第37話
ミズ・リウと入れ替わるように、筋骨隆々という言葉を体現したような男性がホールに小走りで入ってきた。走るのに合わせて、肩まであるウェーブのかかった焦茶色の髪が揺れる。生徒たちのところまで来ると、全員の顔を確認するように見回した。
「おはよう、みんな。えぇと、君がヒロだな」
男性は長い髪を頭の上で団子状に束ねながら、ゆっくりとヒロに近付いてくる。ヒロは男性の迫力に気圧され、一歩後ずさりする。
「サムライの国からやってきた少年よ、お初にお目にかかる。ソレガシはマルトラ。パーヴォ・マルトラと申す。
「ええと、はじめまして、雨木弘です。日本人です。マルトラ先生は、なんていうか日本語がとてもお上手ですね。こちらこそ、よろしくお願いします」
『翻訳』の魔法は有効なはずなのに、侍とか某とか生国とか不束者とか、ツッコミどころ溢れる日本語が聞こえてきた。魔法にも不調があるのかと思ったが、発音に少し癖がある。それで、パーヴォが日本語を喋っているのだと気が付いた。
日本贔屓なことはすごく伝わったが、不意打ちの侍フィンランド人に面喰らってしまい、ヒロの返事は当たり障りのないものになってしまった。
「はは、日本語を上手いと言ってくれて嬉しいよ。アマギというファミリーネームなのか。アマギ、格好良い。変な日本語を使ってしまって済まないね。日本には、もう侍なんていないし、某とか言わないし、不束者はそういう時に使う言葉じゃないと、リカセンパイに教えてもらってはいるのだけれど、日本が大好き過ぎて、初めて会う日本人にはどうしても使ってみたくなってしまうんだ。ゴザソウロウとか言わないだけ良いだろ? 変なガイジンだと驚かせてしまったかもしれないが、まあ仲良くしてくれ」
差し出された右手を、ヒロは握り返した。分厚くてデカい、その上ゴツゴツした手だった。
「さぁ、みんな準備体操をしてくれ。それが終わったら、ホールを五周だ」
五分間の準備体操とストレッチを終えた途端、生徒たちは猛然とホールの外周を走り始めた。
壁際の段差はサイズも様々で、高低差がキツい。常人であれば、道具なしには進めない。だが、『身体強化』の魔法の恩恵を受けた生徒たちは、そんなコースを飛んだり跳ねたりよじ登ったりしながら走り回る。
はじめのうちこそ要領が分からず、まごついていたヒロだったが、皆の後を着いていくうちに調子が出てきた。大して運動神経が良いわけでもない自分が、パルクールどころではない動きで壁を蹴って段差を超えたり、高所から飛び降りたりできるようになっている。気付けば自然と笑顔が溢れていた。
周りを見ると皆、一生懸命ではあるが、どこか楽しげな表情をしている。
先頭をルーカスと見覚えのない白人の少年が競争するように走っていた。残り半周というところでルーカスがスパートをかける。二人の距離が一気に開いた。
「よーし、今日も一位はルーカスか。じゃあ、授業が終わったらルーカスは後片付けなしで帰っていいぞ」
生徒たちが外周を終え、ホールの中央に集まると、パーヴォが言った。ルーカスは得意気だ。
「ルーカス、一位ついでに皆に格闘術の指導をしておいてくれ。私はヒロサンと今後の相談をするから」
「りょーかい」
ルーカスはやたらと砕けた口調で返事をするが、パーヴォは気にする様子もない。魔法の授業とは正反対で、皆がリラックスしている。表情も柔らかい。
「ヒロ、ちょっとコッチに来てくれ」
「はい」
「初日でスイスイとコースを駆け抜けていたな。さすがニンジャの子孫だ。日本では何かやっていたのか?」
「いえ、特に何も」
「そうなのか。それは驚きだ。生まれ持ったニンジャパワーがあるとしか思えない」
「忍者って。そんなのテーマパークか漫画の中にしかいないですよ。でも、自分でも驚きました。昨日『身体強化』使った時は、どうやって動いたらいいかよく分からなかったんですけど。皆に着いていこうと動きを真似しているうちに、どうにかなりました」
「良いぞ。人の動きをトレース、即ち盗むことこそ、忍者マスターへの第一歩だ。それにしても、侍どころか忍者もいないなんて、今の日本は寂しいところになってしまったよな」
