第30話

 週が明けた月曜日、ヒロは期待に胸を膨らませていた。午後になれば、ようやく念願叶って魔法の授業が受けられる。

 午前中はいつもどおりの授業を受け、すっかり恒例になったルーカスとホセとの昼食を終え、ヒロは教室に戻った。カフェテリアから戻ってきたヒロに、そのまま教室に残るようにとキムが言った。

 ヒロとキムを残して、みんな教室を出ていってしまう。


「あーあ、あんたの面倒見るの本当に面倒臭い。魔法の研究進めたいのに」

「何だよ。そんなに嫌そうな顔するなよ。何で二人だけ残らなきゃいけないんだよ。みんなと一緒に授業を受けるんじゃないの、午前中みたいに」

「あんたバカなの? 魔法も使えないのに、どうやって魔法の授業受けるの。もしかして見てるだけで、使えるようになるとでも思った?」


 何気なく聞いただけなのに、返しがキツい。昨日、半日一緒に過ごしたのに、全く仲良くなれた気がしない。

 キムは教室の後ろにある自分のロッカーから荷物を取り出して、バックパックに詰め込んだ。


「荷物は持ってるの? それじゃ、行きましょ」

「行くって、どこへ?」

「教会」

「教会? 何しに?」

「魔法使えるようになりたいんでしょ。タラス様が今なら教会にいるから、そこで色々やるの」

「色々って何だよ。なんか説明が雑だよな」

「雑なくらいで丁度良いの。あんたくらいには。歩きながら教えてあげるから、さっさと歩いて」


 二人はスクール棟を出て、通りまで歩く。通りは、ヒロたちが普段暮らしているガードエリアの真ん中を貫くように走っていて、エリアの外と中を繋ぐ唯一の道になっている。片側一車線だが、一車線が日本のそれの倍くらいあるので、かなり広く感じる。

 通りに出ると左に折れ、出口のある市街地方面に足を向ける。そのまま進んでエリアを出るとすぐ右手に教会前の広場がある。広場はエリアの壁沿いに広がっていて、その奥に教会が建っている。

 街を東西に貫くようにして国道がエリアの壁と平行して走っている。教会と広場は国道とエリアに挟まれ、緩衝地帯のようになっていた。

 アルディオンの街は教会を中心に再開発が進められている。教会の南側がスクールのあるガードエリア、北側には昔からある市街地が広がっている。役所関係の建物は市街地にあって、国道を挟んだ教会の反対側には新庁舎を作るための更地が広がっている。 

 今までは車移動しかしていなかったので、すぐに出口まで辿り着くイメージだったが、歩いてみると意外に遠い。


「ねえ、キム。で、これから何しに行くの?」

「手続きよ、手続き」

「何の?」

「魔法の」

「魔法の、ってもうちょっと詳しく教えてくれよ」

「さっきも言ったけど、ぼんやりしてるだけで魔法が使えるようになるなんて、さすがのあんたでも思ってるわけじゃないでしょ? 魔法っていうのは、教主のタラス様の前で神様に誓約を捧げないと使えないの。だから、これからそれをしに行くの」

「何、そのカミサマにセイヤクって…… こわ。俺、宗教ってあんまり馴染みないんだけど。先祖のお墓はお寺にあるから、一応仏教徒のつもりだけど。教会でお祈りなんて、やったことないし、よく分からない」

「お祈りじゃなくて誓約ね。誓うのよ、神に。人類の為に頑張りますので、力をお授けくださいって。内容自体は穏当だし、あなたの信奉する仏教の理念にも反しないでしょ。だから誓うのは、あなたの思い描く神に対してで大丈夫。とにかく心配ないから」


