第43話

 魔法の授業ではストレスを溜めがちなヒロだったが、身体を思いっきり動かせる戦闘術の授業は楽しくて仕方なかった。

 『身体強化』の魔法を一度掛ければ、背丈の倍程度の壁なら軽く飛び越えられるし、掴むところさえあればどんなに高い壁だろうとトップクライマー顔負けのスピードで登れる。少しくらい高い所からなら飛び降りたってかすり傷一つできないし、受け身さえ取れればビルの五階からだろうが涼しい顔をして降りられる。

 何かしらの現象を引き起こそうとすると魔法は地味になりがちだが、自分の能力を引き伸ばす魔法は効果も分かりやすいし、なにより単純に気持ちが良い。

 ヒロは元々、並程度の運動神経しかない。そんなヒロですら常人離れした動きができるのだから、大柄で手足も長く運動が得意なルーカスが駆け回る姿は、まるでトップダンサーが巨大な舞台で踊っているように人目を引いた。

 ヒロはその背中を追い掛けながら走るのが、毎回楽しみだった。


 準備運動代わりの周回走を終えると戦闘術の授業が始まる。

 基礎的な型を一通り覚え終わると、ヒロは武器を扱う訓練にも参加を許されるようになった。

 隣のクラスとも合同で行う授業なので、様々な相手と組手をする。ヒロはそれに少し苦手意識があった。

 ヒロたちのクラスは、中心にはルーカスがいるが、良く言えば平等で民主的、みんなとにかく自由に過ごしている。だが、隣のクラスは、一人のリーダーがきっちり纏め上げていて、みんなどこか表情が固い。

 そのリーダーは、指導力はあるのかもしれないが、態度や振る舞い言葉遣い、全てが偉そうで、ヒロはそれが好きではなかった。

 相手にもそれが伝わるのか、ヒロのことが気に食わないらしい。事あるごとにヒロに頼んでもいないをしてくる。

 曰く、ガードとしての自覚が足りない、民衆の模範となるには肉体、精神両面での鍛錬が足りないのだそうだ。ガードは民衆を守る為に神が遣わしたもの、つまり真の選良である、という認識らしい。

 そんな狂信的で押し付けがましいアドバイスに、ヒロが少しでも口ごたえしようものなら、精神的に幼いから指摘を受容し反省することすらできない、などと重ねて指導される始末で、うんざりしていた。


 型の講義を終えて、初めて組み手を行うというその日に、ヒロはそいつの相手をすることになった。

 経験の差もあり、ヒロは相手にならなかった。組手なのに、手加減も容赦もなくボコボコにされた。

 身体強化しているから、木の棒で殴られたからといって大きな怪我はしない。だが、武器攻撃に織り交ぜて殴る蹴るをしてくるので、それが痛い。お陰で、身体のあちこちにアザができ、腫れ上がった。

 これが実戦用の武器だったり、魔法だったりしたらどうなってしまうのかと、ヒロは恐怖すら感じた。

 組み手という形式を取った、一方的で意味の分からない指導が終わってヒロが蹲ったままでいても、お隣のクラスのリーダーはヒロを助け起こそうともしない。ヒロの方を向くこともなく、一言呟いた。


「神の恩寵を受けておきながら、努力を怠るなど決して許されるべきではない」


 一理はなくはないかも知れなかったが、初心者相手に手加減なしで組手をするような奴が言うことだろうか。とにかくいけ好かないヤツだ、ヒロは歯を食いしばった。


「ねぇ、大丈夫」


 ボコボコにされたヒロの元に、大柄な女の子が近寄ってきて言った。初めての魔法の授業の時に怒られていたあの女の子。最近、午後の授業中によく目が合う女の子だった。


「クリストファーもよくやるよね、君みたいなまだ慣れてない新人さんに。かわいそう」


 かわいそう。女の子に言われて、ヒロは反発したい気持ちを覚えたが、本当に心配そうに自分を見つめてくる彼女と目が合うと、何も言えなかった。と、ヒロの前に魔法陣が浮かぶ。彼女が小さな声で呪文を呟いてから、痣のできた部分を優しく撫でると、ヒロの痛みが和らいで、腫れも少し引いていくようだった。


