第19話

 広大なスペースの縁に、アイボリー色の建物が少し距離を置いて二棟、ポツンと建っている。どちらも飾り気が少なく、ほとんど同じ作りをしている。それだけなら可愛らしいとも思える建物だが、その後ろには巨大な灰色の塊がどんとそびえている。そのせいで、何だかソビエト時代の収容施設のように見えてしまう。街に入ってすぐに見えた灰色の塊は、近付いてみるとさらに迫力が増していた。


「ここがヒロが住むことになる建物。寮みたいなものね。訓練期間中のガードは全員ここに住むことになってるから。訓練が終わっても独身者は大体ここに住み続けてるかな。アレックスもここに住んでる。既婚者とか小さい子たちは、大体が家族と一緒に市街地にある普通の家で暮らしてる。あと、あっちの建物は女性専用。ヒロは気になる子ができても、入っちゃだめよ」


 リカが、あっちじゃない方の建物に向かって歩きはじめると、ヒロは後に着いて行った。二人がその建物に入ると、大柄なおばさんとおじさんが満面の笑みで出迎えてくれた。


「あなたがヒロね。遠いところよく来てくれたわね。アルディオンにようこそ。私はナターシャ。こっちが夫のドミトリー。私たちは、この大きな家のハウスキーパー。これからよろしく」


 ナターシャは訛りの強い片言の英語でそう言って、ヒロをハグした。見た目が外国人の人たちと、ついさっきまで普通に話せていたのが嘘のように、聞き取るのに苦労した。ヒロは、魔法というものの存在をあらためて実感した。


「あなたの部屋は三〇二。必要なものは部屋にある。食事は、みんなと一緒にカフェテリアで食べる。私たちの作る料理だから、美味しい。ところであなた朝食は食べた?」

「あ、えっと、食べました。食べました空港で」

「ああ、アレハンドロのホットドッグ。わたし食べた事ない。でも美味しいって聞いた。でも私のはもっと美味しい。さ、これ鍵。あとはリカに聞く」


 ナターシャは一通りのことを伝え終わるとヒロの返事も待たずにリカとロシア語で何か話し出した。リカは、普通に会話できていてヒロは驚いた。

 ひたすら口を動かすナターシャとは対照的に、ドミトリーはニコニコしているだけで一言も話さない。リカとの話が終わると、二人はあっさりと出て行ってしまった。


「あ、鍵だ」

「そう、物理鍵。今時、珍しいよね」

「はい。家にもあるにはあったけど、使ったことはないかも」

「まあ、建物も古いし。寮に住んでるのなんて、みんな身内みたいなもんだから。鍵なんてあってもなくても変わらないんだけど。でも、無くさないようにね」

「わかりました。それにしてもリカさん、ナターシャさんには『翻訳』かけてなかったですよね。ロシア語喋れるなんて凄いですね。ナターシャさんと何話してたんですか?」

「昼は買い出しで帰ってこれなそうだから、夕飯楽しみにしてるって言ったの。そしたら、ヒロが喜ぶようにとっておきのお肉出してくれるって。まあ、日常生活はロシア語じゃないと不便だからね。いちいちみんなに魔法かけてられないでしょ。慣れだよ、慣れ。ヒロもそのうち普通に喋れるようになるって」

「そんなもんですかね」

「そうそう、そんなもん。じゃ、ヒロは部屋に荷物置いてね。外見はボロいけど、中はリフォームしてあるし、お風呂もトイレもちゃんと付いてるから安心して。シャワー浴びて、少し休みな。仮眠取りたいでしょ? 二時間くらいしたら迎えに来るから、そしたら買い物行こ」

「分かりました。よろしくお願いします」


 ヒロはリカと別れるとエレベーターを使わずに、その脇の階段を登って三階まで行った。長い廊下の両脇にグレーのドアがずらり並んでいる。自分の部屋番号を見つけるとヒロはポケットから鍵を取り出して、それをまじまじと眺めた。慣れない手付きで鍵穴に差し込む。ゆっくり回すとガチャリと音がした。

 突き当たりには、あまり大きくない窓がある。窓の右脇に机があって、その手前にベッド。左側にはバスルームがあって、その奥にクローゼットと腰までの高さの引き出しのあるシンプルな棚が並んでいた。棚の上にはポットとコップが二つ。その横に小さな冷蔵庫。部屋にあるのは、それくらいだった。

 ヒロは棚の上に荷物を放り投げて、窓を開けた。部屋中を爽やかな朝の空気が満たしていく。風の匂いが東京とは全然違った。

 少しの間、窓から外を眺める。それからシャワーを浴びると、頭も乾かさずにベッドに横になった。


「俺、本当に外国で一人暮らしするのか……」


 そうは一人呟いたものの、まるで実感が湧かない。昨日の大事件。それからここまでのあっという間の移動。そして、今までの日本の生活。そんなことをあてどもなく考えているうちに、ヒロの意識は遠ざかっていくのだった。

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