第42話

 ヒロがアルディオンに来てから一ヶ月が経っていた。六月になって、雨の日が多くなってきた。雨は降るが日本の梅雨ほどジメジメとしていない。周囲の緑が日に日に濃さを増し、夏の到来を感じさせた。

 スクール生活にも慣れてきたヒロは、体調を崩すこともなく順調な日々を過ごしている。

 新しい魔法もいくつか憶えた。ただ、それは地面を少しだけ盛り上がらせる『土塊』や、空中に光る球を浮かべる『光球』といった、魔法陣が一層だけで発現する魔法だけだった。覚えたての頃こそ感動したが、慣れてしまえば大した面白味もなく、ヒロは物足りなさを感じてもいた。

 覚えた魔法の中では『火花』が一番見栄えがする。ある程度使いこなせるようになって、今では量も方向も距離も思い通りにコントロールできる。ただし、それは所詮、火花でしかない。

 焚き火をする時の着火剤くらいにはなるので、人としては凄い。およそ人間離れしている。してはいるが、そもそもヒロが思い描いていたのは、そういうものではなく、あたり一帯を燃やし尽くすゲームに出てくるようなド派手な魔法だった。

 だが、今のところそんな魔法を使っている人は見たこともない。キムはおろか、ミラやミズ・リウですらそんな魔法は使っていない。キムが『氷刃』で鉄板に穴を開けているのを見たが、それが最も威力がありそうな魔法だった。

 ビジュアル的には二層の魔法陣の『氷刃』で拳数個分のサイズ。ゲーム内のような周囲全体に効果を及ぼすような魔法、仮にそれが使えたとして、魔法陣は何層必要になるのだろうか。それは、どれだけの魔力を必要とするのか。想像しただけでヒロは胃がムカムカしてきた。

 もっともミズ・リウに言わせれば、基本的な魔法を自らの意図するとおりに、状況に合わせて使いこなすことこそが技術であり熟練だそうだ。

 初日に怒られていた背の高い女の子も、ヒロと似たようなことを考えたのだろう。ミズ・リウに強力な魔法を教えてくれと訴えると、「見た目を派手にしたいだけならば、ハリウッドに行きなさい。その方が早いから」あっさりそう返されていた。

 とはいえ、やはり派手な見た目の魔法を使えるようになりたい、そんな諦めきれない思いを抱えながら、今日もヒロは研究兼練習に励むのだった。

 効果が微妙かどうかに関係なく、どんな魔法でも魔力は普通に消費する。魔法の授業が終わる度に、ヒロの頭は痛み、倦怠感が身体中に広がった。

 大きな希望を抱いて、遥々アルディオンくんだりまでやってきたのに。ヒロは失望を重ねるのに比例して、愚痴をこぼす回数が増えてきていた。

 ある日の魔法の授業中、そんなだらしないヒロを見かねて、キムが口を出してきた。


「アンタ、グダグダ言ってるの」

「え、いや、ちょっと飽きてきたかなって」

「何が」

「魔法が」

「なにアンタ、もしかしていきなりこういうことができるとでも思ったわけ?」


 言うが早いか、キムの前に三層の魔法陣が浮かび上がる。


「『氷刃』」


 ドン、と大きな音がしたかと思うと、キムが手を伸ばした先にあったブロックが弾け飛ぶ。

 周囲の生徒がそれを見て、ざわついた。


「キム、お前。恐ろしいことするな」

「なにその反応。アンタもこういうことがしたいんでしょ。凄いでしょ。褒め称えなさいよ」

「凄いよ。凄いけど、そんなに自画自賛されると褒めづらいよな」


 ヒロは冷静を装って軽口を叩いたが、内心では驚いていた。三層の魔法はついこの間まで、ミラしか使えなかった。ヒロが魔導書に誓いを立てたあの日、キム自身がそう言っていた筈だ。それをこの短期間で彼女は体得している。


「魔法を使うには、とにかく慣れと魔力が大事なの。毎日限界まで魔法使ってみなさい。でも、ただ闇雲に使ってもダメ。ちゃんと魔力の流れ方や発現の仕方を意識して、どんな風にそれを実現させるか想像しながらやることね」

「闇雲にじゃなく、魔力の流れを意識して、か。ありがとう」

「ありがとう? ありがとうだけ? そんなことより、何か気が付かない?」

「え? 『氷刃』だろ。この前もタラスさんたちの前で使ってた…… あれ? あの時は同じ『氷刃』でも二層だった。なんで三層なんだ」

「やっと、それ。まあ、自分で分析してみなさいよ」

「なんだよ、偉そうに」

「偉そうにじゃないでしょ。こっちが毎日、放課後も魔法の研究してるのに、アンタがのんびりペットと遊んでばっかりいるから心配してあげてるの。アンタたちがサボってると、いつまでもガードとして活動できないんだから、しっかりしてよね」

「ペットと遊んでるって、お前。俺たちのだって立派な研究だし」

「は? 口答えするわけ。せっかく人が好意でアドバイスしてあげたっていうのに。それにね、アンタにお前呼ばわりされる覚えはないんだけど」

「頼んだわけでもないのにわざわざアドバイスとかさ。そういうの、ただのお節介って言うんだよ。そっちこそ、アンタ呼ばわりすんな」


 二人がギャアギャア騒がしくしていると、ルーカスがやってきた。


「まあまあ、これからずっとやっていく仲間なんだからさ。仲良くしろよ」

「だってコイツ、俺たちの研究を遊びだって」

「コイツって何よ。そもそもルーカスが変な事教えるからいけないんでしょ。ただでさえ後から入ってきて遅れてるコイツに余計なことさせて」

「あ、お前、今コイツって……」

「ああ、二人とも分かった分かった! もういいから、授業終わるぞ」


 ——分かってない!


 ヒロとキムは声を合わせて言った。あまりにも綺麗にハモってしまって、二人の間には気まずい空気が流れる。

 

「あなたたち、何をやっているのかしら?」


 ルーカスの後ろから、冷たい声が響き渡った。


「人が密集した場所で三層の魔法の行使? キム、あなたが魔法の才能に恵まれていて、努力もしているのも知っている。それでも、今の行動は自分の力を過信しているのではなくって」


 優等生のキムがミズ・リウにじっくりと叱られている。はじめはザマを見ろと思っていたが、段々と申し訳なくなってきた。

 タイミングを見計らって、ヒロは二人に割って入った。


「あの、ミズ・リウ違うんです。僕がなんていうかくだらない愚痴を言っていたものだから、キムは励ますというか、そんな感じで……」

「あんたに庇ってもらう必要なんてないから。私が少し焦ってた。ミズ・リウ、あなたの仰るとおりです。私が油断していました、申し訳ありません」


 キムがキッパリと謝罪したので、ミズ・リウは納得したようだった。

 ヒロはなんだか気まずい思いをしたまま、その日の授業の終わりを迎えた。

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