第39話

 ヒロは部屋に戻ってシャワーを浴びながら、あらためてホセは立派だなと思った。まだ十四歳なのに、しっかりとした目標があり、それに向かって指導してくれる人まで見つけている。

 それに比べて、ヒロときたら高校二年になっても、将来設計未満の漠然としたイメージしか持っていなかった。高校の次はできるだけ良い大学を卒業して、できるだけ良い会社に勤める。そんなぼんやりしてありきたりな、でも普通の将来。

 もっとも今ではそれすらもなくなってしまって、新しい環境に適応するので精一杯だけれど。

 そう言えば、ルーカスの言ってたブリーダーとはなんだろう。ペットなんて飼ったこともないし、どんな感じなんだろう。ルーカスに話しを振られたホセが、少し変な顔をした気がするが何故だろう。

 繁殖に関することなら、遺伝子とかそういう知識も必要になってくるだろうけど、ルーカスがそっち方面に興味があるのは意外といえば意外だ。アルディオンの周囲はいたるところ草原だから、ペットというよりも畜産だろうか。

 バルナバスという人は牧場を営んでいると、エスペランサだったかが言っていた気がするし。

 牛とか豚とか大きい獣は力も強いだろうし、ちょっと怖いな。でも、身体強化していれば大丈夫か。ルーカスの研究内容を想像しているうちに、ヒロの軽い自己嫌悪は、すぐにどこかへ吹き飛んでしまった。


 ヒロがジャージに着替えて寮の入り口まで降りると、ツナギを着たルーカスが待っていた。ルーカスは持っていたコーラをヒロに手渡すと、じゃ行くぞと言って歩き始めた。

 行く先には寮の裏手の空き地が広がっている。いつも通っているスクールとは反対方向だった。

 空き地のそのずっと奥には、巨大な白い建造物がある。初めてアルディオンに来た時からずっと見ている建物で、どこにいても視界に入ってくる。今では遠くに見える山裾と同じで、ただの風景の一部としか見えなくなっていた。

 遠くからでも巨大な建物は、近付くとより圧倒的なまでに巨大で、すごく巨大だった。語彙力ゼロのそんな感想がヒロの脳裏をよぎるくらいにそれは大きく、そしてそこだけが周囲の建物と異なって、極端に無機質な外観をしていた。

 歩くうちに、空き地を大きく迂回するように走っている道路にぶつかった。道路は最近整備されたばかりのようで、路面には汚れがほとんどない。

 巨大建造物は、その綺麗に舗装された道路の突き当たりに立ちはだかっていて、グレーの二枚扉が行手を遮っている。遠目からでもはっきり見えるのだから、とても大きな扉なのだろうが、建造物自体のサイズとの差のせいでとても小さく見えてしまう。

 ルーカスは、慣れた足取りでずんずん歩いていく。近付いてみると、グレーの扉はやはり巨大で、トレーラーに寝かせたままなら人型決戦兵器でも運び込めそうだった。

 巨大扉の一部に入れ子のように小さな扉があって、ルーカスはそこから中に入っていった。

 ルーカスに続いて扉をくぐると、中は薄暗かった。天井に二列、通路の両側に一列ずつ備え付けられたライトが、ずっと先まで連なっている。通路は湾曲しているのか終わりは見えなかった。

 入ってすぐ脇の守衛室らしき部屋のガラスを、ルーカスがコンコンと叩く。

 その音に気付いた年配の男性が顔を上げて、眠そうな目をこすっている。かなり肉付きがよい上に、人懐っこそうな顔をしていて、まるで守衛とは思えない。


「おはよう、セルゲイ。調子はどうだい?」

「相変わらず膝が痛いよ。でも、それ以外は悪くないね。友達連れとは珍しいじゃないか、ルーカス」

「こいつ新入りなんだ。先週着いたばっかで、まだ申請出してないんだけど、見学ついでに一緒に入れてやってもいいかな」

「まあ、問題ないんじゃないか。もっとも俺にゃ責任は取れないがな、あっはっは」

「だよね。オレも一応聞いてみただけ。じゃ、よろしく」


 ルーカスは振り返ると、ヒロに着いて来るよう促した。

 ヒロはセルゲイと呼ばれた守衛のお爺さんにお辞儀すると、小走りでルーカスの後に続いた。セルゲイはお辞儀という見慣れぬ挨拶に束の間キョトンとしたが、すぐにニコりと笑顔を返してくれた。


「ルーカス、ここ入って大丈夫なの?」

「大丈夫、大丈夫。ここの面倒見てるのはオレだけなんだから、俺が責任者みたいなもんよ。それにオレたちガード関係者がここに入れなくて、一体誰が入れるんだよ」

「一人で面倒見てるんだ。で、どんな動物飼ってるの、ここで」


 ルーカスはニヤニヤしたまま答えない。大きな通路の途中にあった一つのドアの前に立ち止まると、IDを使ってそれを開けた。

 ドアの向こうには大人がすれ違えるくらいの普通の通路が続いていて、ルーカスは途中何枚ものドアを開けながら、ずんずんと奥へ進んでいった。


「さあ着いたぞ、ヒロ」


 いくつものドアの先には、アリーナよりもさらに広大な空間が広がっていた。ドーム状の屋根は高く、奥行きは何百メートルあるのか分からない。左側に続く壁は、よく見ると途中から金属製の格子に変わっていて、それが一定の間隔で遠くまで並んでいた。何かの檻のようだ。

 ヒロがその檻の方に目を凝らすと、一番手前の檻の中にアレがいるのが見えた。あのサイ並みの大きさの狼が。

 わずかに数歩、ドアからそちらに向かって歩き出したところで、ヒロは立ち竦んでしまった。

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