同意を求められたようだが、生まれた時からどちらも存在していた試しはないので、ヒロは寂しくもなんともない。答えに窮しているヒロを余所に、パーヴォは続ける。
「嫌だなあ、そんな真面目になって。ただのガイジンジョークだよ。まぁ、そんなことはいい。ヒロ、君はとても良く動けている。本当に初めてだとは思えない。素晴らしいよ。とはいえ、まだまだ無駄な動きも見受けられる。自分の身体の隅々、指一本まで意識して動かすことを心がけてくれ。そうすれば、より素早く、より力強く動ける。街中でも山の中でもスムーズに移動できれば、魔獣の出現から討伐完了までの時間短縮に繋がる。その一瞬で助かる命がきっと有る。頑張ってくれよ」
「はい、頑張ります!」
パーヴォは褒め方が過剰かもしれないが、褒められて悪い気はしない。褒めの隙間に助言を混ぜてくる辺りも巧妙だ。口だけで適当に褒めているわけではないことが伝わって、アドバイスもすんなり受け入れられる。ヒロはこの授業が始まってから皆の表情がガラリと変わった理由が分かった気がした。
「さて、このクラスでは何を教えるのか説明しよう。実際の任務で必要となる、身体の使い方の基本を修めるのが、このクラスの目的だ。格闘術と武器術があり、私は武器術を教えている。武器やその辺にある道具などを使って、魔獣を制圧するのが目標だが、一般的な武器は魔獣に通用しないらしくてな。魔力を宿してない武器ではダメらしいんだ。まあ、魔力のない私が説明しても仕方ないから、とりあえずは剣術の授業だとでも思ってくれればいい」
「パーヴォ先生は魔法が使えないってことですか?」
「センセイ! 堪らない響きだな。もう一度言ってくれないか」
「えと、先生は魔法が使えないんですか?」
「そう! センセイは魔法が使えない」
パーヴォは魔法が使えないという事実がヒロには衝撃だったが、パーヴォにとっては日本語でセンセイと呼ばれることが感激だったらしい。感動で目を潤ませている。
「ん? ヒロは私がガードではないことが不思議なのかな? 大丈夫、魔法を使って攻撃されるのは困るが、武器を使っての組手なら問題ない。多少運動能力を強化した君たちの相手くらいできる」
ヒロが信じられない顔をしていると、パーヴォは脇に準備してあった木の棒を投げて寄越す。
「遠慮せずに向かってくるといい」
「でも」
「お情けご無用! さすれば、拙者から参る」
素早く振り抜かれた棒がヒロの額を打つ。身体強化のお陰で痛みはなかったが、ヒロは何をされたのか理解できなかった。
「どうかね」
「すごいです。見えなかった」
「では、打ってきなさい」
ヒロは本気で棒を振り下ろした。スピードはあったかもしれないが、素人の動きでは、何度やってもパーヴォを捉えることはできなかい。ヒロは、あっさりと棒を打ち落とされ、逆に棒を胸に突き立てられた。
「ということで、武器術はこんなものだ。体術はジュリアセンセイが教えてくれる。彼女はガードで第六小隊の隊長だから、国外にいることも多いんだ。リカやルーカスがしっかりと教えを受けているから、普段は彼らから教わることになると思う」
「そうなんですか。二人はそんなに強いんですか」
「そうだ、師範代と言ってもいいくらいの腕前だよ」
「じゃあ、個別に教えてもらえば、遅れを取り戻せますね」
「頑張り屋さんだな。ぜひともやってくれ。今日のところは、槍術の基本の型をやろう。まず武器の持ち方を教えるから、それが分かったらみんなと一緒に型の練習をしよう」
ヒロは先程打ち落とされた棒を拾うと、きちんとした持ち方と姿勢を教わった。ぎこちなくはあったが、一応の形にはなった。
それから、皆に混じって棒を何十回と振った。久しぶりに力一杯身体を動かし、汗をたくさんかいた。
整理体操をすると、その日の授業は全て終わりだ。
ヒロは初めて授業を一日通して受けることができた。慣れない事はまだまだ多いが、ヒロはようやくクラスの一員になれた気がするのだった。
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