第20話

 窓の外で、クラクションの音が騒々しく響いている。ヒロはゆっくりと体を起こすと、窓から顔を出した。真っ赤な車のドアの脇に立ってリカが手を振っていた。


「恥ずかしいから、あんまりブーブー鳴らさないでくださいよ」


 ヒロは車に乗り込んですぐに抗議した。


「だって呼んでも全然出てこないんだもん」

「だからって……」

「大丈夫大丈夫。今の時間なら、たぶん誰も寮にいないから。部屋悪くなかったでしょ。あ、これ新しい端末ね。今まで使ってたのは、基本的にもう使えないから」


 リカがハンドルを片手で扱いながら、ヒロに新品の端末を手渡す。


「え、こっちに来てから端末が使えないなとは思ってましたけど、今までの端末使えないんですか?」

「うん、ごめん。壁の内側、ガードエリアはセキュリティの都合でね」

「色々データあるのに……」

「街中のローカルネットワークに繋げば使えるけど、普段はガードエリアからほとんど出ないだろうし」

「じゃ、ゲームもダメですか? えー、どうしてもダメなんですか?」

「なに、ゲーム好きなの?」

「それなりにですけど。結構好きです」

「そっか、あんまりやる時間ないと思うけど。分かった。登録したデバイスだったら使えるから、後で一緒に見よ。何か好きなもの一つ、お姉さんが買ってあげよう」

「え、マジですか?」

「マジ、マジ。これから一週間、午後はちょっと暇になっちゃうだろうからさ。その間にやるといいよ。必死に勉強してくれてもいいんだけど、それだけだと辛いだろうし」

「午後暇になるって、どうしてですか?」

「一週間は、様子見っていうかさ。君が良い子かどうか見極めないといけないから。っても、普通に暮らしてれば良いだけだよ。ほら、変な人に魔法使わせられないでしょ?」

「え、じゃあ一週間は魔法使えないってことですか?」

「そういうわけでもないけどね。とりあえず午前中はスクールで普通に授業を受けて、午後は一人だけで自由時間。他の子は午後も色々あるから、寂しいかも知れないけど我慢して。ところでさ、ヒロって英語大丈夫?」

「英語ですか? だって魔法使えば大丈夫なんじゃないですか」

「あー、それね。喋りはさぁ、魔法使えば通じるようになるんだけどさ。文字は魔法じゃ読めるようにならないんだよね」

「え、それヤバくないですか。授業受けるって言ってましたけど、テキストってまさか英語?」

「もちろん!」

「そんな元気良く言わないでくださいよ。ヤバい、絶対ヤバい」

「まぁ、そのうち慣れるわよ。私もはじめの頃は苦労したけど、今は普通に読み書きできるようになったし。ガードになってからも、連絡は全部英語だからね。デバイス上で日本語変換もできるし、AIとか翻訳アプリはもちろん使えるんだけどさ。先々、報告書上げることもあるだろうし。表現のニュアンスもあるし、普通に読み書きできれば早く上げられるようになるから。今のうちから、しっかり勉強してね」

「えー! 魔法さえ使えれば、日本と違ってあんまり勉強しなくても良いと思ってたのに」

「これが、そんなことないんだな。ガードたるもの、しっかりと教養も身に付けてないと。ほら、機内でも勉強は日本の高校よりも辛いってアレックスが言ってたでしょ」


 ヒロは前途を思って、頭を抱えた。

 塀で囲まれたエリアを出て、交通量のあまりないアルディオンの市街地を車はスイスイ走っていく。走るにつれて、建物同士の間隔が広がっていく。

 ガッカリした心持ちで、無言のまま流れ去る景色を眺めていると、やがて大きな平屋の建物が現れた。


「はい、到着。ここが街で唯一のモール。東京と比べちゃうと大したことないって思ったでしょ。だけど、この街じゃ一応何でもあるって言われてる所だから、場所は覚えておいてね。きっと、これから何度も来ることになるよ」


 三本線がトレードマークのブランドが入り口そばの一等地をデカデカと占領していた。見知ったブランドを見かけることができて、少しだけホッとした。

 モールの中に入ると、入り口近くこそグローバルに展開している店がいくつかあったが、奥に行くにつれて見たこともないようなロゴばかり目に入るようになった。


「リカさん、入り口の方に戻っても良いですか。ちょっとローカルなブランドは僕には早そうなんで」

「そう? 探せば、良いものもあるんだけど」

「本当ですか? そういえば、リカさんのその服……。ここら辺で買ったんですか?」

「ああ、これ。これはどこだっけな、前に任務でヨーロッパ行った時の空き時間で買ったの」

「なんだそれ、ズルっ。てことは、ここじゃ、そういうの買えないってことですよね」

「そう…… だね。あれだよ、でも、あの、そのうち任務で海外行ったら買えるよ」

「そうなんですか! いつ行けるんですか、それ」

「ヒロたちは、一年後とか? かな」

「それ、めちゃくちゃ先の話じゃないですか。一年後って、どんだけ先なんだよ」


 ヒロは、一年先を遥か遠く未来のことのように感じながら、投げやりな気分で買い物をした。最近になって色気付いてきたヒロは、オシャレにも気を配りたいところだったが、ここには大した選択肢はなかった。入り口の店で、ジャージやスウェット、ティーシャツを数着ずつと下着類を七セット、それにスニーカーを三足買った。

