をし、餌を用意し、一気に片付ける。
散歩といっても単純な散歩ではなく、一緒にじゃれたりもするので、運動量が増えた。餌はバリエーションが増え、一頭一頭細かく量を調整できるようになった。片付けも短い時間で終えられるので、毛繕いや檻の掃除に費やす時間を増やすことができるようになった。
狼の世話が終わるとルーカスを残して、二人はワイバーンがいる静かな檻に向かう。餌は毎日変えてやるが、一週間に一度食べるか食べないかなので、ほとんどの場合は、そのまま残っている。
一月が経ち、二月が経った。ワイバーンに乗れたら格好良いじゃんね、と言っていたディエゴの期待も虚しく、それが実現する気配は一向になかった。
騎乗するどころか、ワイバーンという生き物は、人が触れることを滅多に許さない。キャットの散歩も本人の気が乗った時だけ、それ以外は檻の奥でじっとしている。
気性が荒いのかというとそうではなく、人間の存在をまるで意に介していないようで気が向いた時だけ動いて、食事を摂る。あまり動かないから食事量も少なく、必然的に排泄物も少ない。そう言う意味では飼うのは楽だが、飼育方法の知見が深まることもない。
それでも、ヒロとディエゴはめげることなく甲斐甲斐しくワイバーンの世話を焼いていた。ルーカスはあまりに動かない彼らにすっかり興味を失って、近頃では檻の前にも来なくなった。
アレハンドロは、初めてディエゴと来たあの日以降、一度しか飼育棟に顔を出していない。
任務が途切れることなく、全く帰国できなかったそうだ。そう言われると、リカやアレックスの顔も見かけていない気がする。ガードは皆、忙しいようだ。
全く帰国できないくらい、数多くこなした任務だったが、そのどれにもワイバーンは姿を見せず、収穫はゼロだった。
新しくワイバーンを連れてこられなくて悪かった、アレハンドロはヒロとディエゴに謝った。
現状では、飼育頭数が増えたところで何か進展があるように、ヒロには思えなかった。だからヒロは全く気にしなかったのだが、ディエゴは、使えねぇだの老眼で遠くに飛んでるのが見えなかっただけじゃねぇのだの、言いたい放題の悪態をついていた。
そんな悪態をつく悪ガキもアレハンドロにとっては可愛くて仕方ないようで、怒りながら笑って戯れあっていた。
その日は一日中、アレハンドロは飼育棟にいてワイバーンを眺めて過ごしていた。
忙し過ぎて死ぬな。檻の前で座りながら、そうこぼすスーパースターは全くキラキラしていなかった。
アレハンドロは、それきり寒さが厳しくなるまで姿を現すことはなかった。
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