第41話

「ワイバーンに乗れるの!?」


 そのあまりの食いつきように、ルーカスは少し引いていた。


「今の段階じゃ何とも。とにかく懐かねえんだよ。ていうか、ヒロは先週ワイバーンにも襲われたんだろ? 狼にあんだけビビってたのに、こっちは怖くないのか」


 ヒロは先週のことを思い出す。確かにあの時は怖かった。でも、ここに来てるってことは、きっと人を食べたりはしていないのだろう。それに、空飛ぶ動物に乗れるなんてことを聞いてしまったら、乗らない手はないじゃないか。

 あまりそっちに行くな、というルーカスの注意も聞かず、ワイバーンに乗るにはどうしたら良いのか、どうやったら懐いてもらえるのか、考え事をしながら、ヒロはどんどん壁伝いに歩いていく。

 三つ先の檻の中のワイバーンは蹲ったまま動かない。その檻を通り過ぎ、ずらりと並ぶ檻の前をさらに一つ二つ進む。

 と、ヒロの左頬に生暖かいものが触れた。

 え? ヒロが自分の頬を触って何事か確かめようとすると、視界の端に赤い物が揺れ動いているのが見えた。


「不用意に近付くなって! いくらガードが怪我しないからって、何があるか分からない。慎重に行動しろ。って、聞いてるか」


 ルーカスが大声で呼びかけてくるが、ヒロは返事もできない。

 ヒロの左側、鉄格子を挟んだ向こう、すぐそこにワイバーンの鼻先があった。

 そのワイバーンの瞳は金色で、猫の瞳と形がそっくりだ。身体全体が暗い灰色をした鱗に覆われている中で、瞳だけがキラキラと輝いていた。

 ワイバーンは瞼を閉じると、ヒロに撫でろとでも言うように数回頭を上下させた。ヒロが鉄格子の間から手を差し入れて、恐る恐る頭を撫でてやると、そのゴツい見た目に似合わない少し高い音で、グクゥと気持ち良さそうに唸る。

 駆け寄ってきたルーカスは、その光景を驚いた顔で見ている。

 ヒロはなおもワイバーンを撫で続ける。ヒロの目は緊張と興奮で潤んでいた。冷ややかでスベスベしているが、鉱物とは違ってその手触りはどこか生命を感じさせる。

 やがてワイバーンは満足したのか、少し頭を持ち上げると挨拶でもするかのように上下に揺らした。ゆっくりとヒロに背を向けると、檻の奥へと引っ込んでいった。


「おい、ヒロ。お前何やったんだ? 魔法でも使えるのか?」

「魔法? まだ使えないよ、ほとんど」

「いやあれだ、そういう駄洒落みたいなことじゃなくて。なんて言うか、魔獣に対して特別な何かをしたのか?」

「何もしてないよ。なんだろう、あのワイバーン、この前東京で俺たちに向かって火を吐いてきたあいつな気がする」

「なんか関係あるのか、それ」

「分かんない」

「なんだそれ。とにかく、今みたいなことはやめてくれよ。狼と違って、ワイバーンの事はまだ全然分かってないんだからな」

「えぇ、ダメなの。すごく可愛いかった。また明日来たい」

「来ても良いけど、しばらくあいつに触るのはダメだ」


 それからしばらくヒロは、ルーカスのお小言を聞かされて、渋々ながらもワイバーンとの接見禁止を受け入れた。

 狼たちの食事の時間だというので、ルーカスに連れられて巨大空間の入り口脇にある調理室に入ると、二人で狼たちの餌の用意を始めた。

 ルーカスは手際良く肉をカットしていく。ヒロも手慣れた手つきで野菜を大きめにカットする。


「ヒロって普段から料理するのか」

「うん。うちも母子家庭だって話はしただろ。で、母さんの帰りがしょっちゅう遅くなるからさ。お腹が減って仕方なく料理するうちに、普通に作るようになった。それより、ルーカス。そんなに上手く包丁使えるなら、家でも料理すれば良いのに」

「いやいや、これは切るだけだからな。料理っていうのは、火加減とか味付けとかあるだろ。それに俺は母ちゃんの作る料理の味が好きなんだよ。だから、これからも作らない」

「ふぅん。その謎のこだわり、っていうかマザコンぽいところ、俺にはよく分からないけど。ところで玉葱って、大丈夫なの?」

「マザコンとか言うな。別に玉葱は大丈夫だけど、なんでだ」

「だって、犬って玉葱食べると大変なことになるんだろ」

「ああ、それか。この狼は見た目こそ似てるけど、犬とは全然違うから大丈夫だ。ずっと上げ続けてるけど、体調を崩したことは一回もない」

「そっか。ならいいんだけど」

「よし。こんなもんか。俺は肉持ってくから、ヒロは野菜持ってきてくれ」


 二人はカットした餌を大きなトレイに乗せ、それをワゴンで狼の檻の前に運んだ。トレイを五つの檻の中に押し入れると、狼たちはガツガツとそれを食べはじめた。食べる様子は犬とあまり変わらない。もっとも、そのスケールは全然違ったが。

 狼たちが餌をきれいに平らげると、二人はトレイを回収して調理場に戻った。トレイや調理器具を洗って、全ての片付けが終わると、午後七時になろうとしているところだった。


「じゃ、帰るか」

「うん」

「どうだ、楽しかったか」

「うん。とっても」

「それは良かった。明日も手伝ってくれるか?」

「そうだね。ワイバーンの面倒見させてくれるなら」

「いや、だからそれはしばらくはダメだって」

「だって、見たよね? 俺に懐いてるところ」

「そうだけどさ。それこそ、さっきヒロが言ってたライオンと一緒で突然野生に帰るかもしれないぞ」

「大丈夫、大丈夫」

「お前…… なんだその根拠のない自信は」

「あいつに限って襲ってくることなんてない。なんか分かるんだよ。ところでさ、名前って決まってるのかな」

「名前って、ワイバーンのか。決まってないけど」

「じゃあ、キャットにしよっかな」

「する、ってもう決まってるのかよ」

「だって猫みたいに綺麗な金色の目だったから」

「分かった分かった、好きにしろ」

「ルーカスが話が分かる奴で良かったよ。ありがとう、これから研究よろしく」

「好きにしろって言ったのは、名前のことだよ。明日は餌になりそうなものを一つ二つやるだけだ。急がず、少しずつ慣れさせるんだ。約束できるか?」

「分かったよ。約束する」


 ルーカスは我が儘だが憎めない弟を見るような目でヒロを見て、諦めたように首を竦めた。


「さ、とっとと帰ってシャワー浴びて飯にするぞ」


 二人は来た時と同じで眠そうにしているセルゲイに挨拶をして、飼育棟を出た。飼育棟の白い外壁は傾きはじめた陽の光を浴びて、ピンクがかって見えた。薄暮の中を二人は寮へと帰った。

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