 こんなに一度にどっさり買い物をするのは、初めてだった。支払いは全てヒロのカードからされるらしい。ヒロは合計金額を見て驚いたが、支度金が十分あるから気にするなとリカに言われて、胸を撫で下ろした。しばらくすれば給料も出るし、こんな場所じゃどうせ使い途もないから、そう言ってリカは笑った。

 大量の買い物は、ヒロに満足感を与えた。


「ということで、さっきの約束どおり、お姉さんが君に何か一つプレゼントしてあげよう。やっぱりゲーム関連がいいの? 別に何でもいいよ。スポーツするなら、その道具でもいいし」

「いや、やっぱりゲームがいいです」


 ヒロは即答した。


「いいけど、あんまりやり過ぎないで、勉強もしてね」

「親みたいなこと言わないでくださいよ。でも、本当にいいんですか? 結構しますよ」

「え、じゃあ止める」

「えー」

「嘘よ。それくらい大丈夫よ」


 二人は家電売場に行くと、いろいろ悩んだ挙句、ハイスペックなPCを購入した。結構な値段になったが、リカは全額負担してくれた。

 PC選びに時間がかかり、昼もだいぶ過ぎた頃になって、二人はようやく昼食を取ることにした。フードコートで、タコスを注文したが、日本のものよりも大幅にボリュームが多い。

 昼食を終えると、日用品をあれこれ揃えるべく買い物をしてまわる。夜になるとどうしてもお腹が空くこともあるだろうから、お菓子も買っておくといい、リカのアドバイスに素直に従って、大量に買い込んだ。


「太っちゃうんだけど、どうしてもやめられないよね」


 困り顔で悪戯っぽく言うリカを見て、本当は困ってなさそうだとヒロは思った。

 買い物は極力簡単に済ませたつもりだったが、気が付けば夕方になっていた。モールの外は少しも暗くなっておらず、不思議な気がした。

 辺りにはただただ、だだっ広い景色が広がるだけで何もない。どこまでも空が広がっていて、ヒロはたった一人取り残されたような心持ちがした。


「ここは日本と違ってね。夜になっても結構明るいんだ。どこまでも地面が広がってるのが見えて気持ちいいでしょ? 私この景色、結構好きなんだ。故郷を思い出すからかな。じゃ、そろそろ帰ろっか」


 北海道出身のリカは、ヒロの気持ちも知らずにそう言った。

 帰る、リカの言う帰るとは何だろうか。ヒロの本当の家には、もう帰れないのに。ヒロがリカと同じ景色を見て覚えた感情は、寂しさだけだった。

 ヒロは黙ったまま荷物を積み込んだ。車が走り出してからも無言のヒロだったが、リカは疲れているのだろうと思って放っておいた。


「リカさん、ミクのことは呼べないんですか?」


 突拍子もない言葉が、ヒロの口を突いて出た。


「ミクちゃんか。残念だけど、婚約でもしてない限り、それは無理。婚約、してないでしょ?」

「まぁ、そりゃしてないですよね」

「好きだったんだろうから、可哀想だとは思うんだけどね。難しいんだよ、家族以外をこの国に呼ぶっていうのはさ。それに、私が高校生の時なんか、誰とも付き合ったことなかったし。まぁ、今もなんだけど……」


 何がなのか分からなかったが、リカが自分を励まそうとしてくれているのは伝わった。ダメ元で言ったことではあったが、いざ無理だと言われると、目の前が真っ暗になってしまうくらいの衝撃があった。絶望とはこういうことを言うのだろうかと、ヒロは人生で初めて思った。

 車を寮の手前に止めると、二人で荷物を部屋まで運んだ。そこそこ多い荷物だったが、リカが一度に大量の荷物を運んでくれたお陰で二往復で済んだ。魔法が使えると便利でしょ、敢えてリカは明るく言ったが、ヒロはそうですねと一言返しただけだった。

 部屋で一人になったヒロは、着替えもせず前のめりにベッドへと倒れ込んだ。

 真新しい端末を覗き込む。今までと同じメーカーの最新機種だった。端末に表示された時間は六時三十分。調べて見ると、日本との時差は二時間しかないらしい。かなり遠く、世界の果てに来てしまったくらいに思っていたが、実際はそんなに遠くないのかもしれない。ヒロは少しだけ慰められた気がしたが、端末の中身がまっさらなことを確認すると、そんな気分も消え失せてしまった。

 枕元に端末を置いて、ヒロは日本から持ってきた通学用のバッグを抱え込んだ。日本の匂いがする。中に入っているのは、今となっては用を為さない教科書とノートが数冊。それに飲みかけのペットボトルが一本。ミクとの思い出のペットボトルだと思うと、もったいない気がしたから、一口だけ飲んでやめた。

 カバンを抱えたまま布団に潜り込むと、ヒロの脳裏には家族や友達、そしてミクのこと、小さな頃のことや、あったかもしれない平和な将来のこと、様々なことが取り留めもなく去来した。楽しかったり懐かしかったり、無数の事柄を思い描いても、結局最後に辿り着くのは、どうにもならない今現在の状況だった。

 魔法が使えるようになって困っている人を救う、威勢の良い事を言って飛び出してきたものの、疲れた頭には良い事など何一つ浮かんでこなかった。

 涙を一筋流しながら、彼の意識は眠りの中に沈んで行くのだった。

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