第40話

 ドアを開けて入って、わずか数歩。ヒロは壁面の鉄格子の奥に黒く大きな狼の姿を見つけた。


「ルーカス! あれって、この前俺たちを襲ってきたバケモノじゃないか。早く退治しないと」


 叫ぶヒロをルーカスがなんとか落ち着かせる。

 人の味を知らない状態で捕まえた魔獣なら、きっちり躾ければ犬と同じように懐く。懐く筈だと、ルーカスは言った。

 というのはなんだとヒロが問い返すと、ルーカスは自分が身体を張って観察中なのだと答えた。


「人の味を知らないって言ったけど、やっぱり食べようとするんだろ。俺、人が丸呑みされるの見たんだよ。目の前で。つい最近。そんな恐ろしいバケモノを生かしておくなんて、気が知れない」

「そりゃ自然の動物と同じで、人間が躾けなければそういう行動にも出るさ。でも、こいつらはデカいだけあって知能もそこらの犬より全然高い。ちゃんと面倒見てやれば、懐くやつもいるんだ。ヒロも興味があるんじゃないかと思って連れてきたけど、やっぱり怖いか?」

「そりゃ、怖いよ。襲われたのって、つい先週だよ、先週。ライオンなんかは懐いたように見えても何かの拍子に野生が戻ってきて人を襲うことがあるじゃないか。こいつらだって、どうせ同じだよ」


 ヒロのそんな言葉を他所に、ルーカスは檻に向かって歩いていく。

 狼は一度伸びをすると、檻の隙間からルーカスに向かって鼻先を差し出した。


「ほら、こんな感じさ。犬みたいで可愛いだろう。しっかり躾けてやれば、ライオンなんかよりよっぽど行儀が良いさ」


 ルーカスは喋りながら、狼の鼻面を撫で続けている。


「それにこいつらが襲ってきたところで、俺たちガードには傷一つつけられやしない。だから安心しな。身体強化の魔法は、まだ掛かってるだろ? そしたら、大丈夫さ。こっち来て頭撫でてみろよ、可愛いもんだぜ」


 怖かったけれど、ヒロは檻に近付いた。ルーカスに根性なしだとは思われたくなかった。精一杯の虚勢を張って平静を装いながら近寄ってみる。

 なんだか獣臭い。

 狼はヒロの方を一瞬ジロリと見た後、彼にも鼻面を差し出してきた。

 間近で見るのは初めてだったが、頭だけでもヒロの体と同じくらいの大きさがある。その迫力に内心怯えながらも、ヒロは思い切ってワシワシと狼の頭を撫でてやった。

 こういう時には中途半端が一番いけない。可愛がるという姿勢を全面に押し出して、自分はビビっていないということを獣にも知らしめてやらなければいけない。とにかく気合いだ。そう思って、ヒロは体全体を使って大袈裟に狼を撫でてやった。


「ヒロ、なんだよ、随分慣れてるじゃないか。犬飼ってたのか?」

「いや、飼ったことないよ。昔犬飼ってる友達がいて、そいつの家でよく遊んでたくらいだよ」

「はは、そうなのか。随分と慣れてるように見えるけどな。こいつはオレがずっと面倒見てきたから、特別人懐っこくなったんだ。あっち見えるだろ? あっちの二頭は先週日本から連れてきたやつだから、もう少し落ち着くまでヒロは近づかない方が良い」


 ルーカスが指差した先には、檻の中を落ち着かない様子でウロウロしている狼が二頭いるのが見えた。あまりの忙しなさに、ヒロは不安を覚えた。


「これってなんで閉じ込められてるの? 魔獣だっけ。こいつらって、こんな檻なんかすぐに壊せそうだけど」

「ああ、それな。ここの檻とか壁に魔力を吸収する仕掛けがしてあるんだよ。それに触れるとごっそり魔力をもっていかれるから、気を付けろよ」

「へえ、そんな仕組みがあるんだ」

「っても、それを作れるのはタラス様だけだけどな」

「ふうん、やっぱり教主様は凄いんだな。ただの元気なオッさんかと思ったけど」


 ヒロの少し毒のある言い方に、ルーカスは笑った。


「そういえばさ、飛行機の中で誰だったっけな。コンラッドさんて言ってたかな、誰かが捕まえたって言ってた気がする。ドラゴンていうか、ワイバーンて言うの? それもどこかにいるの?」

「そうなんだよ、この前の日本遠征は大成功だったんだよ。ワイバーンも捕まえて。エスペランサの隊って、本当に凄いよな。あんな飛んでるのよく捕まえるよな。今回で二匹目だぜ」

「二匹目か。こんなに馬鹿デカい施設だけど、まだあんまりいないんだ」


 ヒロは周囲を見回しながら言った。鉄格子は、巨大なドーム状の空間の壁伝いにずっと先まで続いている。


「ここは最近やっとできたんだ。中身は全部完成してる訳じゃないけどな。取り敢えず飼育棟だけがやっと、って感じだな。ようやく生きたまま魔獣を捕獲して、生態を研究できるようになってきたんだ。よく懐いてるこいつだけは、かなり前からオレの倉庫で飼育してたんだけどな」

「何それ。ルーカス、マイ倉庫持ってるの?」

「この間まで、ここのそばにあったんだけどな。必要なくなったし、ボロかったしで壊した」

「そっか。こいつらって全部でどれくらいいるの」

「狼が五頭で、さっき言ったとおりワイバーンが二匹。ワイバーンはもう少し先にいる」


 狼は犬が巨大化しただけだと考えれば、想像の範囲内といえば、範囲内の生き物だ。

 だが、ワイバーンはそうじゃない。正真正銘ファンタジーの産物だ。そんな空想上の生き物がすぐそばにいると知って、ヒロのテンションは急激に上がった。


「ルーカス、ワイバーンをじっくり見たいんだけど…… ダメかな」

「なんだヒロ、急に。ああいうの好きなのか?」

「うん、まあね」

「だけど見るだけだぞ。撫でようとかするなよ、危ないから」

「大丈夫だって、ルーカスもさっき言ってたよね」

「まあ、そうだけど。なんだよ、急に前のめりだな。でも、見るだけだぞ」

「分かってる、分かってる」


 狼用の倍はありそうな檻の前まで行くと、ワイバーンが部屋の奥で丸くなっているのが見えた。薄目を開けてヒロを見た気したが、気のせいだったのだろうか。しばらくじっと観察していたが、微動だにしない。


「狼と違ってな、あまり懐かないんだよ。餌は時々は食べるんだけど、その時くらいしか動かない。何回か檻の外に出そうとしたんだけど、ほとんど動こうとしないから、体調が心配でな」

「なんかバケモノを心配するなんて変な感じだね。こいつらの仲間が人を殺してるわけでしょ、別に死んだっていいんじゃないの」


 ルーカスはしばらく黙っていたが、ようやく口を開いた。


「まあ、そう言う人たちも少なくないな。だけどオレは何に対してだろうが、相手を知るっていうのは大事だと思うんだよ。相手の事を知ってるのと知らないのじゃ、取対処の仕方がまるで変わってくるだろ。それにさ、こいつらだって生きてるんだし。懐いてくれるなら、味方にもできる。結構、可愛いんだぜ。それにワイバーンに乗れたら、空も……」

「ワイバーンに乗れるの!?」


 興奮したヒロが、ルーカスの話を遮るようにして聞いた。

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