第33話

 タラスは、どこからか取り出した分厚い本、その緋色の表紙を開く。そして、ページを一枚めくった。

 そこには、次のような一文が記されていた。


 ——我は御身に仕え、その御許で安息を求める者なり。御身の言葉を借り、その偉大なる御力の断片を用いる事を我に許し給え——


「なんですか、これ?」

「何が書いてあるか…… 読めるてるみたいだね。読んでくれるか?」


 タラスに言われるまま、ヒロはそれを読み上げた。が、何も変化はない。


「よし、間違いない。ではここに手を置いて、もう一度今と同じ様に言ってくれ」


 タラスは、開いたままの本をヒロの前に差し出す。

 ヒロはゆっくりと深呼吸をすると、差し出された本の上に右手をゆっくりと置いた。


「我は御身に仕え、その御許で安息を求める者なり。御身の言葉を借り、その偉大なる御力の断片を用いる事を我に許し給え」


 本が微かに光を放つ。ヒロは右手が少し暖かくなった気がした。


「さあ、これで君も我々の仲間だ。これから、よろしくな」

「は、はぁ……」


 ヒロはタラスと握手をするが、全く実感がない。ミラにおめでとうと言われ、彼女とも握手を交わす。

 キムは隣に座ったまま、どうでもよさそうな顔をしていた。


「じゃコレ、君のID。これがあればジムに図書館、アリーナ、研究施設、どこでも好きなところに一人で入れるから。受け取りにサインしてくれるかしら」


 ミラに言われて、ヒロはサインをする。


「一週間住んでみて大体の事は分かったと思うけど、分からないことがあったら、何でもキムに聞くのよ」

「え、なんで私が」

「だって、あなたなら安心じゃない。一番しっかりしてるし。キム、頼りにしてるわよ」

「まあ、そうですけど。ヒロ、何でも聞いていいわよ」


 ミラに言われて、満更でもなさそうな顔をしているキムは案外チョロいのかもしれない。少し場が和んだところで、タラスが姿勢を正し、おもむろに口を開く。


「ヒロ、君のような子供を突然連れてきてしまって、本当に申し訳ないと思っている。ただ、これは日本政府との取り決めでね、ガードの素養がある人物は見付かり次第、アルディオンに来てもらうことになっているんだ。我々が君のような若者を必要としているのはもちろん、その他にも情報が漏れるのを防いだり、君の身の安全を守るためだったり、色々と事情があるのだがね。すぐに全てを許してもらうのは難しいだろうが、分かってもらえると嬉しい。君の力を我々に、ひいては人類の為に貸してくれないか」


 大人に、正面切って謝られた上に、力を貸して欲しいとまで言われてしまって、ヒロには断りの言葉すら浮かばなかった。しかも、それを言った大人はこの国で一番偉い人間だ。ただの高校生のヒロが断ることなど、できるわけもなかった。


「いや、なんだか、全然まだ事情が飲み込めてないんです。新しいことばっかり起こってて…… だって、今まで日本を出たことがなかったし、外国の人たちと普通に話したことだってなかったし…… 分からないことだらけで」


 承諾するでも断るでもなく、ずるずると言い訳を並べるヒロの言葉を、タラスは黙って聞いていた。言葉に詰まったヒロに向かって、タラスは再び口を開いた。


「そうそう、君のお母さんには大層叱られてしまったよ。国同士の取り決めか何か知らないけれど、突然息子を拐うような真似をするなんておかしい。息子に危害を加えようものなら絶対に許さないって。君のご家族にも申し訳ないことをしたと、本当に思っている。強引なやり方だとは常々思っているんだが、他に良い方法がなくってね。今後のことについて、私からもゆっくりと話をさせてもらったんだ。聞いてるとは思うが、君のお母さんと妹さんにも、こちらに来てもらえることになった。お母さんのお仕事のことや諸々の手続きがあるから、少しの間は我慢してもらわないといけないがね」


 あらためてタラスの口からも、家族がこちらに来るということが聞けて、ヒロの目からは勝手に涙が溢れてきた。

 タラスの声音と口調が聞くものを安心させるのか、肩の力が抜けていくような気がした。そんなヒロの様子をキムがニヤニヤと見ている。


「ふぅん、そんなに泣かないんだ」

「は、泣いてないし」

「強がれるだけマシね。ルーカスなんて、鼻水垂らしながら、ママ、ママって泣いてたわよ」


 キムがルーカスのことを悪しざまに言うものだから、ヒロは思わず笑ってしまう。テーブルに置かれていたティッシュペーパーをもらうと、涙と鼻水を拭った。


「ヒロ、泣きたい時は泣いてもいいのよ。環境が激変してもね、人間てそれに気持ちがなかなか追いつかないものなの。原因を作った、私たちが言うのも変だけど。早く、こんな強引なやり方しなくても良いようにならないとね…… 本当にごめんなさいね」


 眉間にシワを寄せたミラが、心底済まなそうにしている。

 すっかり固くなってしまった場の雰囲気をほぐそうとしたのか、悪戯っぽい顔をしたタラスが唐突に切り出した。


「それじゃあ、ヒロ。そろそろ魔法、使ってみるか」

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