 神と仏の違いすら理解していないだろうに、キムはあっさり言ってのけた。


「アレックスさんたちから、なんとなく聞いてはいたけど、本当にそんな大体な感じなの?」

「そうよ。神は全能なんだから、ちっぽけな存在のあなたが、どう思おうが考えようが、そんなのに影響されるわけないでしょ」

「そりゃそうかもしれないけど……」

「で、続きを聞きたいの、聞きたくないの?」

「聞きたい」

「これから教会に行って、タラス様の前で教導書に手を置いて誓うの」

「教導書」

「そう。教導書って言うのは、タラス様が神様から授かった物で、全ての魔法の源よ」

「で、具体的には何を誓うの? 誓ってどうするの?」

「ああ、うるさい。最後まで黙って聞きなさいよ。誓うのは、本当に神に仕えるガードとして働きますってことだけ。で、誓約を捧げると魔法が使えるようになるの」

「なんだ。それだけなんだ。なんか生き血を捧げたりする儀式じゃないんだ」

「あんた何言ってるの? 私たちがそんなことするように見えるわけ?」

「いや、見えないよ。見えないけどさ」


 キムは顔を真っ直ぐ前に向けたまま、速度を緩めずに歩く。ヒロは時々小走りになりながら、どうにかキムの横に並んで話を続ける。


「とにかく、それだけ済ませれば魔法が仕えるようになるんだから楽なもんでしょ。ま、そんなこと言っても、タラス様にダメだって断られたら、無理だけど」

「え! 断られることって、あるの?」

「どうかしらね。そんなことより、魔法については何も聞かないの?」

「どうかしらね、って。気になるな。じゃあ、そもそも魔法って何なの?」

「知らない」

「はぁ? 自分が聞けって言ってきたのに、知らないって」

「魔法それ自体が何かなんて言われても分かるわけないでしょ。神様の奇跡としか、今の私には答えられない。だって、答えなんて誰も知らないんだから」

「じゃあ、よく分かってもいない力を使ってるんだ」

「そうね。原理は分からない。でも、少しずつ使い方は分かってきてる」

「そうなんだ。仕組みは分かってなくても、端末は使えるみたいなもんか」

「まあ、そういう解釈でいいんじゃない、面倒臭いから。仕組みが分からないのは気持ち良いものじゃないけどね。でも、使えるものは使わないと。そうでもしないと、対処できない問題が次から次へと湧き出てくるんだから。もちろん解明しようとはしてる。してはいるけど、まだ取っ掛かりすら見つからない」


 職員棟、事務棟、いくつかの建物の前と広大な空き地を通り過ぎて、ようやく教会の壁のシミが判別できるくらいまでやってきた。


「取っ掛かりすら見つかってないって。そんなに分かってないの?」

「それはそうよ。だって、この国ができたのが二年前よ。ガードがそれなりの人数になって、やっと色々なことに力を割くことができるようになったんだから。単純に魔獣退治するだけだって、楽じゃないし」

「ああ、なんかそれ、こっちに来るときの飛行機でも聞いた。ちらっと聞いただけだど、みんなの話の端々に大変そうな感じが滲み出てた」

「任務が終わると大抵みんな愚痴ってるからね。入国の申請して、そこの政府と自治体に事情を伝えて警備体制とか相談して、いざ実戦、後処理、帰国。って、全部がうまくいけば楽だけど、九割型いちいち難癖付けられるから」

「この間、日本にもスムーズに入国できなかったって言ってた。それに俺の家族とも揉めてた」

「でしょ。こっちは国としても微妙だから、大きい国には舐められるんだよね。でも家族と揉めるのは、まぁ仕方ないでしょ。あなたが愛されてる証拠だし」

「そっか」


 ヒロは自分がやってきた国が弱小だと聞いて、何故だかほんの僅かに悔しさを感じた。


「そうそう、話が逸れたけど、魔法の研究がまともに始まったのだって、まだ一年経ってないんだから」

「そうなんだ。でも、使うだけなら、簡単にできるんじゃないの?」

「あなたが見た魔法って、どうせ『翻訳』とかそんなもんでしょ。あんなの初歩の初歩よ。教会に着く前に、この私が手早く簡単に説明してあげるから、ちょっと黙って聞いてなさいよ」

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