「ありがとう。でも、かわいそうって言うのはやめてくれよ。今回はやられたけど、そのうちやり返してやる」

「やり返しちゃうんだ。ヒロって、結構タフなんだ。楽しみにしてる」

「え、なんで名前……」

「私、ヘゲ。回復魔法なんて、あんまり得意じゃないんだけど。ちゃんと効いてる?」

「うん、どこも痛くない。本当に回復魔法得意じゃないの? もう治ったっぽい。ありがとう」

「どういたしまして。気持ち込めてると効き目が違うのかも」

「え?」

「それじゃ」


 ヒロが向けられた言葉の意味を受け止める間もなく、ヘゲは去っていった。びっくりした表情のまま、傷の消えた腕をさすっているとルーカスとキムがやってきた。


「ヒロ、大丈夫か? あっちから見てたけど、ずいぶん酷くやられてたな」

「もっとしっかりしなさいって言いたいところだけど、あれは無いわ。クリストファーのやつ、クラスまとめる為にアンタのこと使ったのよ。いつもはノブレスオブリージュ、ノブレスオブリージュ言ってるくせに、自分の力を誇示する為にわざわざ弱いヒロに厳しく当たるなんて、一体何がノブレスオブリージュなわけ? 頭に来るヤツ」

「ノブレスオブリージュ?」

「あんた、ノブレスオブリージュも知らないの?」

「あ、いや言葉の意味は知ってるけど、クリストファーってヤツとどう関係するのかってこと」


 ヒロが言葉の意味そのものは知っていると分かって安心したようで、キムはよりキツくなりかけていた表情を緩めた。


「クリストファーって、イギリスの貴族なんだって。ビーチャム家とかいう古い家柄らしくて、貴族でガードになったというのも神のお導き、私が若きガードたちを率い人類の盾とならなくてはならない。とか、勝手に言い出してて。うちのクラスまでは影響してこないけど、隣のクラスはあいつ中心に回ってる。口だけならまだ良かったんだけど、妙にリーダーシップがあるみたいで、着いてく子もそれなりにいるんだよね。私から見れば、ただの自信過剰なヤツに過ぎないけど」

「へえ、そうなんだ。キム、お前なんでそんな詳しいの」


 隣のクラス事情を詳しく語るキムに、ルーカスは感心して言った。


「当たり前でしょ。あいつ、この前まではうちのクラスにもちょっかい出してこようとしてたじゃない。ルーカスが前にアイツと組手で普通に渡り合って以来、何もしてこなくなったけど。もしかして気付いてないの?」

「いやぁ、あいつ強いよな。俺も負けてらんねぇ、とは思ったよ」

「うん、何も気付いてないのは分かった。で、何の話だっけ、ヒロ」

「クリストファーとノブレスオブリージュの話だけど、もうなんとなく分かったからいいや。アイツは高貴な生まれで、ここでもそれに相応しい感じになろうとしてると。で、今日は俺をダシにしたと。あいつムカつくな」

「珍しいな、お前が怒るなんて。仕方ないよ、ヒロはこの間来たばっかだからな。練習とはいえ、組手は実戦を想定したものだから、本気にならなきゃ意味ないしな。まあ、慣れてくれば、いけるいける」


 ルーカスはヒロの為に怒ってくれるでもなく、のんびりした口調で言う。あまりのんびりしているので、ヒロは怒りのやり場を失くして、拍子抜けしてしまった。


「ところでさ、キム。あのヘゲって子は誰なの?」

「ヘゲ? 隣のクラスの子だけど、なんか独特な感じの子。クリストファーに全然従ってないんだけど、組手も強いから放っておかれてる。ミズ・リウにはしょっちゅう突っかかってるけど、魔法の覚えも悪くない。一人でいる事も多いから、ちょっとよく分かんない。アンタ、ああいう子が好みなの?」

「いや、違うし。俺は日本にいるミクって子が。っていうか違うし」


 何が違うんだよ、ヒロの言葉にキムとルーカスは笑い合っている。

 クリストファーとの一件で闘争心を掻き立てられたヒロは、それ以降、より一層熱心に授業を受けるようになった。

 ヒロが積極的に教えを乞いに来るので、教師のパーヴォは大喜びだった。

 最初にこてんぱんにされてから、週に一度はクリストファーに挑んでは負け続けている。その差は徐々に縮まっているような、そうでもないような。

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