第28話

 日曜日、ホセと一緒に朝食を摂った後に、ヒロはカフェテリアの前でルーカスを待っていた。

 黒い車が近付いてくる。窓から見慣れた女の子が顔を出している。


「ハイ、知恵熱」


 どこで拾ったのか、助手席に座っているのはキムだった。


「は? 知恵熱じゃねーし。おはようとか、まともに挨拶もできないのかよ。エセ学級委員長は」

「あら、ごめんなさい。一日、ちょっと真面目に勉強しただけで熱出しちゃったみたいだから、心配してあげたんだけど。あ、そうそう、おはよう。あと、私、リアルでクラスリーダーだから」


 キムの素早いレスポンスに、ヒロは口籠る。


「おいおい、キム。朝から止めてくれよ。今日はオレん家で楽しく飯食うんだからさ。そんな態度だと、パンケーキ食わせねぇぞ。ヒロ、ごめんな。こいつ照れてんだよ」

「は? 何で、私が照れるの。意味わかんない」

「ああ、はいはい。ヒロ、後ろに乗ってくれ」


 ヒロは促されて、車に乗った。ルーカスとキムは、なんだかんだで仲が良さそうだ。

 ルーカスの実家は、聞いていたとおりスクールエリアからほど近い住宅街にあった。最近になって海外からの移住者が多く住み始めたことから、新築や建築中の建物が多い。元からある家との様式の違いが目立つ。

 新しい家々はガレージ付きの平屋で家の前には芝生、外壁は白かクリーム色、屋根は黒か赤茶がほとんどだ。土地だけは余っているのか、アメリカ風の大きな家が多い。

 住宅街をゆっくり進むと、道路脇に小さな女の子と男の子が立っているのが見えた。アレックスは車をその家の前で止める。キムに続いて、ヒロも車を降りた。


「キム、おはよーーっ」


 キムの事が余程好きなのだろう、女の子は飛びかかるようにキムに抱き付いた。


「あなたがヒロね。お兄ちゃんが優しいカンフーマスターだって言ってたけど、あんまり強そうに見えないのね。わたしはリタ、よろしくね。あっちが弟のウィリーよ。ウィリー、ほら、ちゃんと挨拶しなさい」


 リタは顎で傍らの小さなウィリーに指図する。口調こそマセた感じだが、キムに抱き付いたままなのがおかしい。

 ウィリーはモジモジして、何も言わない。ヒロの方をちらりと見ては、すぐに顔を伏せてしまう。何度かそれが繰り返された後、リタがキムから離れて、ウィリーにずかずかと歩み寄る。そして、ウィリーの腕をグイと引っ張ると、ヒロの前まで引き摺るように連れてきた。


「ウィリー挨拶しなさい。男の子なんだからシャキッとするの!」


 そう大声で言われてもなお、ウィリーはモジモジし続けている。

 そんな彼の態度に業を煮やしたリタは、彼の右腕を後ろから持って、無理やりヒロの方に差し出して握手を求めさせた。

 まるでリタのおもちゃだな。可哀想に思って、ヒロはすぐに手を出した。


「俺はヒロ。ウィリー、よろしく」

「僕はウィリー」


 おっかなびっくりながらも、どうにかウィリーは挨拶してくれた。ルーカスとは正反対の性格なようだ。


「こら、リタ! 必要以上にウィリーの面倒見ない。そんなんじゃ自主性が育たないでしょ。ウィリーもこんな人に挨拶するのは嫌かもしれないけど、礼儀なんだから。頑張って挨拶くらいしなさい。さ、ルーカスが車止めてる間に、さっさと家に入っちゃいましょう」


 教育的な風を装いつつ失礼な事を言ってのけたキムは、小さな二人を連れて家に入ってしまった。

 ヒロもその後に着いておずおずと家に入る。初めて友達の家に入る時は、なんだか緊張する。

 玄関を抜けた先、最初のドアの前に縦にも横にも大柄な女性が、両手を広げて待っていた。ここでもやはり、挨拶の基本はハグなのか。


「ハイ、ヒロ! ようこそ我が家へ。初めまして、トリーよ。ルーカスが新しい友達を連れて来るって言っていたから、とても楽しみにしてたの。アルディオンに来たばかりで疲れてない? 今日はゆっくりしていって」

「ありがとうございます、トリーさん。パンケーキが美味しい美味しいって、車の中でキムが何度も言ってました。欲張りなキムの分も食べようと思って、楽しみにしてきました」

「あら、もうキムとも仲が良いの? あなたきっと優しいのね。これから丁度作るところなの、あなたも手伝ってくれる?」

「もちろんです」

「あら!? もちろんて、ヒロはお料理は慣れてるの?」

「はい。父を昔、交通事故で亡くしていて…… 母はいつも仕事で忙しいので、よく家事を手伝ってるんです。料理ならある程度はできますよ」

「そうなの、それは大変だったわね。うちも男親はいないのよ。ま、うちはロクでもない奴だったから、私が追い出してやったんだけどね。ヒロは偉いのね。うちのルーカスとは大違い。あの子は何度言っても、料理なんてやろうともしなくって」


 いつのまにか家に入って来ていたルーカスは、両手を肩あたりまで上げて、いかにもアメリカンな表情で困ったというポーズで立っていた。ヒロはそれに笑顔で返す。

 気が付くとウィリーがヒロのズボンのポケットのあたりを掴んで立っていた。


「あら、ウィリーも手伝いたいの? そしたら、ヒロと一緒に生地を作ってくれるかしら。ヒロ、ちょっと面倒見てもらえる?」

「分かりました。ウィリー、料理は好き? じゃあ、あっちのテーブルでやろうか」


 ウィリーはコクリと頷くと、ヒロのポケットから手を離してテーブルまで駆けていった。ちょこんと椅子に座る仕草も可愛い。

 小麦粉と卵、牛乳をルーカスが運んでくる。ボウルに牛乳を入れて、それをヒロが押さえる。ウィリーが拙い動作で卵を割る。一つ割る度にヒロは褒めてやった。

 ウィリーが粉をこぼさないようにしつつ、必要以上に生地に粘りがでないよう気を配りながら、ヒロはただボウルを押さえた。


「ママ、出来たよ!」


 ウィリーは生地の入ったボウルを胸の高さに持ち上げながら、誇らしげに報告した。トリーはキムと一緒に果物をカットしていた手を止めて、大袈裟にウィリーを褒めた。


「料理ができるまで、まだ時間があるから、外でお兄ちゃんたちに遊んでもらいなさい」

「だってさ。ヒロ、外行こ!」

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