第34話
「それじゃあ、ヒロ。そろそろ魔法、使ってみるか」
先程まで、その身に漂わせていた威厳と風格はどこへ行ってしまったのか、子供の様なキラキラした目でヒロを誘ったかと思うと、タラスは一人で部屋の奥へとツカツカと歩き出した。
ミラとキムの二人も苦笑しながら立ち上がり、タラスの後を着いていく。
ヒロも慌てて、三人を追い掛ける。
部屋の奥には、先程ヒロが入ってきたのとは別のドアが有った。こちらのドアは真新しく、建物とまるで馴染んでいない。
ドアの向こうはガードエリアの中だった。エリアと教会の間には壁があるが、タラスが特別に専用の出入口を作らせたらしい。どおりでデザインがチグハグなはずだ。
壁から少し離れて、ぽつんと年季の入った建物が建っている。日本の学校によくある体育館を一回り小さくしたような風情をしている。そこが専用の訓練スペースらしく、タラスは小走りになって近付いて行く。
今までこの建物の存在に気付かなかったのは、通り沿いの建物や街路樹の陰になっていたせいだろう。
大きな鉄の扉をくぐると、中は体育館というよりも、ただの倉庫という方が相応しい無機質な場所だった。
「よーし、じゃあストレッチから始めよう」
タラスが羽織っていたローブを脱ぐと、中からTシャツと膝丈のショートパンツ姿のおじさんが現れた。最初から完全にやる気だった。
タラスは準備運動もそこそこに、ヒロの目の前に図形を発現させると『身体強化』と呟いた。
「ヒロ、軽くジャンプしてみてくれ。軽くだぞ」
ヒロは言われたとおり軽く跳んだ。
本当に軽くのつもりだったが、気付くと百九十センチ近くあるタラスを見下ろしていた。
ほら楽しいだろ、もっともっと高く跳べるぞ。満面の笑みを浮かべたタラスが、身を屈めた。
壁に向かって走り出すと、剥き出しの鉄柱目掛けてジャンプする。と、今度はその鉄柱を蹴って、もう一度跳んだ。
ヒロはその動きを目で追いきれなかった。タラスは、天井近くにある梁にぶら下がって、揺れていた。
「おーい、ヒロもここまで来てみろ。気持ちいいぞ」
あんな事ができるなんて、ヒロはタラスがやったのと同じように鉄柱目掛けて思い切り跳んだ。
ヒロは想定よりも高く跳んでいた。天井が思ったよりも近い。慌てて目の前の鉄柱を水平方向に蹴った。ゆっくりと宙返りをして、なんとか着地したような気がしたと思ったら、仰向けに寝ていた。
ヒロは声を上げて笑った。驚いたのと楽しいのとが混ざって出てきた、妙な笑いだった。
梁にぶら下がって、その様子を見ていたタラスが身体を大きく前後に揺らす。勢いよく飛び降りると、ヒロの目の前に軽やかに着地した。
「まだコントロールが難しいみたいだが、色々試していればそのうち慣れる。それにほら、あんな酷い着地だったのに怪我もしていないだろ」
タラスはヒロの腕をとって起き上がらせると、ヒロの背中を叩いて砂を落とした。
自分の身体をあちこち触ってみたが、タラスの言う通り、あれだけ高い所から落下して着地にも失敗したのに、どこも痛くなかった。
「そんなことより、ミラ様。新しく覚えた魔法見てください!」
ヒロ感動などお構いなしに、キムが唐突にミラに大声で呼びかけた。どこから引っ張り出してきたのか、彼女の前には分厚い鉄板が的のようにして立てかけられていた。
「見ててくださいよ……」
キムの目の前に二つの魔法陣が浮かび上がった。
『氷刃』。彼女が呪文を唱えるのと同時に、魔法陣が明るく光った。
次の瞬間、大きな音がして、数メートル先の鉄板に鋭く尖った氷の塊が突き刺さった。氷の刃は、厚さ五センチはあろうかという鉄板を、いとも容易く貫いていた。
「キム、凄いじゃない! 魔力にもだいぶ余裕がありそう。頑張ったのね」
ミラに褒められてキムは嬉しそうだ。
「タラス様、俺も自分でなんかやってみたいです。しかもジャンプとかじゃなくて、ああいうの」
「そうかそうか。じゃあ、何がいいかな」
「ヒロ、何言ってるの。いきなりできるわけないでしょ。しかもタラス様に直接教えてもらうとか厚かましいのよ。明日の授業まで待ちなさいよ」
「いきなり横からしゃしゃり出てきて派手な魔法使っておいて、よく言うよ。今日ここに案内してくれたのは俺の為だろ。なんで自分だけミラ様に魔法見てもらって喜んでんだよ」
「あんたの為に来たからって、なんでもかんでもあんたの為にしなきゃいけないわけじゃないでしょ。それにいきなり魔法なんて使ったってね、ろくな……」
「分かった分かった。ヒロもキムも落ち着きなさい。キムはあっちでミラと話してなさい。『火花』くらいだったら丁度良いんじゃないかな。ヒロ、私の真似をしてみなさい」
体良くキムを追い払ったタラスは、自身の前に魔法陣を浮かばせた。
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